月別アーカイブ: 2008年7月

中国四川省地震救援ニュース 64

CODE翻訳ボランティアが興味ある記事を見つけて下さいました。職業訓練の話で
す。、「予約式」というのがどういう意味か判りませんが、訓練を受け、確実に就労
機会につながるというのは注目すべきでしょう。災害後の暮らし再建メニューで職
業訓練というのは必ずといっていいほど提案されますが、実際の就労機会に結び
つけることが難しく、いつも頭を抱えるところです。
以下はCODE翻訳ボランティアによるものです。
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◎「予約式」職業訓練
 膨州市就業局は被災者の就業問題解決のため、現地の職業訓練校と連携して
無料でミシンでの縫製技術訓練を開始した。訓練が終わると、そのまま職を得られ
ることになっている。第1期生120名は、省内外で働き始めている。このような「予約
式」訓練は被災者に喜ばれている。  
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(7月2日 新華社)

中国四川省地震救援ニュース 63

成都に戻ったYさんから早速レポートが来ましたので、お届けします。
久しぶりに北川県の農村を訪ねた。村ではすっかり仮設住宅が出来上
がっていた。電気や水道がまだ通っておらず入居には至っていない。何度
もお世話になっている老夫婦の家を訪ねた。「仮設出来上がったね。」、
「でもうちは入れないんだよ。だから昨日自分でテントを調達してきたよ。」
と家の片隅に置かれた軍用のテントが目にはいった。「二人で立てること
できるの?」、「昨日やったけどできなかったんだよ。」。。。という事で4人
の日本人ボランティアとさっそくテント張り作業開始。大人6人で何とか立
ち上がった。だが、ボランティアからはこんな声があがった。
「こんなん年寄り二人に立てれる訳ないやろ!」と怒りをあらわにした。
村の中では少しずつ仮設をめぐって格差がはじまっている。
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中国四川省地震救援ニュース 62

今回の地震では若者のボランティアが大活躍しています。以下、CODE翻
訳ボランティアさんが訳してくれた”「官制」ボランティアが作る中国版ボラ
ンティア元年の模様”です。少々長いですが、全文をお届けします。
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≪中国80年代生まれの青年ボランティア、偏見に挑戦≫
地震で傷ついた母親の世話をするか、それとも一人のボランティアとして
被災地へ赴くか?この2つの難しい選択に面した時、25歳の劉懿さんは
後者を選んだ。
目下の者が目上の者に尽くす事、この基本的な要求が満足に出来ない
若者たちは常々社会各界から非難を招いている。
劉懿さんはこの選択をする時非常に悩んだ。劉さんは言う。
「家の中には母の面倒を見る人がいる。また女友達も助けてくれる。」
劉懿さんは2006年重慶交通大学を卒業、現在は重慶道路局で仕事をし
ている。彼が被災地へ行く目的は被災者に対し実際に意義のあることを
したいということだ。
劉さんの家は四川省成都北の広漢市にある。家の中の家具、家電は5月
12日wen(さんずいに文)川地震で損壊した。
劉さんの母親は地震で怪我をし、のちに重慶の身内の世話をうけた。
母親が重慶に到着した当日、劉さんは重慶道路の緊急補修チームで被
災地の什ほう市紅白鎮に向かうところだった。
学校では橋梁を専門に学んだ為、劉さんは救援支援チームのなかで後
方支援組に配属された。彼の主な仕事は施工会社が監督する再建工事
の安全問題の手助けや、救援現場の写真撮影や工事の過程を撮るビデ
オ撮影の記録の協力である。
この若者は言う。被災地での救援の経験は彼のさまざまな物の見方を変
えた。学校で学ぶことのできない多くのことを学ぶことができたと。
「私たちはいままでずっと父母と教師に頼ってきたが、地震経験以後、困
難は必ず自分自身で対応しなければならないと意識するようになった。」
地震後、数千名の若者がすぐに被災地へ向かった。彼らは単身で、また
は自主的に救援グループに加わっている。彼らの大多数は1980年以降
の出生で、中国開放政策の成果が見られる年代である。
この年代の人たちは常々「80年代以降」と呼ばれ、大多数の人が「甘や
かされて育った」世代とみている。
この世代は出生以後から中国経済の成長があった。物質的な生活に恵
まれた「80年代以降」は常に自分勝手で、拝金主義、同情心に欠けるな
どと言われ、同時に他人を思いやることが少ないうえに、一人で物事を処
理することの出来ない世代と考えられている。
2008年年初から中国は自然災害やさまざまな事で挑戦を受けることに
なった。「80年代以降」はこの期間の際立った活躍で社会の関心を得、
また彼らの行動はこの年代に対する社会の偏見を変えることとなった。
メディアには「理性的」などの誉め言葉が表れ始めた。
年初の南方雪災、北京オリンピック聖火リレー、四川8級地震、毎回、中
国に対する試練は「80年代以降」に対する試練でもある。しかし毎回、年
若い「80年代以降」は、皆元気はつらつとした姿と責任感ある態度が目
立っている。
毎回国家が危機にさらされる度、若者の愛国心が噴き出した。テレビの
画面に写る愛国活動の人々の群れの中に我々は毎回若者の顔を見るこ
とが出来た。
2008年春節前夜、南方氷雪災害により南方の多くの省で水電供給が中
断された。交通も寸断され、帰途にあった数百万の旅客は駅やバスター
ミナル、交通幹線で封じ込められた。
交通渋滞を緩めるため、南方の被災した省の各大学に在籍する地方の
学生は政府の呼びかけに応じ、学校内で中国人がもっとも大切とする祭
日、「春節」を過ごした。
中国南部の広東省広州市、若いボランティアは目立つ標識を掲げて、動
けなくなった旅客のために水を配った。
北京オリンピック聖火リレー中ではロンドン、パリ、サンフランシスコなど
いたるところで中国人留学生の姿が見られた。彼らは平和集会を行い、
中国の国旗とオリンピックの旗を振り、情熱をこめて聖火ランナーに声援
を送った。オリンピックの阻止を図る「チベット独立分子」との争いの中、中
国の若い留学生たちは要となり立ち上がったのだ。
6月10日に開幕された中国共産主義青年団第16回全国代表大会で、共
青団の陸主席は語った。「今年以来、北京オリンピック聖火リレー中に多
くの若者、海外留学生の強烈な愛国精神が奮い起こされた。また、国家
の利益と民族の尊厳を保つ自覚が固められた。」
ラサ「3.14」暴力事件後、数百万の中国の若者はMSNなどでチャットを
するときネット上の名前の前に忠実な心の表れに「China(中国)」の文字
を加え、祖国に対する支持と擁護を表した。
このような表れは5月12日のwen(さんずいに文)川地震後、「心と心のつ
ながり(心連心)」の虹へと変化した。「80年代以後」の新世代の若者達
は地震災害救済の中、あでやかな虹を描き続けている。
四川地震発生の2日目、北京の多くの大学で献血が行われた。
被災地で怪我をした人たちのために大学生の呼びかけで始まったのだ。
清華大学の学生寮の事務所前には100メートルにもなる献血者の列が続
いた。
同時に、さらに多くの若者が自ら被災地救済の隊列に加わった。近隣の
四川重慶、貴州等では多くの若者達が自費で購入した救援物資を車に
載せ、被災地の県や市へ向けて昼夜問わず走らせた。被災地についた
後、彼らは物資を下ろし、すぐに戻っていく。利益や損得を気にせず、名を
残す事や誉め言葉を求めない。
1980年代以降生まれの青年、特に青年士官は救済活動中、最も活力が
あり最も意欲がある若者達だ。中国人民解放軍の若い士官と各地の武
装警察は一貫してさまざまな救済活動の最前線で目覚ましい活躍をして
いる。
地震被災地区である四川省什ほう市の14歳の中学生、鄭小鵬君は地震
救済の中で彼が最も感謝した人は解放軍とボランティアのおじさんだった
と話す。鄭小鵬君は地震で生命の危険を顧みず、アンモニア溶液漏れ情
報を30数人の地元住民たちに告げると言う困難な役目を果たし、みんな
を連れて危険な状態を脱した。
6月10日、中国共産主義青年団第16回全国代表大会で、彼は会議の上
で発言した6名の少年先鋒隊の一人となった。
「地震の時、解放軍のおじさんが暴雨の中連夜救助してくれて携帯食品
を与えてくれた。またボランティアの青年が僕達にテントや衣服、布団を
与えてくれたんです。」彼は会議の1500名に対して語った。
「ボランティアはすでに中国青年の一種の生活様式になった。」中国ボラ
ンティア協会副秘書長は言う。
昨年4月、北京市教育職員委員会と中国教育報が発布した「80年代以
降」の大学生の研究報告書によると、82.1%の学生が愛国精神的行動と
は国家の発展と未来の運命への関心をもつことであると考えている。
ここ数年、中国の若者はいまだかってなかったほとばしる感情をボラン
ティア活動に注いでいる。
2003年8月、その年度の1万人以上の大学卒業生が「大学生ボランティ
ア西部計画」旗印の下に集まり、中国西部の未発達地区の現場で1、2
年の期間でボランティアを展開した。
政府のデータは同時に、この5年で全国ですでに7万人以上の大学卒業
生が西部のボランティア活動に参加したと示している。
6月11日の人民日報の報道では、環境保護領域では延べ3.5億人以上
の青少年が生態と調和を促進する「母なる川を守る活動」に参加し、生態
保護模範工事の建設は239.3万ヘクタールにもなった。
北京オリンピック委員会の公表では、北京オリンピック、パラリンピックの
為のボランティア志願者が全国で百万人を越し、その多くが若者たちであ
ることを知らせている。
2002年から中国人ボランティアは国を出て、世界に向かっている。300名
近い中国青年達がラオス、ミャンマー、エチオピア、ギアナなど発展途上
の国でボランティア活動をしている。
「現在中国のボランティア活動をしている人数はすでに2.68億人になり、
ボランティア登録をしている人数は2511万人にもなります。」中国ボラン
ティア協会秘書長は語った。
武漢大学哲学科、膨富春教授は言う。
「80年代以降」は情熱を持って理性的な方法で彼らの愛国主義精神を表
現した。「80年代以降」の青年は中国の希望に満ちた世代である。
新華網 6月11日 21:48

中国四川省地震救援ニュース 61

成都市の耐震判定の手順の詳細が定められたというニュースを紹介します。そ
ういえば、パキスタン地震やインドネシア・ジャワ地震の被災地では至るところ
に「地震に強い家を造れます! 10の手順」というUSAIDやUNハビタットのポ
スターが貼ってありました。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです>
≪成都市:耐震判定詳細規定≫
 ぶん川大地震で、成都市の中心地区および成都市に属する区・市・県の家
屋は様々な程度の損壊を被った。迅速な正常生活・生産秩序を回復するため、
国家建設部の「家屋建築工事の耐震設計防災管理規定」に基づき、6月8日、
成都市建設委員会は「成都市家屋建築の地震後耐震判定作業の強化に関す
る通知」を提出した。
 地震で被災した家屋は、「建築耐震判定基準」に基づいて鑑定する。「赤」判
定は「修復または耐震補強の必要」がある。
 持ち主の委託した建築設計(乙級以上)会社が耐震判定と補強設計を行う。
元々の工事設計会社にも耐震判定と補強設計を行う責任があるが、元の設計
会社がなくなってしまっていたり、対応しきれないときには、相応の技術を持つ
設計会社が担当する。
 耐震判定時、工事の現場、設計、施工及び進行に関して全面調査を行い、
判定報告書を提出すること。工事に関して検測が必要な時にはそれをできる会
社に委託できる。
 耐震補強設計は「建築耐震補強技術規程」に基づいて行う。補強設計は工
事の実際の状況と判定報告に符合した基準で、経済的に合理的に、使用に滞
りないように配慮する。また建築の機能を改変したり、建築規模を増加したりし
てはならない。重要な位置にある建築物は、都市計画の要求通り、元々の風
貌を保持することに留意すること。
 耐震補強設計書と施工図設計書はと審査機構の審査を経たのち使用でき
る。設計書審査機構は、関係技術規程、耐震判定報告、検査報告に基づき、
耐震補強施工図に対する意見を提出し、合格判定が出てから、合格証を交付
して工事会社に戻す。
 
 そのほかに、今回の地震での家屋建築耐震補強では、「判定―設計―審査
―施工―検収」の順序進行を守り、「家屋建築地震後耐震補強工事申告書」を
もって安全監督、質量監督の手続きを行うこと。耐震補強施工と管理は関係規
定と技術基準により執行され、施工及び管理単位は相応の資質を必要とす
る。
 (6月9日 成都晩報)

中国四川省地震救援ニュース 60

中国の復興支援で注目を浴びているのが「対口合作」です。以下の翻訳ボラン
ティアの情報によると、就業支援にも効果をなしているようです。
≪働いていれば、希望はある≫
 綿陽市では地震によって9万人の企業労働者が収入源を失い、9万の個人
経営の商店が収入を失った。また24万人の農村労働者が仕事を薄内、新しく
日雇いの仕事を始めた家庭は14400世帯になった。
 5月30日には、綿陽市就業援助招聘車が各避難所を回り、被災者に仕事の
情報を提供してきた。42の「就業援助活動センター」が立ち上がり、登録が始
まった。避難所のテントでも職業訓練が始まった。
 「魚を授けるより、漁の仕方を伝授せよ」
 青川県職業高校の校長の言葉だ。学校はすぐに竹園鎮と馬鹿郷に行って職
業訓練を始めた。「ここは青川県の被災者が集中しているところで、彼らの多く
はテントのなかですることもない。私たちがこの時間を利用して訓練を展開すれ
ば、彼らの助けになる。」
 テントの生活区には大量の労働者が必要だ。食材を買ってきて料理を作る、
物資を仕分けする、ごみ処理、衛生防疫活動…。このような仕事をする人を各
地で募集し、政府が出資して被災者自身がテント生活区の事務を自己管理で
きたら、仕事で忙しくてもやりがいは多かろう。
全国各地から就業援助の手が被災地にのびている。このような情報を集め、
企業組織が被災地で就業招聘会を行っている。6月25日には湖北省からのま
ねきがあった。非常に条件のよい仕事だ。月給は最低でも1000元(1万5千
円)、年齢等の厳しい条件はない、宿舎は提供される、湖北省への交通費は支
給、布団や歯ブラシなどの生活用品も支給、夫婦で来た人には独立した部屋
を提供、雇用契約を結ぶこと、社会保険に参加すること。
(6月25日 新華網)
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≪被災地で最大規模の就職招聘会が綿陽で挙行≫
 6月29日、綿陽市で被災地最大規模の就職招聘会が行われ、その場で
2798名の就職が決まった。今回の活動では、8万あまりの就職情報が提供
され、参加企業は800、当日参加した企業は150にのぼる。当日訪れた求職
者は20万人あまり。そのうち、相談中が6172名、2798名がその場で就職
を決めた。
 四川省総工会保障工作部によると、この招聘活動は4日間行われ、30日に
は広元市剣閣の避難所で開催される。
 (6月29日 新華網)
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≪青川県で就職招聘会≫
 6月26日、広元市青川県で広元市中国華僑連合組織の就職招聘会が行わ
れた。今回の招聘活動では、3000名以上の仕事が提供された。再建活動の
発展に伴い、被災者の就業活動は重点項目になってきている。被災地と対口
支援の相手の省・市と連携して就職先を探すなど、多様な就業機会が提供さ
れており、被災者は歓迎をしている。
 (6月26日 新華社)