青海省地震レポート25

玉樹で活動するボランティアも様々な思いを持って被災地に駆け付けている。
Wさん(30代後半 男性)は、地震発生直後からNGOのテントを拠点にボランティア活動を行っている。元々、西安で麺職人をしていたが、何らかの事情で仕事を辞め、休養を取っていた時に地震が起きた。たまたま時間のあったWさんは、玉樹へボランティアに行こうと思ったという。僕らが出会った時にはすでに避難キャンプのテントで50日以上寝泊まりしており、顔は真っ黒に日焼けして、地元のチベット人かと見間違える程であった。
「俺は何の専門もないけど。。」というWさんだが、最近はキャンプの被災者から「太夫(医者の意)」と呼ばれている。毎日、怪我や病気の被災者の住むテントへバイクを走らせ、薬の交換などを行っている。「ここに来た時は医療の事なんか全然分からなかったけど、少しずつ薬の事も分かってきたよ。薬の交換ぐらいなら俺でも出来るから。」とWさんは言う。
ある日、Wさんは、いつものようにバイクで薬を届けた帰りに、ある男性に呼び止められたそうだ。バイクの薬箱を見たその男性は、Wさんを引っ張るように自分のテントへと連れて行った。そこには足の怪我で寝たっきりの奥さんがいた。奥さんに何か薬がないかという事だったが、チベット語のまったく分からないWさんは、その後、通訳を連れて出直した時にその家族の置かれている状況が初めて分かって驚いたという。
その男性は、9人家族で、3人の子どもはこの地震で亡くなった。その男性1人分の被災証明書で支給される義捐金(1日10元)と食料(1日500gのお米)で残った家族6人が生活しているという。玉樹に戸籍を持っているのはこの男性のみで、他の5人はここに戸籍がない為に被災証明書がもらえない。皮肉な事に亡くなった3人の子どもは、3年前に就学などのために戸籍を買ったばかりだったという。また、文字の読めない男性は政府の発行する書類や支援に関する情報が分からない。戸籍が玉樹になくても被災証明書をもらった人もいる。政府補助の情報がこの男性のように末端まで届いていない事の証でもある。この男性は、これまでたった一人苦しい思いを胸に秘めていたのだろう、目に涙をいっぱい溜めて堰を切ったようにWさんに語ったという。
Wさんは自分達のテントからそれほど遠くない場所でこんな現実があった事に驚いたという。Wさんは、「俺たちボランティアには大した事はできないけど、目の前の事を精一杯やるしかない。」と最後につぶやいた。

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