ムザファラバードの現地NGOが支援しているKatkair村を訪ねた。市街地から約三時間。山の斜面にへばりつくように建っている家々を見ながら、デコボコの未舗装の山道を進む。このKatkair地区は7つの村からなり、3000世帯、約2万2千人が暮らしている。その中心であるKatkair村(700世帯、約5300人)に到着すると地区長や村長などのリーダー達が出迎えてくれた。
この村ではオランダのNGOの協力で住宅再建を行っている。建設中も含め、すでに450棟建てている。UNなどのアドバイスでトタンなどの軽い屋根を使い、壁は下部を伝統的な石組みで積み、上部は軽い素材を使う事で崩れても下敷きになって死ぬ事はないという。家屋の耐震性には疑問も多いが、それなりの工夫はされているようだ。
ここでは1棟の家(7万RS、約14万円)を6日間かけて4人の大工、2人の石工、10人のボランティア(地元住民やムザファラバードの学生など)で一緒に建てているそうだ。その為か、地元のリーダーや住民の関心が非常に高い。日本の神戸や中越などの経験を話すと穴が開くぐらいにじっと顔を見て、話しに聞き入っていた。「こんな経験は初めてなので地震大国、日本の復興の経験を共有したい」という声も聞こえた。今後、石工のトレーニングを考えているらしい。「外国のNGOは災害救援の経験があり、地元のNGOは地域の状況を把握しているので、一緒にやれるといいね。」と現地NGOの代表が言っていた。
「パキスタン北東部地震」救援募金にご協力下さい
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月別アーカイブ: 2006年5月
つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.22
カリアバードから更に山奥へと谷沿いの道を車で走らせる。両側の急斜面には家が点在する。同じような景色がどこまでも続く。「どうしてこんな山の斜面に暮らしているのだろう」とつい思ってしまう。山の方が生活費が安いからだという話も聞くが、きっとそこに住むには何かしらの理由があるに違いない。
カリアバードから数十分の所のラムニアン村に立ち寄ってみた。約900世帯、4500人が暮らしている。地震前、村で小さなレストランを経営していたManzoorさん(54歳)は、現在は全壊したレストランから引っ張り出した木材を使って小屋を建て、ささやかな商店を営んでいる。また一ヶ月後には同じようにガレキの中から拾い集めた資材を使って仮設の家を建てたそうだ。7000RS(約1万4000円)かかったという。お金がないのでまた仮設のレストランを建てるしかないとつぶやいていた。
彼が言うには、政府は現在、被災者が恒久的な住宅を建てる事にストップをかけているらしい。それは政府の推奨する耐震工法の普及の為なのかは不明ではあるが、、、被災者の人にしてみてもその工法を採用するとお金がおりるという状況もある。村には、アフガンのジルガのような自治組織もあるようだが、基本的には政府の言うことに従うという。
「従う」という表現を使っていたが、それはどうゆう意味を含んでいるのかは分からないが、この山の奥の小さな村のたった一人の被災者の声の届く復興政策であってほしい。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.21
ムザファラバードでは、三月末にテント村が閉鎖されるのを機に元いた村に帰る人々が出始めた。「どうして帰らなくてはいけないんだ。」「早く村に帰りたい。」「帰ってどうやって生活しようか。」「テント村を追い出されるようだ。」とそれぞれの思いを胸に抱えながら。。。そんな中、「CAMP JAPAN」で暮らしていた被災者家族の帰還に伴って村に連れて行ってもらった。車で山道を約1時間半。カリアバードという集落だ。道路から急な斜面の谷沿いに点々と家が建っていて、日本でいう村とは少し違う印象を受ける。
Qazi Shafeer Ahmedさん宅でお話を聞いた。おばあちゃんから孫たちまで4家族、23人で共に暮らしていて、若い人は石工などの仕事をし、女性たちは自家消費用の米、小麦などの作物を作ったり、牛(この地震で5頭亡くなった)や鶏などの家畜を養って生計を立てている。ほとんど全壊した家のすぐ横に元々家を建てる為に買っておいた木材を使って仮設の小屋を建てていた。
食料は地震前からストックしていたのでほとんど困らなかったらしいが、地震後2,3日、山の水が出なくなったという。今は時折出てくる水を生活用水として使っているそうだ。
地震による被害は数字には換算できない様々な形で彼らの暮らしに影を落としている。彼らの暮らしをじっくり知ることから始めるしかない。その中にこそ復興へのヒントがあるのかもしれない。
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