「社会に役立つ仕事がしたい…!」そんな人が増えてきた今日、NGO/NPOで働く、ということが注目され始めています。
でも、「NGOやNPOで働くってイメージしづらい…」KoNNecTはそんな学生の「?」を解消すべく、NGO、NPO職員のリアルな働き方、生活についてお話を聞いていきます。
今回お話を聞いたのは、神戸ソーシャルキャンパスの大福聡平さんです。
神戸ソーシャルキャンパス
関西大学外国語学部卒、総合情報学研究科修士課程修了学部時代のフィリピン留学中、少数民族を支援するNGOの活動に参加した事をきっかけに、国際協力活動に関心を持つ。帰国後、フィリピンやカンボジア、国内の限界集落などをフィールドにし、学生が多様なアクターと関わり合いながら課題解決に取り組むProject Based Learningの研究活動に従事する。修士論文のテーマは、継続的な社会貢献と学びを両立する教育環境のデザイン。大学院修了後、新卒でNPO法人しゃらくに入社。神戸ソーシャルキャンパスの開設にあたりコーディネーターを担当。学生が学校の外に出て、街で主体的な活動に取り組む「学街活動」をサポートしている。
NPO法人しゃらく:http://www.123kobe.com/
神戸ソーシャルキャンパス:http://kobesocialcampus.net/
別にNPOに入りたいわけではなかった
ーー今仕事をされているこの神戸ソーシャルキャンパスとはいつ出会われたんですか?
大福:めっちゃさかのぼってもいいですか?
ーーさかのぼっちゃってください。
大福:僕は大学院まで出ているんですが、大学2年生の時フィリピンに留学をしていたんですよ。
ーーそうなんですね。元々フィリピンが好きだったんですか?
大福:いやそれが違うんですよ。僕は高校時代にサッカーとハリーポッターにはまっていて、イギリスに行きたいと思っていたんですね。
そこで、イギリスに留学に行くことが出来るというので大学を選択したんですが、入学してからイギリスに留学に行くのには英語の点数がめちゃくちゃ高くないといけないというのを知ったんです。
それで僕は残念ながら全然足らなくて余りもののフィリピンに行きました。
ーー元々は興味がないフィリピンに行ったんですね。
大福:そう消去法でフィリピンに行ったんですけど、そしたらめちゃくちゃ楽しくて、色んなNGOの方とも出会ったんですよね。
ストリートチルドレンとかもいたるところにいるし、LGBTの方とかもいっぱいいるし、そういった方を支援するNGOの人たちもたくさんいて、そういう人たちに本当に感銘を受けました。
それまではサッカーが観たいからイギリスに行きたいというくらいなんも考えてなかったんですけど、自分のお金や時間や体力を他人のために惜しげもなく使っている人達と出会って、この人達は本当にすごいなと思ったのがNGOなどに興味を持ったきっかけですね。
それで、フィリピンという国が本当に好きになっていきました。
ーーそうなんですね。帰国後は何かされていたんですか?
大福:フィリピンに何か携わりたいと思っていて、帰国後違う学部ではあったんですがフィリピンの教育を支援するみたいなプロジェクトがあってそこに参加させてもらいました。
そこがカンボジアの教育支援も行っていたので掛け持ちして3回生からは春休みと夏休みはカンボジアに入り浸るという生活を大学3年生から大学院2回生までの4年間ずっとそういう生活をしていました。
ーー就職活動はどうされていたんですか?
大福:そういう生活をしていたので日本の企業で働くというイメージが全くできなくて、本当に就活とか興味がなかったですね。同じチームでは普通に就活をする人が大半なんですけど、それにもすごく疑問を感じていました。
「カンボジアで教育支援を頑張ろう!」と熱く語っていたやつが、なんかいきなり「エントリーシートが、合説が、」みたいなことを言い始めて、カンボジアへの情熱はどこへ行ったの?とすごいそういう「学生時代の活動と就職活動がリンクしていない」ということに違和感を感じてしまっていたんですね。
なんかそういう世の中への違和感みたいなものを抱えていて、結局就活も半分意地でしなかったんです。それで、大学院2年生を卒業する直前の1月とかになったときに周りがめっちゃ心配して、「お前どうするんだ」みたいな。
ーーなかなかやばめですね。
大福:卒業式の時にも「まだ就職先決まってません」ということにもなりかねなかったね。
ーー今の団体とその時期に出会うわけですね。
大福:そう。その1月ごろにたまたまうちの研究室に来ていた教授の方と話す機会があって、その時にソーシャルビジネスに興味があるという話をしました。
ーーそのころからソーシャルビジネスに興味があったんですね。何か理由があったんですか?
大福:学生団体の海外での活動って表面的にはとても良い活動をしているんですね。
例えばカンボジアに図書館を建てに行ったりとか僕らもしていて、フィリピンの学校の先生にICTを教えに行ったりしていました。
それは良いことだけどそこにお金は発生していなくて、学生も卒業していったら関係がなくなってしまって、要は継続性がなかったんですよね。
自分も活動にのめり込んでいた一方でその活動に疑問を感じていて、その時にソーシャルビジネスという概念を知って、人助けをしながら自分も食っていけるというソーシャルビジネスの手法を「すげぇなこれ」と、当時は魔法の言葉のように感じました。
ソーシャルビジネスの事を勉強しておいおいは、フィリピンで起業したり、フィリピンのNGOの人たちにソーシャルビジネスの手法で支援したりして、フィリピンに恩返しをすることができたらいいなと漠然と考えていました。
ーーその話を教授の方に伝えたわけですね。
大福:そうです。そしたら、「しゃらくっていうところがなんか面白い事やってるよ」とぽろっとおっしゃったんですね。
ーーついにそこで出会ったんですね。
大福:そう。そこで、お年寄り向けの旅行をしているということも知って、すごい面白いと思ったんですよね。
ーー面白いとは?
大福:今から高齢化社会の中でお年寄りが増えていてその中で旅行に行けないという社会課題がある。
それをまさにビジネスという手法で解決するという団体が日本にあるんだと、しかも関西にあるんだというのを知って受けてみようかなと思ったです。
それでその日のうちにHPを調べたらたまたま1人募集してたんです。
ーーすごいタイミングですね。
大福:多分お年寄り向けの旅行だけだったら受けてみようとはならなかったと思うんですけど、インキュベート事業部というNPOの中間支援をするところの席が1つ空いていたんですよね。
それだったら自分自身もソーシャルビジネスに携わりながら、いろんな人に話を聞いてネットワークも広がりそうだなと思って、すぐにメールをと履歴書を送りました。
それで、やけに顔の怖い代表の面接を受けて、これは落ちたなと思っていたんですけど、卒業の1か月くらい前に「4月から一緒に頑張りましょう」というのが届いてしゃらくに入ることが決まりました。それが今の団体と出会ったきっかけですかね。
ーーもう就職先としてはしゃらく以外に候補はなかったんですか?
大福:「これだ!」というのはなかったですね。
ーーしゃらくが1番びびっときたんですね。
大福:びびっときたというとなんか陳腐な言葉ですけど、びびっと来たというのはあります。それと教員免許も持っていたので、最悪決まらなかったら非常勤講師で食いつなごうとは思っていました。
ーーそうなんですね。NGO/NPO団体というのは安定していないというイメージがあるかと思うんですが、入る時に不安はなかったですか?
大福:僕はそもそもNPOに入りたかったわけではなく、しゃらくがたまたまNPO法人だったんですよね。
応募するときに募集要項をみるじゃないですか、そこに給料が書いてあって、大学院卒の普通の給料に比べたら大分低いんですけど、それだけもらえれば生活できるかなと思ったので不安はなかったですね。
NPOってほとんどもらえないと思っていたので。
ーー周りの反応はどうでしたか?
大福:周りの人には僕は基本的には恵まれていました。大学院に行った時もそうだったんですけど、親には基本的には事後報告でした。それで心配はされるんですけど、きちんと説明すれば「分かった」と言ってくれる親なので。
ーーいい親御さんですね。
大福:あとうちの姉も結構変わっていて、芸大に行って今陶芸家なんですよ。なので割とそういう変なキャリアに関しては免疫があったのかもしれないです。
ーー確かに陶芸家の後だとだいぶ。
大福:陶芸家よりは安心というのも親的にはあったと思いますね。
ーー友人の反応はどうでした?
大福:友人は逆に、僕が学生時代に海外にバンバン行っていたので、国内でちゃんと就職したんやね、みたいな反応でしたね。でも、決まるまではめっちゃ心配されましたけど。
夢が叶うかどうかは僕のさじ加減
ーーしゃらくに入ってすぐ今の神戸ソーシャルキャンパスの事業を始められたんですか?
大福:ソーシャルキャンパスができたのが1年前で僕が働き始めてから3年目なので、2年間は他の事業をしていました。
ーー2年間はどういった仕事をされていたんですか?
大福:そのインキュベート事業部というところでNPOの設立相談に乗ったり、セミナーに顔を出してネットワークを広げたり、神戸市の助成金をもらった団体の相談に乗ってどういう風に活動を展開させていったらいいのかということを提案したりといったことをしていました。
その後、1年半くらい前からソーシャルキャンパスがもうすぐ出来るという準備段階に入ったので、そこからはインターンシップのプログラムの企画などソーシャルキャンパスを立ち上げる準備をしていました。それでここがオープンしてからはここでずっと活動しているという状態です。
ーーこのソーシャルキャンパスの事業は大福さんがやりたくて、手を挙げられたんですか?
大福:僕が1番若手だったので、指名されました。
それと僕は大学院の時に学習環境のデザイン、要はアクティブラーニングや教室ではない色々なそれこそ海外とかに出かける学生が何を学んで帰ってくるかということを研究していたというのを上司も知っていたので、
「お前の経験も活かせるし、おっさんが対応するよりはいいやろ」
みたいな感じで僕が担当になりました。
ーー大福さん的には指名されて、「やったろう!」という感じだったんですか?
大福:そういう感じですね。「楽しそうでいいっすね、学生の学びとかいいっすね、僕も研究してたんで」、みたいな感じでしたね。
ーー基本そういうスタンスなんですね。
大福:そう。割とノリノリでしたね。
ーー今のソーシャルキャンパスの1日の流れはどういう感じなんですか?
大福:朝が結構遅くて、僕朝弱いのでめっちゃラッキーなんですけど、12時にここに来ます。
それで、14時からここがオープンなのでその間の2時間はメールチェックや事務作業をして、14時からは学生が来たら学生の対応をして、来なければ事務作業を続けています。
ーー事務作業はどういった作業をされているんですか?
大福:企画をしていることが多いと思います。
それだとか、学生のチームがここで出来ていっていて、例えば森の整備活動をするグループだったり、留学生を支援するグループ、デザインを活かしてNPOを支援するグループなど今7つほどチームがあります。
なので、そのマネジメントというか、このチーム止まってんなと思ったらこういうイベントがあるから行ってみたらという風に提案してみたりだとか、会議の日程を調整したりだとか、そういうことをしています。プロジェクトの進捗管理みたいな事かな。
それと神戸ソーシャルキャンパスを少し俯瞰的にみて今どういうものが必要か、例えばもう少し企業とのネットワークが必要だなとか、ソーシャルキャンパスが1年間何をしてきたのかまとめたものを今度つくってみようかななど、ロールモデルがないのでこの事業に何が必要で、何が足りないのかを考えて仕事を生み出していかないといけないんですよね。
それでたまに仕事を増やしすぎてあっぷあっぷしてるっていう感じですね。逆に自分で仕事を生み出さないとやることがなくなって暇になってしまいます。
ーー確かに誰かに指示をされたりするわけではないですもんね。
大福:そうなんですよ。
なので、今あるネットワークからこことここをつなぎ合わせたら新しい事業ができそうだなとかを常に頭の中で考えてそれをイベントとか会議とかに落とし込むみたいなことをしています。
(夢叶えるボード)
ーーもうこの場所をより良くすれば何をしてもいいみたいなことですね。
大福:割とやりたい放題してます。
夢叶えるボードというものを設置してみたり。このボードの中で何が採用されるかというのは実は僕のさじ加減で、僕が知っているネットワークでこれだったらこの人が手伝ってくれそうだなとか、それで結果として夢かなったものが結構あります。
そういったコーディネート業みたいなこともやっています。
ーー1年目に困ってるNPOに情報提供をされていたとおっしゃったんですが、最初から担当されていたんですか?
大福:それはもう最初は大変でした。
入って1週間もたたないうちに児童養護施設を立ち上げたいという人の相談に行きました。
もちろん一人ではないんですが、上司と二人で行ったらお前が説明しろと言われて、法律の事とか設備には何平方メートルの敷地が必要で何人常勤のスタッフが必要でという要項があるんですけど、それをパッと渡されて「これ読んで勉強してお客さんに説明しろ」と言われて、もう死ぬかと思いました。
それまで法律文書なんか見たこともないし、分からなかったんですけど、パッと渡されてたどたどしく読むということをしていました。
後は、NPOの設立のリーフレットがあるんですけどそれを渡されて、設立するにあたってどういう書類が必要でどういう手続きを踏めばNPOは設立できますよということを頭に入れて、相談対応をするという感じでしたね。
ーー業務の内容の幅が半端ないですね。
大福:幅はね、広いです。
ーーだってNPOって言ってもいろんな分野がありますからね。
大福:そうなんです。
児童養護の時もあれば環境系の人もいるし、淡路島を盛り上げたいみたいな漠然とした人もいて、おじいちゃんがリタイア後になんかしたいみたいな時もあって、ほんとに多種多様な人を相手にする必要性はありましたね。
ただ、学生時代にカンボジアの支援で図書館を建てたい時に助成金を書いたりしていたので、助成金の書き方の指導まではいかないまでも添削とかができたのは、学生時代の経験がいかされたなぁと思いますね。
後は、しゃらくの旅事業もあるので、たまに車いすを押したりとかもしていました。
ーーそれは今もやっているんですか?
大福:神戸ソーシャルキャンパスが始まってからはないですね。
それまでは高齢者向けの旅行について行くだけでなく、熊本地震が起きた時にしゃらくでボランティアバスを出していたので、添乗員として同行しました。
ーーそれはちなみに指名制ですか?
大福:もちろん。「お前九州出身だから九州のためになんかやりたいやろ」って言われて、「はい!」という感じで。
ーーもはやYesかはいの選択肢しかない質問なんですね。
大福:それで、熊本のバスの添乗も5回くらいやりました。添乗ってしんどいんですよ。
ーーそうなんですか?あんまり添乗員について知らないですが。
大福:ボランティアバスは夜中に出て朝方につくんですけど、添乗員は2時間おきに起きて点呼しないといけません。
それで、2時間おきに起きて、寝れないまま次の2時間が来て、早朝ついてそのままボランティアセンターに行って、ボランティアをします。
それでその日は泊まるんですけど夜はボランティアツアーの人たちが飲み会とかをするので飲み会に付き合って、次の日起きてボランティアして帰ってくると。
ーーそれで帰りも2時間おきに起きて。
大福:そうそう。それを5回くらいやったんですよ。体力的になかなかしんどかったですね。
<後編に続く>
いかかがだったでしょうか?
<前編>では、大福さんが今の仕事を始めるまでの大学の時の話から、今の仕事の話までを取り上げました。
<後編>では、仕事での大変なことや大福さん個人の少しプライベートな話、そして「なぜ就活をしなかったのか?」「なぜそこまでフィリピンでの活動にハマったのか?」など前半の話をもっと掘り下げていきます。
ぜひ読んでみてください!
<後編に続く>
2018/2/22
高橋大希