青海省地震レポート」カテゴリーアーカイブ

青海省地震レポート40

「被災地、玉樹の4年後。街はきれいになったけれど・・・」

2010年4月14日に発生した青海省地震からすでに4年が経った。CODEは青海省玉樹チベット族自治州称多県拉布(ラブ)郷でヤク銀行プロジェクトを実施している。先日2年ぶりに青海省の被災地を訪ねた。

標高3700mの中心の街、結古鎮の町は震災前の面影をまったく感じられないほどにきれいな街が大規模に再建されていた。町の中心にはホテル、政府庁舎、芸術センター、病院、学校などの巨大なビル群が立ち並んでいて、震災前の雑多な雰囲気はなく、どこか人のにおいのしない感じだ。街の北東に鎮座する結古寺(チベット仏教サキャ派)も町を見下ろすように再建されていた。

あるチベット人被災者の男性(40代)は、「表面的にはきれいな住宅が再建されたけどね。。。」と奥歯に物が挟まった言い方をした。よくよく来てみると「震災前より生活苦になった被災者も多い」という。震災前は無料だった水やガスが有料になり、電気代も値上がりしたという。それに加え、震災後に工場や野菜栽培のビニールハウスなどの事業を行っているのは皆、外部から来た漢民族で、チベット人には仕事の機会が以前にもまして少なくなったという。

住宅再建に関しては、政府は80㎡の住宅を無償で再建し、被災者に提供した。だが、家族の多いチベット人にとって80㎡は決して広くはない。「それ以上広い住宅が必要な場合は自己負担さ。」とその男性は語る。これまで一戸建ての広い庭でヤクや羊などの家畜を数頭飼っていた人たちは、燃料などをその糞で賄っていたが、再建されたマンション型の住宅では当然家畜を飼う事は出来ない。すべてをお金で購入しなくてはいけない。

すべてをお金に換算してしまう価値観によって失われつつある暮らしや文化がチベットにはあったが、それが復興という名のもとに奪われつつある。きらびやかに再建された町の復興の陰にはこのような現実がある。(吉椿雅道)

青海省1青海省2

青海省地震レポート37

CODE海外災害援助市民センターです。
スタッフの吉椿が青海省の被災地を訪れました。
引き続きレポートをお伝えします。
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青海省地震レポート37  (2012年 No.4)
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標高3700mの被災地、玉樹チベット族州結古鎮では、1年のうち8ヶ月が厳冬に閉ざされる。現在、この短い夏を利用して急ピッチな再建が行われている。
政府の大規模な復興事業の多くは、外部業者や出稼ぎ労働者によって再建工事が行われている。
避難キャンプのLさん(60歳男性)は、「この前新しく出来る家(マンション)の手伝いに行って来たんだ。」という。アルバイトにでも行ったのかと思うとそうではなく、そこに住む予定の住民たちと一緒に工事の手伝いを行ったという。「少しでも手伝ったら早く入居できるからな。」と行って、同じマンションに住む予定の住民とともに汗を流したLさんだった。
政府による復興計画では、被災者一戸あたりに80㎡の家(マンション)が無償で与えられる。だが、家族が10人以上という事が珍しくないチベット人にとっては、80㎡は決して広くは感じない。
「80㎡までは政府が無償で建ててくれるが、それで足りなければ後は自分で建てるしかない。でも、そんなお金ないから仕方ないよ。」とこぼすLさんであった。
(吉椿雅道)

青海省地震レポート36

CODE海外災害援助市民センターです。
先週お伝えしましたが、スタッフの吉椿が青海省の被災地を訪れました。
引き続きレポートをお伝えします。
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青海省地震レポート36  (2012年 No.3)
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現在、寨馬場キャンプには無数のテントが張られていて、約4万人の人が暮らしているという。
避難キャンプに住むLさん(60歳男性)は1年8カ月ぶりの再会を喜んでくれ、昼ご飯をご馳走してくれた。奥さん、子ども達の7人家族で二つのテントで暮らしているLさんは、高血圧と糖尿病で思うように働く事も出来ない。「今年も冬虫夏草を掘りに山に行ったが、体調崩してすぐに帰って来たんだよ。」とこぼす。
被災地、玉樹の最大の特産品「冬虫夏草」は毎年、5月から6月にかけて多くの人が山に掘りに行くほどの大事な収入源になっている。この時期に年収を稼ぐ人もいるくらいだ。
現在は、八一医院で医師として働く息子の収入と冬虫夏草に頼っている。避難キャンプでは、テントは政府によって支給されたが、電気やテレビ受信料などは個人で支払わなくてはならない。毎日、家(テント)にいて、食後の薬を複数種飲むLさんはどこか退屈そうに見えた。
(吉椿雅道)

青海省地震レポート35

CODE海外災害援助市民センターです。
先週お伝えしましたが、スタッフの吉椿が青海省の被災地に入りました。
引き続きレポートをお伝えします。
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青海省地震レポート35  (2012年 No.2)
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2012年4月14日発生した青海省地震(中国では、玉樹地震)。2年3カ月以上を経ても被災者の多くはテントで暮らしている。最大の被災地、結古鎮は僅かな夏を使って急ピッチな大規模再建が行われている。街に居るのはほとんどが再建工事関係の人ばかりで、被災者のほとんどは、数キロ郊外の賽馬場(夏の競馬祭りの会場である草原)の避難キャンプに移って行ったという。
寨馬場避難キャンプは、2010年に訪れた時よりも避難テントやプレハブが増え、入口からプレハブで作った仮設店舗が並び、その先に無数の居住テント群へと広がっている。
避難キャンプの入り口からスーパーマーケット、食堂、衣料品店、靴屋、仏具屋、コピー屋、旅館、風呂屋、ネットカフェなどなど日常生活に必要な店が軒を連ねている。「街がこっちに移ったようだ。」と思うほど、ここには非常に活気がある。まさに「仮の市街地」だ。長い冬で復興事業も中断を余儀なくされ、いつ終わるとも分からない中、今を楽しく生きようとしているチベット人の気風が感じられる。
避難キャンプでコピー屋を営むAさん(30代)は、結古鎮中心部で被災した。今の状況に対して「金のある奴がどんどんプレハブや家を建てていくのさ。」と語った。
(吉椿雅道)

青海省地震レポート33 地震から2年

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青海省地震レポート33 地震から2年
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あれから2年が経った。
2010年4月14日に発生したM7.1の青海省地震(中国では、玉樹地震と呼ばれる)では、死者2698人(一部では、1万人以上という話もある)、行方不明270人、被災者約24万人、倒壊家屋15000棟という被害をもたらした。
標高約3700mの被災地、玉樹は4月に入っても周りは依然雪山に囲まれている。
中国の報道によると、復興事業の843のプロジェクト(復興計画の66%にあたる)がすでに着工されたという。2010年7月より始まった再建工事は、厳冬期には工事を中断せざるを得ない事から実質の工期は12カ月にも満たないという。また、すべての建築資材を約800km離れた省都、西寧から輸送するのだが、途中5000mの峠を越える為に冬期には輸送困難となる。
総被災人口の40%を占める結古鎮では春を迎え、本格的な再建工事が再開され始めた。極度の乾燥と砂ぼこりの結古鎮では、足場の組まれたビル群で金属音と重機のエンジン音が鳴り響く。これまでの再建工事中に過労と高山病によって12名の作業員の尊い命が失われたそうだ。1年のうち7~8カ月が冬に閉ざされ、厳冬期はマイナス30℃まで冷え込むチベット高原での再建工事がいかに過酷なものかを物語る。
政府の発表では、2012年末までに結古鎮中心部の住宅再建を終える予定であるという。
現在、結古鎮近郊には、真新しいデザインの住宅が整然と並んでいる。これまで広い高原で悠々と羊やヤクを放牧させて暮らしていたチベット人にとってはどこか不自然な感じは否めない。
2年を過ぎた今、一部の被災者はすでに完成した住宅に入居しているが、未だ多くの被災者の方は震災直後とほとんど変わらない状態でテントで暮らしている。「家は完成したが、地震が恐くて、今でもテントで寝ている。」という高齢者もいる。
天空の被災地、玉樹では、2年を経てようやく再建工事が本格的に動き出したが、一方で震災直後とほとんど変わらない状態で暮らす被災者の人々とのコントラストが目立つ。
政府の発表では、2012年末までに玉樹州結古鎮の中心部の住宅再建を終える予定であるという。この春から夏が住宅再建のラストスパートとなる。2008年の四川大地震後、復興を急ぎ過ぎた事による弊害や矛盾が起きないよう配慮すべきである。
昨年、発生した東日本大震災では、これまでの支援国であるアフガニスタン、ハイチ、バングラデシュ、中国の方々から沢山のメッセージを頂いた。青海省からも被災地のチベット人の子ども達の描いた絵が約100部、東日本大震災の被災地、岩手県綾里中学校の子ども達に届けられた。この冊子はCODEが、玉樹で出会ったマレーシアの精英大学の心理の専門家と学生ボランティアによって作成された。冊子にはチベット高原の山、川、草原、馬、ヤク、チベット寺院、学校など、故郷の風景が沢山描かれていた。故郷を思う気持ちはどの被災地も同じである。この冊子を通してKOBE、青海省(チベット)、東北、マレーシアがつながった。
CODEの「ヤク銀行プロジェクト」が6月には青海省の被災地で動き出す予定である。
(吉椿雅道)
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被災地、玉樹のチベット人の子ども達
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子ども達の描いた冊子
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岩手県綾里中学の学生さん達
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現在の玉樹
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北京の対口支援によって建設された住宅

青海省地震レポート31

10月末、青海省の被災地、玉樹に戻って来た。
4か月ぶりの被災地の暮らしは、直後からほとんど変わっていない。変わったと言えば、街中で倒壊したそばでテントを張っていた人々が、避難キャンプに移動している事だった。
6月に会った被災者の人々の住む旧市街地、普棤達巷に向かった。そこはすでにガレキが撤去され、空き地になっているところが多かった。前回、会ったおじさんの家は、全壊には至っていなかったが、すでに跡形もなく更地になっていた。近所の方に聞くと、「そこの人は西寧に家を持ってるからそっちに行ったよ。」と教えてくれた。また、すぐ隣の方は、倒壊を免れた自宅をそのままにしてラサに行ったという。
その後、テントで暮らしている家族にお話を聞く事が出来た。
Aさん(40代男性)は、5000元(約6万7000円)で買った大きめのテントを自宅の敷地内に張り、家族6人身を寄せ合うように暮らしている。地震直後は、政府の指示で寨馬場のキャンプに避難し、その後、空港の避難キャンプに移るなど計4回の引っ越しを経て元の自宅に戻り、テントで暮らしているという。そして再建の準備が始まるので、いずれここを出なくてはいけない。今後の事を尋ねるとAさんは、「先のことはまったく分からないよ。」とつぶやいた。
持てる人はいち早く行き場を見つけ、持たざる人は未だ行き場もなく先の見えない不安を抱え、今を生きている。

青海省地震レポート30

四川省地震の救援プロジェクトで成都に滞在しているYさんが、10月半ばに青海省地震の被災地を訪問れました。6月に続いて二度目となります。そのレポートを数回にわたってお届けします。
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2010年4月14日 青海省玉樹チベット族自治州でM7.1の地震が発生してから半年の月日が流れた。本格的な冬を前に10月下旬、被災地、玉樹を再び訪れた。
身が締まるような寒さとカラカラに乾燥した空気が、標高3700mという高地を感じさせる。最大の避難キャンプである寨馬場(夏の競馬祭の会場)の草原には、6月に訪れた時の倍以上のテントがところ狭しと無造作に並んでいた。聞くと、6月に山に「冬虫夏草」を採取に行っていた無数の被災者が戻ってきた事だけではなく、結古鎮の街中で被災した人々が移動してきているという。「再建工事が始まるから引っ越ししないと」、「今月中に引越ししないと補助金がもらえないから」などの言葉のように、これまで倒壊した自宅の敷地内にテントを張って暮らしていた人々も鎮全体の再建工事でガレキは撤去され、徐々に他の場所へと移動せざるを得ない状況になってきている。
一方で、プレハブの仮設の建物も街中に増えている。至る所に「仮設建てます!」などの広告が張られている。寨馬場の避難キャンプでも、テントの横にプレハブの仮設住宅を建てている被災者の人や、中心部で商店やレストランを経営している人々も仮設を建て、営業している。経済的に余裕がある人は自力で仮設を建て、商売をし、徐々に自分の生活を取り戻そうとしている。
また、ラサや西寧に親戚を頼って、被災地を後にした人々も少なくはない。だが、ほとんどの被災者はテントのみで暮らし、一日何もやる事もなく暮らさざるを得ない。引っ越しで二転三転して、ようやく落ち着いても大してする事もなく、先の見えない不安ばかりが頭をよぎる。震災から半年、格差がはっきりしてきた。

青海省地震レポート29

「俺たちに心のケアは要らない。俺たちには仏教がある。」
震災後にある中国人の心のケアの専門家に対して、現地で十数年活動しているNGOのチベット人が語った言葉である。
2008年5月の四川大地震後、中国でも心のケアが注目され始め、青海省でもNGOや専門家がいち早く被災地に入って活動している。
チベットでは、7世紀にインドより仏教が伝来して以来、「生老病死」という四苦とどう向き合うのか、その為に菩提心を如何に持っていくのか、その歴史の中で当然「心」の問題を絶えず研鑽してきた叡智があるはずである。これは、中国人専門家にとってもチベット仏教における「心のケア」を学ぶ好機会になるのは当然の事である。
被災者のひとりKさん(40歳 女性)は、玉樹、結古鎮の旧市街の丘の上に住んでいる。震災で家は全壊し、生まれたばかりの子どもとガレキの中から救出された。今は家族親戚と身を寄せ合ってテントで暮らしている。Kさんに「つらい時はどうしているの?」と訊ねたら、当然のように「お経を読むのよ。」とすぐに返事が返って来た。
一方、被災者の暮らす避難キャンプには番犬であるチベット犬も沢山避難してきている。チベット犬は本来狩猟犬であった為、非常に獰猛である。一匹が吠え始めるとそれに反応するかのように次々に吠え始める。毎晩、犬達の大合唱で睡眠不足に悩まされていたのは僕だけではないはずである。
ある夜、テントで寝ていたら、いつものように犬達が吠え始めた。うるさくて眠れずにいると隣のテントから老人の読経が聞こえてきた。「読経を聴きながら眠りに就くなんて、なかなかない経験だなあ。」と思いながらウトウトし始めた時、いつの間にか犬達の鳴き声もやみ始めている事に気がついた。まるで読経の響きに犬達もどこか落ち着いてきたかのようだった。きっと犬達も突然の集団生活でストレスを抱えているのだろう。