医療ケアを必要としている被災者の中でも高齢者の比率は高く、医療機関へのア
クセスが困難なことや、多くを失った喪失感などの困難を抱えていることが伝え
られています。伝統的な埋葬や追悼を行うことができないことが高齢者の大きな
心の重みとなっていることは、今後の復興プロセスにおいて1つの重要な要素と
なるのではないかと思います。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。>
情報源:HelpAge International
日付:2008.6.11
「ミャンマーの高齢者に対する極めて重要な医療支援の提供」
HelpAge International(注1)と地元パートナーのYMCAは、高齢のサイクロン
被災者に医療的ケアを提供している。Mobile Medical Unit(移動医療隊)はエ
ヤラワディデルタのKyaik Lat郡区からやって来た5,000人の診察をした。患者の
症状は、下痢、急性呼吸器感染症、皮膚病、眼病、心的外傷、そしてそのほかの
けがなどである。これらの健康の危険は衛生状態の悪さと汚染された水によって
増加する。医療スタッフが見たところ、患者の40%が高齢者であった。
「われわれの移動医療隊が診察した中で高い割合を占める高齢者は健康問題に直
面しており、必要とする医療を受けるために長距離をやってくるエネルギーと機
動力がないことがしばしばである。関節炎やリューマチのような高齢に伴う健康
状態には特別な治療が必要である。これらの移動医療隊は多くの高齢者にとって、
健康ケアを提供してくれる唯一の手段となっている。我々は、被災地のより奥へ
入って行って、老人や弱い人々に会うことを望んでいる。地元でのNGOの活動に
対する国連の協力組織であるHealth Cluster(注2)と連絡を取り合い、より拡
大した支援の努力において高齢者の健康に対するニーズが認識されるようにした
い。」とHelpAge Internationalの緊急援助マネージャーのBill Grayは言った
Kyaik Latからの最初の調査では、家族や家や生計を失ったことによる心的外傷
にうまく対処する心理学的なサポートが高齢者のあいだで特に必要であると強調
していた。現在の状況においては、伝統的な埋葬や追悼のプロセスを行うことが
できないことが、この状態をいっそうひどくしていた。
HelpAge InternationalとYMCAのボランティアは米や衣服を含む救援物資をKyaik
Latとその隣のMaubin郡区の1万人以上の人たちに届けた。彼らはすでに2つの学
校の屋根を修繕して避難所として使っていた。
ヤンゴン管区ではHelpAge KoreaとYMCAが5年以上にわたって家庭援助プログ
ラムを行ってきた。このプログラムに参加している高齢者は、家を再建するため
の基本的な物資と材料を買うための136米ドルの送金をそれぞれ受け取った。
HelpAge Internationalは支援活動に対する基金を積み立ててきたHelp the Aged
(注3)というパートナーに支えられている。
(注1)HelpAge International イギリス(ロンドン)拠点、高齢者支援団体
(1983年~)
(注2)Health Cluster WHO指揮下で実働する30以上の国際人道保健団
体の集まり
(注3)Help the Aged イギリス(ロンドン)拠点 高齢者支援団体
(1961年~)
ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュースNo.25
緊急支援のための専門のノウハウを持つNGOによる技術トレーニングと
物的支援によって、地元の医師が医療ケアを行っているレポートです。
このような地元の医師が他の地域にもノウハウを伝えていく、それを
後方から支援するという形を作っていくというのが望ましい形ではないでしょうか。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。>
情報源:UNDP(United Nations Development Programme:国連開発計画)
日付:2008.6.10
「UNDPの医師のある村での診療」
サイクロンナルギスが上陸してからというもの、Lwin(55)は毎朝5時に起き、
朝の祈りを済ませた後、患者の診察を始める。患者達はUNDPがBogale郡区にある
事務所に開設した一時診療所まで長い道のりをはるばるやってきていた。
彼はここでの診察を終えると、ライフベストを着て、UNDPがちょうど数週間前に
手に入れたディーゼルエンジンのボートに乗り込む。彼はそのボートに初めて乗
ったときびっくりしたのを覚えている。そのスピードはボートがひっくり返るか
と思うほどだった。しかし、彼が行くことが生存者にとって医療ケアを受けるた
った一つの機会となっている遠く離れた村までの所要時間を約半分に-5時間か
ら2時間引いた3時間に-した。
サイクロンの前、彼は北部ミャンマーのマンダレー管区のUNDP統合地域発展プロ
ジェクトで働いていた。そのプロジェクトは。診療所の小規模な復旧と同時に、
リプロダクティブヘルス(性と生殖に関する健康)と基本的な衛生トレーニング
をコミュニティに提供するものであった。サイクロンによる徹底的な破壊を受け
て、UNDPとその実施パ-トナーであるPACTは、陸路と水路との行程をたどって、
デルタへ少人数の医療チームを派遣し、2万人以上傷ついたと公式に発表されて
いる人々の多くを診察した。Lwinは医学の専門知識で地域を支援しようと自発的
にBogaleへやって来たのだった。
彼の小屋では、この3週間で11の村や町の約1300人の患者を診察した。彼らの多
くは全身の脱力感、栄養失調、皮膚感染症、腹痛などに苦しんでいる。発熱があ
るときでも、マラリヤによるつらさであるのかを彼は告げることができない。血
液検査なしに診断を確定することはできないから、と彼は言う。その代わり、彼
は持ってきた薬を投与し、衛生キットとマルチビタミンを渡す。薬品と、歯ブラ
シ・歯磨き・石鹸・タオルなどが入った『家族キット』とは、UNDPとMedicins
Sans Frontiere(注1)のようなNGOとBogale郡区組合などから渡されたものだっ
た。「たいていの場合、私は患者たちの爪を切らねばならない。汚い手で食事を
することで腹痛を起こすからだ。今では爪切りが慣例になっている。」と彼は言
った。
ある時、彼はたくさんの注射器を受け取った。しかし、ある村に着いてからその
注射器に針がついていないのに気がついた。当然のことながら彼は持ってきた点
滴を使うことができなかった。
サイクロンは12フィートの高さまで水位を上げ、飲料水を提供していた多くの池
を飲み込んだ。そのため、人々はココナッツの汁を生き延びるために飲んでいた。
近くの僧院の僧は米を分けてくれた。多くの村人達は自分の服を何も持っていな
いので、亡くなった人が埋葬される前にその身体から服をとっていかざるをえな
かった。支援団体は近づくのに制限があるため、郡区の580以上ある村の約半分
にしかたどり着くことができていない。Lwinは避難所や食料の必要性が満たされ
ているのかと一度は疑問に思ったが、村人達に健康の知識をあたえることになる
であろう簡単で基本的な衛生プログラムを展開させることができた。
マンダレーにおいて、UNDPは彼にオートバイではなくモーターボートを渡してい
た。それで彼は330以上の村の患者を診察することができた。「私のボートはと
ても早い。とても疲れているけれど、私が支えてあげられることをとても幸せに
思っている。」と、微笑みながら彼は言った。
(注1) Medicines Sans Frontiere(国境なき医師団) スイス(ジュネーブ)に拠点を置く
緊急医療支援を行う国際人道支援団体(1971年~)
ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュース No.25
緊急支援のための専門のノウハウを持つNGOによる技術トレーニングと
物的支援によって、地元の医師が医療ケアが行っているレポートです。
このような地元の医師が他の地域にもノウハウを伝えていく、それを
後方から支援するという形を作っていくことが望まれます。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。>
情報源:UNDP(United Nations Development Programme:国連開発計画)
日付:2008.6.10
「UNDPの医師のある村での診療」
サイクロンナルギスが上陸してからというもの、Lwin(55)は毎朝5時に起き、
朝の祈りを済ませた後、患者の診察を始める。患者達はUNDPがBogale郡区にある
事務所に開設した一時診療所まで長い道のりをはるばるやってきていた。
彼はここでの診察を終えると、ライフベストを着て、UNDPがちょうど数週間前に
手に入れたディーゼルエンジンのボートに乗り込む。彼はそのボートに初めて乗
ったときびっくりしたのを覚えている。そのスピードはボートがひっくり返るか
と思うほどだった。しかし、彼が行くことが生存者にとって医療ケアを受けるた
った一つの機会となっている遠く離れた村までの所要時間を約半分に-5時間か
ら2時間引いた3時間に-した。
サイクロンの前、彼は北部ミャンマーのマンダレー管区のUNDP統合地域発展プロ
ジェクトで働いていた。そのプロジェクトは。診療所の小規模な復旧と同時に、
リプロダクティブヘルス(性と生殖に関する健康)と基本的な衛生トレーニング
をコミュニティに提供するものであった。サイクロンによる徹底的な破壊を受け
て、UNDPとその実施パ-トナーであるPACTは、陸路と水路との行程をたどって、
デルタへ少人数の医療チームを派遣し、2万人以上傷ついたと公式に発表されて
いる人々の多くを診察した。Lwinは医学の専門知識で地域を支援しようと自発的
にBogaleへやって来たのだった。
彼の小屋では、この3週間で11の村や町の約1300人の患者を診察した。彼らの多
くは全身の脱力感、栄養失調、皮膚感染症、腹痛などに苦しんでいる。発熱があ
るときでも、マラリヤによるつらさであるのかを彼は告げることができない。血
液検査なしに診断を確定することはできないから、と彼は言う。その代わり、彼
は持ってきた薬を投与し、衛生キットとマルチビタミンを渡す。薬品と、歯ブラ
シ・歯磨き・石鹸・タオルなどが入った『家族キット』とは、UNDPとMedicins
Sans Frontiere(注1)のようなNGOとBogale郡区組合などから渡されたものだっ
た。「たいていの場合、私は患者たちの爪を切らねばならない。汚い手で食事を
することで腹痛を起こすからだ。今では爪切りが慣例になっている。」と彼は言
った。
ある時、彼はたくさんの注射器を受け取った。しかし、ある村に着いてからその
注射器に針がついていないのに気がついた。当然のことながら彼は持ってきた点
滴を使うことができなかった。
サイクロンは12フィートの高さまで水位を上げ、飲料水を提供していた多くの池
を飲み込んだ。そのため、人々はココナッツの汁を生き延びるために飲んでいた。
近くの僧院の僧は米を分けてくれた。多くの村人達は自分の服を何も持っていな
いので、亡くなった人が埋葬される前にその身体から服をとっていかざるをえな
かった。支援団体は近づくのに制限があるため、郡区の580以上ある村の約半分
にしかたどり着くことができていない。Lwinは避難所や食料の必要性が満たされ
ているのかと一度は疑問に思ったが、村人達に健康の知識をあたえることになる
であろう簡単で基本的な衛生プログラムを展開させることができた。
マンダレーにおいて、UNDPは彼にオートバイではなくモーターボートを渡してい
た。それで彼は330以上の村の患者を診察することができた。「私のボートはと
ても早い。とても疲れているけれど、私が支えてあげられることをとても幸せに
思っている。」と、微笑みながら彼は言った。
(注1) Medicines Sans Frontiere スイス(ジュネーブ)に拠点を置く
緊急医療支援を行う国際人道支援団体(1971年~)
ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュースNo.24
前回に続くセーブ・ザ・チルドレンとユニセフの活動レポートです。貧困など家庭の事情よって
子どもが学校に通いにくいという状況が伝えられています。なかなか難しいこ
とかもしれませんが、この度の災害を機に子どもへの教育、また今回の災害
の経験を共有し、大人も共に学び、その教訓を次の世代に語り継いでいくこと
の大切さを広めていくことが、国外から現地へ入っていくNGOの1つの大きな
役割になると思います。
情報源:IRIN(UNOCHA-Integrated Regional Information Networks :国連緊
急援助調整官室―統合地域情報ネットワーク) 2008.6.6レポートより抜
粋要約
ミャンマーの教育当局者によると,以前は110万人以上の子供達が通っていた
4,000以上の小・中・高等学校がサイクロンによって被害を受けたり壊れたりし
たということだ。全国的には6月2日に学校は再開され、またデルタ地帯でも比
較的大きな町の学校では再開の準備がされている。しかしデルタ地帯とヤン
ゴン郊外で被災した多くの学校の正式な再開は施設の広範囲にわたる被害
のため一ヶ月延期された。
UNICEFとSave the Childrenは地元の仏教徒と教会のグループと共に、学校
の建物を修繕し、『安全な学習空間』を設けるよう準備している。教材を持ち込
み、心的外傷を受けた生徒達への対処の仕方を先生達に教えて教育システ
ムが再び機能するように支援している。UNICEF報道官のMichael Bociurkiw
は、2004年のアジアの津波とパキスタン地震の例を示して、「子供達を学校に
来させるようにすることは、家族を支援し子供達を支援することにつながる。子
供達が学校へ戻ることは、子供達にはエネルギーのはけ口と癒しの機会を与
えることになり、両親と保護者には子供達の心配をすることなく生活再建に集
中する時間を与えることになる。」と述べた。
「しかし早く学校へ戻らないともう決して学校にやってこなくなるという懸念もあ
る。」とも言った。サイクロンの前でも、ミャンマーでは小学校の中途退学率は
高く大きな問題であった。5年の教育期間を終える前に、半分以上の子供達が
貧困と親の手伝いをしなければならないというプレッシャーから学校を離れて
いた。今このような緊急事態では学校へ来ない期間が長くなればなるほど学
校へ戻ってくる機会が少なくなっていく。
4,000以上の被災学校のうち、1,200が崩壊し、800がひどく破壊され、2,000以
上が強風で屋根が吹き飛んでしまった。支援団体は今20万以上の屋根用
シートを搬入している。学校がひどく被災した地域では、大きなテントや、竹や
ヤシというような地元の材料を使った簡単なシェルターを建てて『安全な学習
空間』を作っている。
どれくらいの先生達が生き残っていて仕事に復帰できるのか、どのくらいの子
供達が学校へ戻ってくるのか正確にはわかっていない。ある専門家によると、
ある遠隔地の先生が生徒の数を調べたらサイクロン前いた200人の生徒のう
ち70人だけが生き残っていたという。すでに支援団体は先生や一時的に先生
不足を穴埋めする地元のボランティアを訓練する計画をしている。「訓練計画
は、心理的な問題について、精神的な影響がかなり残る中で学校を再開する
にあたっての準備、つらい経験や家族を失ったことなどによる心の傷を抱えた
子供達をこのプロセスを通してどのように支えていくかなどである。」とSave
the Childrenのミャンマー地区次官のGuy Chaseは言った。
ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュースNo.23
この災害の起きる以前からミャンマーで多くのスタッフを派遣し、子どもたち
へのケアを行っているNGO、セーブ・ザ・チルドレンのレポートです。下記のレ
ポートからは、被災した子どもたちにとって学校は安全の確保だけでなく、自
分たちが受けた経験を受け止め、これから再び立ち上がっていくために大切
な場ともなることがわかります。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。>
情報源:Save the Children Alliance(SC) 2008.6.5レポートより抜粋要約
学校は子供達にとって安全な場所であり、他の子供達と一緒に過ごし、遊
び、経験したことによって起きる心的外傷に対する取り組みをを始めるところ
になる。
被災地の学校は再開し始めている。しかしサイクロンによって破壊された何
百という学校は子供達が戻ってくる前に安全な状態になっていなければなら
ないし、授業が始められるようにできるだけ早くいろいろなものを確保して、テ
ントの仮設学校をも含めたいろいろな教育システムの選択肢を探さなければ
ならない。
SCは東部デルタ地帯のPyaponとDadayeとYangonでは32の学校を修繕し、
15,000人の子供達に教材を提供した。西部デルタ地帯のNgapudawでも40の
学校で活動する予定である。デルタ地帯で配置された地元の教育スタッフ
チームの訓練も行う。
生活がひっくり返ってしまい、家や村で守られていた安全がなくなってしまっ
たことで、子供達は傷つきやすくなっている。日常の状態に多少でも戻るよう
子供達を助けることと同時に、学校にいることは、自然災害後に起こる人身
売買や児童労働のような危険による更なる被害から子供達を守ることにもな
る。
何が起きたのかを知り説明を受けること、そしてもし他の災害が起きた時に
自ら備える術を教えてもらうことは大切なことである。災害に関連した危険を
縮小する授業を子供達に紹介し、危険にあったときにどのように対処すれば
いいかを理解させることをSCは目指している。このような授業には、村の中
で安全な場所に逃げ込むことや、家族とはぐれてしまった時自分の住んでい
る場所や両親の名前を覚えていること、というような簡単な教えも含まれてい
る。将来遭遇するかもしれない災害に対して、どういう行動をするかを子供達
に教えることは、再び起きた時の恐怖を減らしより良い準備をすることができ
るようになる。簡単なことが全てを変えることにもなるのだ。
被災地のキャンプに作った「子供なかよし広場」は子供達、特に親と離れてし
まった子供達に安全な遊び場と心的外傷を癒す場を提供している。また水上
診療所や移動診療所を作って保健サービスを提供している。遠く離れたデル
タ地帯の子供達は、食料や避難所の不足、清潔な水を手に入れること、そし
て教育や親と離れたこともなども含めたいろいろな問題に今なお直面してい
る
ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュースNo.22
2008年5月3日未明(現地時間)にミャンマー南部を大型サイクロン「ナル
ギス」(Nargis)が直撃しました。最も被害を受けたイラワジ川河口のデルタ
地帯で河口付近の村々が壊滅状態となったのを始め、最大都市ヤンゴン
も大きな被害を受けました。
また、ミャンマー軍事政権が被災地への救援要員の立ち入りを制限して
いるなどの報道がされており、現在、海外からの支援団体の援助、現地
支援団体や被災者同士の助け合いはあるものの、緊急医療、二次医療、
緊急物資配布などあらゆる面で十分な支援が行われていない状況です。
最も懸念されるのは健康上の問題です。この緊急課題に対応できるのは
専門の医療従事者でしかありません。
CODEの正会員であり、NPO法人災害人道援助医療支援会「HuMA」理
事長で医師である鵜飼卓先生が5月21日から被災地域に入り、約一週
間これからの派遣につなげるための情報収集、現地調査をしてこられまし
た。現在HuMAは現地の関係者と連携しながらの直接の医療支援、物資
供与、公衆衛生的調査・介入、(災害医療教育などの支援を検討中です
http://www.huma.or.jp/activity/myanmar.html
CODEは主に災害における復興段階を支援していますが、この緊急を要
する事態を鑑み、この「HuMA」による援助活動への支援を決定し、現在集
まっている支援金を寄付させて頂きました。引き続きご支援のほどよろしく
お願いいたします。
ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュースNo.21
下記のレポートでは、最大の被害を受けたデルタ地帯から少し離れ、被害は
まだ少し軽い地域といえるかもしれませんが、住民たち自身による生活再建
が始まっている様子が伺えます。
情報源:CARE 2008.6.2レポートより抜粋・要約
・デルタ地帯のより奥へ入っていくと、木も草も家も、視界に入るもの全てが
切り刻まれ完全に破壊されていた。ブリキ屋根はブリキ缶のふたが開けら
れたようにはがされ、わらぶき屋根は吹き飛ばされ地面に叩きつけられてい
た。漁船は風と大波で川から持ち上げられ、川岸にバタンとうちあげられて
いた。その様子は津波の後で見たのと同じ光景だった。
・デルタ地帯の村へはボートで行かなければならない。生存者は広範囲に
わたっていて、狭い水路が援助の提供を遅らせ、複雑にしていた。小さいト
ラックやオートバイそしてボートを乗り継いでいかなければならなかった。こ
のあたりの川や小さい水路を知っている地元の人が本当に必要である。
・サイクロンの前には1030人の人口があった村では138人が嵐で亡くなって
いた。道路の傍らでは青い防水シートを敷いて嵐で濡れた種籾を乾かしてい
た。今乾かしてこれを植えなければ、今年は食べるものが無いということに
なる。
・昼食時には女性が援助物資の米を炊いていた。別の女性は洗濯をしてい
た。これらは村でいつもしていることである。子供達は学校へ戻りたいと言っ
ていた。学校は来月再開される。
CAREは子供達が学校へ戻る時には、安全な場所と衣服と食料を確保で
きているよう支援している。そして、夜、家族がどこで寝るかを母親達が心配
しなくてもすむようにしたい。
ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュースNo.20
依然としてイラワジデルタを中心とする被災地は衛生状態が悪く、伝染病の
蔓延などへの対策が緊急課題となっています。下記に掲載するMTIは、世界
各国のNGO、援助機関とのネットワークを構築していて、医療専門家のボラン
ティアなどを迅速に被災各地に派遣しています。このような多様な連携によっ
て、特に援助の届きにくい地域の被災者に手が届き、彼らが現在の危機を一
刻も早く脱することを願います。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。>
情報源:Medical Team International 2008.5.30 レポートより抜粋・要約
・先の水曜日(28日)Medical Team International(以下MTI)のメンバーであ
るWendy Dyment医師は、ロンドンにあるミャンマー領事館からビザの認可を
もらった。彼女は土曜(31日)にはヤンゴンに着いて地元のパートナーである
World Concernと仕事に就き、イラワジデルタの最もひどく被災した地域へ向
かう。彼女はスリランカ政府から被災地にいる医療チームと一緒に働いてくれ
るよう依頼されていた。スリランカのMTI事務所からもうひとり内科医が一ヶ月
の任期でこの救援チームに合流することになっている
・MTIによって提供された65万ドルの医薬品を持ったDymentとスリランカの救
援隊員はデルタの被災地で出会うことになる。抗生物質、鎮痛剤、そしてマラ
リヤの薬は10,000人の人々を3ヶ月助けることになる。それに加えて、MTIは
地元のパートナーが薬を買うための資金も渡す。オレゴン州ポートランドから
来た小児科医のDymentは、マラリヤ、重症の腸の病気、そして嵐によってう
けた傷などに苦しんでいる人々を診察する。どんな軽い病気であってもすぐに
死にいたる状態に悪化するのだ。
・「我々のスタッフへビザが下りることは、大きな援助を必要としているミャン
マーの家族へ近づいていくためのものすごいステップになる。」とMTIの理事
長であるBas Vanderzalmは言った。「我々とWorld Concern、スリランカ政府
との協力によって、医療的な配慮を何週間も待っていた人々に緊急のケアを
もたらすことができるようになる。そしてその必要性はますます大きくなると予
測される。」
ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュースNo.19
下記に紹介するAAIのように、災害時の緊急支援に高い能力のあるNGOが、現地に
入れないという現在の状況はたいへん残念です。軍事政権が援助要員の受け入れ
を制限していることはもちろん問題ですが、こういう災害が起きる前に国や国際機
関、また民間の人々同士の交流を行う努力が必要ではないかと考えさせられまし
た。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。>
情報源:Australian Aid International (AAI) 2008.5.29レポートより抜粋・要約
・AAIは災害時、遠隔地で近づきにくい地域へその場にふさわしい医療支援を行う国
際的な医療NGOである。被災地への立ち入りと援助活動には、保健、警察、防衛な
どの政府機関の許可を得てからさらに地元街区当局の許可が必要である。これま
でミャンマー国内では知られていなかったNGOのため、今回、潘国連事務総長が国
際支援要員派遣への打開策を打ち出してくれると同時に先遣隊は許可を求めた。
今のところ(5/29現在)医療チームのメンバーはバンコクに集まって、ヤンゴンにいる
他のチームと合流するためのビザを待っている。
・地元のNGOや教会やコミュニティ組織は、自分の地域の住民だけでなく、避難所
にいる他の被害の大きい地域の人々も同様に面倒をみていた。また変わってしまっ
た水路を何とかたどって救援物資を届けていた。しかし状況は安定とは程遠いもの
である。とくに飲料水の問題が重大なままである。イラワジデルタの人々は一般的
に浅い井戸を使い、飲料用のため池から水を集めていたが、これらの水源はサイク
ロンの高潮で汚染されていた。今、人々は水を原因とする病気の媒介生物のいる危
険性が大きい排水から水を集めている。彼らが新しい水の在り処を探し当てるのは
とても困難なことである。
・AAIはコミュニティベースの要求にそって活動し、移動診療所をイラワジデルタにお
いて近づくことのできる場所に開設して、質の高い災害医療を提供する予定にして
いる。
ミャンマー・サイクロン被災者支援ニュースNo.18
大型サイクロンが襲ってから1ヶ月余りが経った今も緊急医
療、二次医療、物資の供給などあらゆる面で被災者への支援
が遅れていますが、報道にもあるように援助要員が現地に入
りにくい状況下で特に健康面での対策の遅れが気になりま
す。一刻も早く多くの支援団体が現地での活動を行える環境
が整うことを願います。
<以下はCODE翻訳ボランティアさんからのものです。>
情報源:United Nations Development Programme(UNDP)
2008.5.23 レポートより抜粋・要約
・米作地帯であるエヤワディデルタのKyaiklatはサイクロンに
よって多くの土地がだめになった。Kyaiklatでの最初の仕事
は、池を浄化し、6月にモンスーンがやってくる前にこのシーズ
ンの農作物を植えようと頑張っている農家を助けて土地の整
備をすることである。Bogaleでも数日中にこのプログラムを始め
る予定で非公式の準備が進行中である。
・UNDPはPACTというNGOとともに被害の大きい地域の調査を
して、援助を行った。サイクロンの後の早期の復興のさなか
で、Daw Nyoという女性はLabuttaで元気な女の赤ちゃんを産
んだ。彼女はPACTの小規模融資のメンバーで、Kan Kweとい
う小さな町から出てきていた。仲間のメンバーやプロジェクトの
職員の助けをもらって彼女は小規模融資のプロジェクトから預
金の利子をすぐに手に入れることができた。彼女はこの資金を
緊急の時のためにとっておいた。UNDPとPACTの共同の努力
によってDaw Nyoは娘を養うこができるようになった。
(PACT=Pact U.S.A.(ワシントン)のNGO)
情報源:Catholic Relief Services (CRS) 2008.5.24 レ
ポートより抜粋・要約
・地元の教会はますます大変な状況での最前線の場所になっ
ている。何らかの助けと希望を切望して、毎日多くの避難者が
教会にやってくる。CRSは300人以上の地元のボランティアと
共に、食料の配給、保健・衛生の指導、心理的サポートなどを
行っている。
・「幸いにも、アジア全体にわたるカトリックの医療とコミュニ
ティ組織の幅広いネットワーク
と、サイクロン・シドルや津波などの最近の災害での活動の
しっかりとした実績があるので、
この専門的な判断を利用して援助を必要としているたくさん
の何百万というミャンマーの人々を救うことができると期待を寄
せている。」と、国際カリタス・対ミャンマー緊急事態支援チー
ムのコーディネーターであるMr.J.P. Nelsonは言った。
(国際カリタス:各国のカトリック教会において慈善・社会的活
動を行う団体の連盟組織)