パキスタン北東部地震 第1次派遣 vol.4

大変遅くなりましたが、11/25~12/5のパキスタン第1次調査に通訳として同行したCODEのアルバイトスタッフ岡本千明(大学生)のレポートを数回に分けてお送りします。
「大切なのは、土地の文化こそがその土地で最適なやり方を実践してきたのだからそれを尊重して活かし、そこに住む人たちの知恵を使って人々自身が復興してゆくということだということを教わりました。村で話した人々にとってもCODEのこのスタンスは印象的だったようで、話し合いが終わった後にも関心を示してくれた人がいました。これは、土地の文化を利用するのが効率的で有機的だからプロジェクトが成功しやすいという手段としての意味だけではなく、それがコミュニティの自信につながったり、力関係を調整して自立を促したり、支援者側の価値観に一元化せず多様性を守ることにもなるのです。」という彼女の(被災地)初体験を読んで下さい。
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<バラコット>
被災が最も大きかった街バラコットの様子です。拠点としたマンセラという街からバラコットへの途上はのどかです。一面の段々畑に土屋根の家が点在し、子どもが遊び、女性が洗濯をしています。燃料用の家畜の糞を薄く丸い形に伸ばして干してあります。時折水瓶を頭に担いだ女性が通ります。羊の群れを連れた牧人ともすれ違います。しかしバラコットの市街地が近づくにつれて、モノクロ写真を見ているかのように色が失われます。一面瓦礫の灰色です。壊れていない建物はないと言ってよいほど破壊しつくされています。瓦礫を見ると何かが当たって砕け散ったようですが、「一枚」の壁が粉々になったというのではなく、もともと平たい石やれんがを積み上げてモルタルを塗っただけなのでそのひとつひとつがばらばらになっているのです。そこにかつて何があったか、外部者が想像するに足る面影はありません。
けれども当然のことですが、人々の暮らしはずっと続いています。壊れたモスクに入れ替わり立ち代り男性が礼拝に訪れます。なお信仰の中心なのです。瓦礫のなかですでに八百屋が営業しており、夕食の材料を求めてか、女の人が買い物に来ていました。テントでも自炊ができるようです。その他にも小売店がスナックやジュースを売っています。チャイ(ミルクティー)や、パコラと呼ばれる揚げ芋など軽食を出す屋台もあります。それらは男性で賑わっています。テントばかりのなか、木で家の骨組みを作っている家族を見かけることもあります。屋根型(三角形)や箱形に木を組んで、トタンを張り、自分で仮設住宅を作っているのです。
一面に道を塞ぐ瓦礫を踏み分けて少し開けたテントの集落にたどり着きました。男性と、1歳にならないほどの赤ちゃんが椅子に座っており、話しかけると中を見せてくれました。台所用と寝室用のテントの他に、木とトタンで作った1.5m四方ほどの小屋があり、奥さんが薪で火を炊き食事を準備していました。奥さんは震災でけがをして、腕が痛いのだと教えてくれました。最初はしみかと思ったのですが、顔にも傷を負っていたのでした。気にしているようで2、3度顔の傷のことを言っていました。夜寒いので困っていると言います。彼女は主婦で、家事以外に仕事はしていません。学校には行かなかったそうです。しだいにうちとけてくれてチャイを勧めてくれました。ここでは親戚一同が寄り添って住んでいます。学校の先生をしているムニールさんは、日本の支援に感謝しており、それを日本に伝えて欲しいと言いました。ラジャ・ウィコス君(20歳)は、全壊した彼の家へ案内してくれました。彼のお兄さんは足を怪我して今歩くことができず、テントでベッドに寝ています。お兄さんの奥さんと子ども3人は亡くなりました。
ナディ・ムーシャさん(35歳)が話を聞かせてくれました。この辺りはガラット村というらしく、人口1万人ほどだったが800人ほどが亡くなったと言います。また、ムニールさんによると、川の上流のナラーン、カガーンという街の人たちがバラコットに下りて来ているそうです。イスラマバードなど大都市に行ってしまった人も多く、つまりそこにいる人がもともとの土地の人ではないという現象が起きています。なんでも、ナラーン、カガーンはパキスタンのスイスと呼ばれる美しいところで、その入り口であるバラコットも観光業がさかんだったようです。これを聞いて後日、上流の方の状況を見るためにカガーンまで行ってみることにしました。しかし途中、道が崖崩れで埋まっていてそれ以上先へは進めませんでした。雨などにより地盤がゆるんでいるので、このような二次的な被害も出ているようです。
市街地から車で5分ほど山手の方へ向かいました。収穫後のトウモロコシ畑をテント村にしています。地元の人ばかりでなく、周辺の山からも下りてきた人もいます。車から降りるやいなや手招きしてくれた女性がいたので近づくと、こんにちはも言うか言わないかのうちに私をぎゅうとすごくきつく抱きしめ、よく来たよく来た、というふうにテントへ招き入れてくれました。この家では親戚どうし50名ほどが7つのテントで暮らしています。つぶれた家がそのすぐ横にあります。男性たちはエンジニアやドライバーをしています。山羊と鶏を飼っていますが、ミルクや卵はその量からして自家消費用のようです。子どもはみな学校に通っていましたが、年長の女性では教育を受けていない人もいます。私が去ろうとすると、「え、行くの…」という期待はずれの空気が漂ったような気がしました。何かをくれるのだろう、提案をするのだろうという期待があったのかもしれません。ひとりの男性のあきれたような視線に居心地が悪く、思うことがあれば教えて欲しいと言うと、「どのような形で助けてくれるのか」と訊かれました。CODEの中長期的な支援の理念を話したけれど、あまりわかってもらえたようではありませんでした。
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