昨日「ニュース 10」で紹介しました現地のYさんからの文字化けレ
ポート?ですが、正式に訂正されて送られてきましたので再送しま
す。ニュース10で書いていた「成都の最大規模の避難所は」→「綿
陽市に入り、一番大きな九州体育館の避難所」の間違いです。
すみません。
(現地レポート再送)
今日は綿陽市に入り、一番大きな九州体育館の避難所を尋ね
た。ここには被害のもっともひどいと言われてる北川県の被災者
の方やその途中の永安鎮や#(テヘンに雷)鼓鎮、#(サンズイに旋)坪
の方が多く来ている。入り口には救援物資や古着の山済み、手
前の公園には無数のテント。尋ね人を探す張り紙や無料電話、献
血者、行き来する無数の人々。いざ体育館の中に入ると、周囲を
丸く取り囲むロビーに数多くの被災者の方々が寝ていました。
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*北川県の手前の永安鎮の陳永蓉さん(44歳、女性)は、地震の
あった翌日13日にこの避難所に軍の車で来たらしく、親戚一族
16人の内10人がこの避難所に来て、残りの6人は今も永安に
残ってテントで暮らしている。ここの避難所の様子を尋ねると、毎
日、お粥やマントウ、弁当、パンを食べていて十分だよと言っていた。
ただ、地震の時から降り続いた雨が原因で風邪を引き、それで
夜は少し寒く感じるよと。あと騒がしいね。今後望んでいることは
と聞くとまだ10代の娘さんといとこは、「村に帰りたい。そして家を
再建したい。」と語った。そして最後に昨日同様に、「わざわざ日
本から関心を持ってありがとうね、」と言ってくれた。
*永安鎮からさらに北に13キロの#(テヘンに雷)鼓鎮出身の大学生、
王彬くん(22歳男性)は、地震の時は、成都の西華大学にいた。地
震が起きてから、家族と再会できたのは、13日だったそうだ。親
戚10人のうち3人は怪我をして現在も入院していて、その中には
腰を痛めた81歳のおじいちゃんもいる。お兄さん夫婦とその子供
は今も村に残っているそうだ。彼の友達の中には瓦礫の下で亡
くなった人もいたそうだ。また、現在でも残っている人の中には
「瓦礫の中に子供が埋まっている。」と言ってそこを離れようとし
ない人もいると語ってくれた。いとこの夢楠ちゃん(5)は地震の
時、家の中にいたが、一人で飛び出して、かろうじて一命を取り
留めた。「この娘は本当に幸運だった」と言って頭をなでるお母さ
んは、「地震後、この娘は人を怖がるようになった。」と言ってい
た。江西省に「出稼ぎに行っている旦那さんとは明日、地震後初
めて再会する。愛娘の6回目の誕生日を共に過ごすためだ。「祝
生日快楽!!」と歌って、お菓子をプレゼントしてあげると、「謝謝(あり
がとう)!」と恥ずかしそうに微笑んだ。明日はこの避難所でどんな
日を過ごすのだろうか。
避難所になっている九州体育館では、各所に「尋親人」(親族
探し)という張り紙が目に付く。体育館前の道路では、紙に「尋親
人」と書かれた札をもった若いボランティアも多い。体育館内で聞き
取りをしていたら、中学生らしき男女数人がおじいちゃんに何や
ら話しかけているのを見かけた。「何しているの?」と聞くと「尋親
人」だよと答えてくれたのは、李嘉#(金が三つ)くん(14歳男性)。
友達を誘って今日初めてのボランティア活動だという。張り紙を見て
バスに40分揺られて綿陽市内からやってきた。「自分の家族も広
場にテントを張って生活しているけど、それほど被害もなかったし、
僕にも何かできると思って。」と周りの友達にからかわれながら
はにかんでいた。いま、こうして多くのボランティアがここで動いてい
る。成都の紅十字前では、毎朝若者を中心にボランティアが続々と
集まってきている。彼ら、彼女らの熱意が生きるような活動ので
きる体制、環境を切に願う。中国のボランティア文化の夜明けを感じ
させる。
その後、綿陽を出て安県に向かうにつれ、沿道の家屋に被害
が増えてくるのが分かる。だが、車窓から見る限り、不思議と屋
根が抜け落ちている家が多いことに気づいた。安県から北へ
走った安昌鎮では、僕たちが車を降りるや否や、沢山の人が
寄って来て、「内の家を見てくれ」と連れて行かれた家は木造平
屋1階の屋根はところどころ瓦は抜け落ち、壁は亀裂が入り、と
ても住める状態にはなかった。26年前に建てられたというこの家
の壁には木材や鉄筋されも使われていなかった。だが、屋根が
軽かったせいか、死傷者はいなかったそうだ。同集落のその他
の家屋にも同じような状況があった。どの家の壁にも鉄筋、木材
は使われておらず、杜撰に積まれたレンガが露わになっていた。
次から次へと家を案内された。最後に帰ろうとした時、一人の
中高年の男性がすごい剣幕で寄って来た。やにやら「内の家は
何で見ないんだ?!」と言っているようだった。そして通された家は
78年に建てられた古い家で屋根は落ち、壁はひび割れていた。
男性は憤りの思いを目に涙をためて表していた。 この安昌では、
皆とにかく「自分の家はこれだけひどいんだ」という事を誰かに
聞いてもらいたかったのだろう。彼らにとって被災に大きいも小さ
いもない。北川という最もひどい被災地へと続く途中の小さな町
の小さな声がここにある。
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