月別アーカイブ: 2006年3月

つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.12


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【写真】キャンプ・ジャパンの様子

3月 ムザファラバード
 ムザファラバード市内からインド国境方面へ西へ約20分、日本のNGOがマネジメントする「Camp Japan」がある。久しぶりに訪ねた。
この数日の悪天候で、元々田畑であったテントサイトはドロドロだった。少しテントサイトを回ってみようと思ったら、一人のおじいさんがウルドゥー語で何かを訴えかけて来た。何を言っているのか全く分からなかったが、彼の身振り、表情や単語から察すると、「何でこのテントを出なくてはいけないんだ」「お金がないんだよ」と言っているように感じた。今月末で一応このテント村も閉鎖ということになっている。
PWJ(ピース ウィンズ・ジャパン)の方に聞くと、明日から帰還が始まるという。一部の家族は村に帰りたいと言い出したらしい。現実的に帰ることができない人もいる。その人々が「追い出される」という感覚を抱いてないといいが・・・。
「パキスタン北東部地震」救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930-0-330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「パキスタン地震」と明記してください。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.11


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【写真】(上)マディナ・マーケット
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【写真】(上)数分前に倒壊したビル
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【写真】(上)焼失したテント

3月 ムザファラバード
 ムザファラバードは、その州の名の如く「カシミール・ショール」などで有名な街だ。
その中心バザールである「マディナ・マーケット」は、今、活気を取り戻しつつある。
色とりどりのショールやドレスなどを売る洋服店、
綿やシルクなどの布地屋、仕立屋、どこも女性の客でにぎわっている。
このマーケットでは、日頃、あまり見かけない女性達を多く見かける。
美に対する意欲は、世界中どこでも同じだ。
そんなマーケットの中でも、活気を取り戻したエリアと、
今やゴーストタウンのようになってしまったエリアもある。
財、地位などの力のある者は、自力で再建していく。
そして、その陰に多くの「取り残され感」を抱いている人々もいる事を忘れてはならない。
 テント村に毎日通う。途中、メインバザールを通っていくのが楽しみのひとつでもある。
かつて、ここがどれだけにぎわっていたかが想像できるくらいに活気がよみがえりつつある。
が、今日、いつもの道を歩いていると様子がおかしい。
妙にほこりっぽい。
石段を上がってみると、バザールの一角のビルがほんの数分前に倒壊した。
人々が騒いでいる。どうやら三人ほどがケガをしたらしい。
日本のように家屋調査士が危険度を判定しているわけではない建物で、
人々は営業を再開したり、暮らしたりしている。そうするしか出来ない現実もある。
その後、テント村へ行ってみると、子どもたちがこっちこっちと手を引く。
行ってみるとそこに真っ黒焦げになったテント、家財道具が横たわっていた。
前夜、電気のショートでテントに火がつき、隣のテントを含め二つのテントが焼失した。
幸いケガ人は出なかった。地震によって二次的被害は今もなお続いている。
今朝、早朝、地震があった。震度どのくらいだろうか。
週に何度か降る雨、そして余震……、人々はそれでもたくましく「今」を生きている。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.10


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【写真】大学跡のテント村

3月 ムザファラバード
 アザード・ジャンムー・カシミール州(AJK)の州都であるムザファラバードでも、あの地震によって多くの被害が出た。死者4万3000人以上、負傷者3万人以上。そして数十万、数百万の被災者の人々は、五ヶ月が過ぎた今でも、テントで暮らしている。厳冬の時期を乗り越えて来た人々にとって、今、新たな転換期に来ている。AJK州政府によると、3月末には、全テント村を閉鎖すると言う。政府は行き場のない人々に、代替地を用意していると言う話もあるが、多くは元暮らして
いた村、街へと戻る事となる。
その村でどんな”暮らし”が待っているのだろうか。
 大学のグランドにあるテント村で暮らす、ユーセフミールさん(35歳)は、奥さん、三人の娘さん、ひとり息子さんの6人家族だ。街から見ると山の斜面に地すべりを起こしたエリアが目に入る。チュタキアン村だ。ユーセフミールさんはその村から避難してきた。地震の際に足をケガして、今なおベットに横になっている。歩く事はおろか、立つ事も難しい。NGOから提供された車イスを使っている。今月末(あと二週間ほど)には、ここを出て行かなくてはならないが、彼らの住んでいたチュタキアン村は、危険エリアなので帰る事が出来ない。「今後どうしようか未だ決まっていない」と顔を曇らせる。
「政府はまったく何もしてくれないよ」とベットの上でつぶやいていた。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.9

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【写真】バンブー(竹)ハウス

3月12日 バラコット
 バラコットでは街の至る所で家が再建されている。
ほとんどの家屋が角材を骨組みに使ったものだが、
竹を使って建設している家を見つけた。
しっかりした竹を骨組みに使い、壁の上部や天井は編んだ竹を使っていた。
パキスタンにもこんなやり方があるのかと驚いて聞いてみたら、竹はビルマから輸入したものでバングラデッシュの大工の指導で建てられていた。竹は一本600RSし、一軒に48本使うそうだ。
その他、セメントやトタンなど含めると総額250,000RS(約50万円)かかるそうだ。現場スタッフが言うには、
この家は、パキスタン空軍が資金を出してパキスタンのコンサル会社が無償で建てているそうだ。それにしても高い。バラコット周辺には細い笹竹くらいしか見当たらないが、パキスタンの竹は、細くてあまり良くないと言っていた。ちなみに壁や天井に使っていた、すのこ(細い笹竹を使ったもの)はパキスタン製で
1m×4mで1000RSするらしい。いずれにしても安くはない。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.8


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【写真】(上)金曜日のテント小学校
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【写真】(上)ムニールさん(左から二人目)とガラット村の人々

3月 バラコット
 金曜日のテント小学校は一日歌を唄って過ごす。
春の陽気でテントの中は暑い。約40人の生徒の中には弟を子守している女の子もいる。一人、二人ずつ前にでて恥ずかしそうに思い思いの歌を唄う。知っている歌は皆で大声で唄う。春の陽気でテントの中は暑い。弟を子守している女の子もいる。彼ら彼女らの幼い心はこの震災をどのように受け止めているのだろうか。あの子たちの未来にとってより良い復興をただ希うばかりだ。
ムニールさんは今は地震で全てを失ってしまったが、実は震災前の自宅は部屋が32もある二階建ての豪邸?に住んでいた。今はガレキになった広い敷地が、それがあながち嘘ではない事を思わせる。これからこの敷地に三つの小屋を建てるという。角材は友達の業者から買うそうだ。山の斜面に見えるマツの森林は国有林で当然伐採する事は出来ないが、業者は夜中にこっそり伐って来るそうだ。当然違法である。ムニールさんも政府から25000RSをもらっているが、
「そんなもん今住んでるシェルターの費用と生活費であっという間に無くなったよ」と言って笑っていた。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.7

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【写真】(上)細い角材を使った家の骨組み
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【写真】(上)建設中のサブルンサンさんの家

3月 バラコット
 再びバラコット。お馴染みムニールさんの案内でガラット村をじっくり歩く。山の麓の斜面に広がる村は今、ガレキの中から立ち上がろうとしている。
細い角材を使った家の柱の骨組みをよく見かける。これまでてっきり仮住まいの小屋と思っていたが、どうやら本格的な家のようだ。
じっと観察していると自慢げに俺の家だと言わんばかりに男性が寄って来た。サブルンサンさん(46歳)。大工である弟さんと共に現在、二軒を建設中だ。角材の骨組みに窓枠などを取り付け、レンガとコンクリートで壁を張っている。屋根はトタンを張るという。ふたつの部屋にキッチン、トイレの間取りだ。聞くと角材一本150RSするという。資材だけで85000RSはかかったと。
その他全て含めると150000RS(約30万円)かかるらしい。かなり高額だ。
しっかり作られてはいるが、耐震性を考えると疑問も多い。これだけのお金と労力をかけて作るならそこに少しの耐震の智恵を入れる事でより強度を増すのではないか、そんな事を思った。サブルンサンさんもやはり政府からの25000RSしかもらっていないと。政府の耐震構造を採る場合の25000RSの話をバラコットではあまり聞かない。そんな事待っていられないというかのように人々は自力で再建しようとしている。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.6

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【写真】(上)大学グラウンドのテント村
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【写真】(上)テント村に住む子どもたち

3月8日 ムザファラバード
 前回訪れた大学グランドのテント村に行ってみた。半分は完全に空き地になっていて、もう半分にテントが密集していた。英語の話せるマリックくん(20代)に出会う。彼自身も家族と共にこのテント村で暮らしている。家は近郊のタルカバードという街にあり、全壊したそうだ。彼が言うにはこのテント村には85世帯、約1000人が暮らしていて、相変わらずひとつのテントに二家族が入っているという。元の村に戻ったりと、このテント村を出た人も多い。一、二か月前がとても寒かったと。
今月末にはここを出て、政府が用意する場所へ移転しなければならない。また政府による一時金25000RS(約5万円)は先月やっと受け取ったそうだ。新しく家を建設する際、政府の決定した耐震構造を採る場合は25000RSが支払われる事になっているが、テント村を出て、家をすぐに建てられる人がどれだけいるのだろうか。元暮らしていた場所(山の斜面など)に再び家を建てる事が出来るのか。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.5

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【写真】(上)テント前に石畳を作ったり花を飾ったりしている
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【写真】(上)キャンプ・ジャパンの様子

3月8日 ムザファラバード
 三か月ぶりにカシミール州のムザファラバードへと向かった。街は以前より活気づいていた。時おりそのままになったガレキを見かける。
市街地を抜けてインド側国境方面へ車を十分ほど走らせると
「CAMP JAPAN」の旗が見えて来る。
全体を統括しているピース ウィンズ・ジャパン(PWJ)の
西野さんにキャンプを案内してもらった。
ちょうど今日は国連の婦人デーということで歌や踊りなどの
イベントの準備に追われていた。
このキャンプには250世帯、約1700人が暮らしていて、
各ブロック毎に共有のキッチン、水くみ場、洗濯場が設けられている。
テント前には石畳を作ったり、花を飾ったりととても落ち着いている暮らしが伺える。
居心地の良さに帰りたくなくなる人も出るだろう。
だが、カシミール州政府は今月末には全テント村を閉鎖すると発表している。
今後、どれだけの人が取り残されていくのだろう。
「CAMP JAPAN」を運営するジャパン・プラットフォームの参加団体である
PWJ、日本紛争予防センター、日本国際民間協力会などは
今後も耐震の家屋建設も考えているようである。
その際に恒久的な家屋か、又は、一時的な家屋を建設するのか?
キャンプの住民のニーズとしては一時的な家屋のニーズが高いようだ。
一時的な家屋でどこまでの耐震の強度を増す事が出来るのか、
また彼らが本来持っていたであろう伝統的な工法はどのようなものなのか、
調査の必要がある。
本来そこにあったものを今一度掘り起こすひとつの良い機会になればと思う。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.4

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【写真】(上)強風で倒されたテント
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【写真】(上)ムニールさん(右)と友達の男性

3月7日 ハングライ村、バラコット
 再びバラコットのムニールさん宅を訪れた。昨夜の強風で倒された隣のテントを皆で修理していたので一緒に手伝う。そのあたりのガレキの中から使える針金などを拾って来てうまい具合に補修する。作業後、チャイを飲みながらお話をお聞きした。
友達の男性は奥さん、子供(3歳)、親戚を亡くし、今はムニールさん達と一緒に暮らしている。財布の中に亡くなった息子さんの写真をそっとしたためていた。ムニールさんも弟たちを亡くし、他の親戚も他の街に出て行ってしまって、ひとりぼっちなので友達が心配して訪ねてくれると言う。確かにいつも誰かいる。行き場を失った者同士がここで身を寄せ合って生きている感じがした。ムニールさんは来月結婚されるそうだ。それでこんな風なしっかりした家を作ったのだろう。家族を失った者は、こうやってまた家族を作っていくしかない。
最後にムニールさんは
「俺は人が死ぬところや家が崩れるところを見た。これ以上怖いものは何もないよ。」
とチャイをすすった。
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つぶやきレポート「パキスタン被災地の今」 Scene.3


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【写真】ハングライ村

3月7日 ハングライ村、バラコット
 バラコットより車で一時間ほどのハングライという村へ入ってみた。生憎の天気でかなり寒い。斜面に身を寄せ合うように小屋が建っていて、村の若者が片言の英語で少し案内してくれた。400人の人口のうち100人が亡くなったそうだ。
パキスタン軍のくれたトタンで作った小屋の間を抜けると、潰れた学校、モスクなどの元の集落が見えて来た。ほとんど地震直後のままだった。市街地とはあれほど撤去が進んでいるのに。帰り際にひとりの老人がここを見たか!と言わんばかりの顔つきで「ここには何の救援もなかったんだ」と言ってきた。
そこから先の道は今もなお不通のままだ。
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