青海省地震レポート21

7月14日、青海省地震から3カ月が経った。日本のメディアもわずかではあるが、被災地の現状を報道した。「誰がどこに入るのか決まっていない」、「今までの集落がバラバラになる」などの声も報じられた。(7月14日 北京共同通信)
6月初め、僕らが玉樹を訪れた際にも同じような声を聞いた。
玉樹の旧市街地、普セキ(てへんに昔)達巷は、なだらかな丘にへばりつくように一戸建ての住宅が集まっている。このあたりは、まともに残った家がほとんどないほど一面のガレキとなり、約150戸のうち、約30人が帰らぬ人となった。ここに暮らすKさん(40歳 女性)は、8年前に建てた家が全壊し、敷地にテントを張って家族3人と親戚で身を寄せ合って暮らしている。地震の際、生後33日の子どもと共に生き埋めになった。その後、救出してもらった時、赤ちゃんの息はなかったが、人工呼吸でかろうじて一命はとりとめた。今後の話を聞くと、「再建計画によっては、ここを移動しなくてはならない」とどこか割り切ったように語るKさんだが、「この土地は父母が残してくれた土地だから。。。」と本音もつぶやく。
 玉樹を去る前日に再び訪ねた際、軍によって周辺の家屋のガレキが一気に撤去されようとしていた。ガレキの撤去が始まったらどこに住むの?と尋ねると、「丘の上の空いた所にテント張るよ」と言う。
 また再びこの土地に戻ってくる事が出来るのか分からない。また、家族の多いチベット人には、再建後、政府の提供する80㎡の住宅では小さすぎるという声も多く聞いた。
急ピッチに進む復興計画。奇しくも現在、青海省政府の代表団が来日していて、神戸や中越を視察している。是非とも政府の方々には日本の成功事例だけでなく、復興の過程でコミュニティーがバラバラになってしまった事例もしっかりと学んでもらい、始まったばかりの玉樹の復興に活かしていただきたい。

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