「社会に役立つ仕事がしたい…!」そんな人が増えてきた今日、NGO/NPOで働く、ということが注目され始めています。
でも、「NGOやNPOで働くイメージってしづらい…」KoNNecTはそんな学生の「?」を解消すべく、NGO、NPO職員のリアルな働き方、生活についてお話を聞いていきます。
今回お話をお聞きしたのは、被災地NGO恊働センター代表の頼政良太さんです。
被災地NGO恊働センター
被災地NGO恊働センター:http://ngo-kyodo.org/
災害復興との出会い
ーー今所属している団体(被災地NGO恊働センター)とはどのように出会ったんですか?
頼政:僕が大学に入った年が2007年で能登半島地震が起きた年で、大学に入ってすぐって新歓(新入生歓迎会)があるじゃん。
それで、たまたま新歓に行ったところの団体がボランティア活動をしている団体で、能登半島地震でもボランティアの活動をしていて。
それで、その新歓の次の日に能登半島地震での活動の報告会があって、そのボランティアに行っていた人達から、
「明日報告会があるんだよね。来てくれたらごはんおごるし。」
という感じで誘われて、
「やった、らっきー」
と思ってその報告会に参加したんだよね。それでその時に隣の席だったのが今の団体の元代表の村井さんでした。その報告会に行って、初めて村井さんに出会ったことでボランティア活動を始めるきっかけになったかな。
ーーそれからどうやって活動にのめりこんでいったんですか?
頼政:神戸大学の足湯隊というサークルに所属していたんだけど、その当時足湯隊ができた所だったんだよね。
神戸大学にあるいくつかのボランティアサークルが集まって足湯隊というのは出来ていて、毎回のミーティングの場所が今の団体の事務所だったのでよくここには来ていました。
ーーそれでは今のところに就職するまでは足湯隊で活動をしていたんですか?
頼政:足湯隊でも活動をしていたし、色々やっていたよ。野宿している人の夜回りをしていたこともあるし、障害者の介護の手伝いやイベントの手伝い、フリースクールに行ってお手伝いをしたり、小学校の勉強が遅れている子のスクールボランティアみたいなこともしたし、そういうことを色々やってたね。
ーー色々やってたんですね。
頼政:そうそう最初はね。とりあえずいっぱいやってみようみたいな。
それでサークル自体も、社会問題の読書会をやったり、毎年3月にボランティア講座をしていてその企画・運営をサークルでやっていたり、普段の活動も神戸の復興住宅のお茶会とか、地域の人とお祭りをやったりとかもしていたので、そういう活動を通していろいろな人に出会っていったという感じかな。
ーー今の話を聞いていると、色々な活動をして、色々な人に出会っていると思うんですけど、その中でなぜ今の活動や団体を選んだんですか?
頼政:なんででしょうね。来ない?って言われたからですかね(笑)
大学3年生のころには漠然とこういうNGO・NPOの世界がいいなと思っていて。ボランティアの活動とかをしていく中でそういう世界の人と出会うじゃないですか。
色んな社会課題が世の中にはあるということにも気づいたし、そういう中でNGO・NPOの世界の人は最前線にいるというか、それを解決するために日々取り組んでいるなと。
僕らは大学に通いながら少し引いた位置にいて、なんか知識として分かっているけど、実際の現場に行ったときに知識でないところを肌で感じていて。
でも、学校に行っても現場で活躍しているような人には出会えない。そういうことを積み重ねていく中で、僕は災害の事を中心にやっていたので、災害のこういう世界でならやっていけるのではないかなと思うようになったんだよね。
学校に通っているだけだと全然そういう世界ってわからないので、どういう風に運営しているのかとか、どんな仕事なのかとかが分からなかったので、そういう団体でバイトしたらわかるんじゃないかなと思って、3回生の10月くらいからバイトをやり始めたんだよね。
その後、4年生の3月に東日本大震災が起きた時に前代表に
「スタッフにならんか?」
と言われて、
「なります」と。
ーーそういうきっかけがあったんですね。世間ではNPO・NGOというのはまだ一般的な仕事ではないと思うんですが、そういう中でそれを仕事に選ぶということに不安はなかったですか?
頼政:あんまりなかったね。
給料出るっていうことは分かっていたし、知り合い多いし。
僕人見知りだからさ、知らない人と急に仕事始めるの嫌だなと思っていたから。
行った先で会う色んなボランティアの人も今までボランティアで関わってたから知り合いが多くて、それもすごいよかったね。
知り合いばっかりで何か助かったって感じかな。
ーー頼政さんには不安はなかったんですね…
でも、周りの人は不安に思う人もいたんじゃないですか?
頼政:周りは不安がってたよ。大学の先生とか。
ーー大学の先生?
頼政:僕は4回生の頃に単位が足りなくてもう1年いかないといけなかったんだけど、東日本大震災が起きてそこで1回休学をしてその後大学を辞めたので。
休学の時も、やめる時も先生の所に行かなきゃいけなくて、ずいぶん反対されたね。
あとは親にも。
ーー反対する側の気持ちも少しわかります…
どうやって説得されたんですか?
頼政:説得というか…もう決めましたみたいな感じかな。
事後報告というか、
「こうなったので、僕はこうするからよろしく!」
みたいな感じで言って。
最終的に親が言っていたのは、
「これ以上何を言ってもその決断は変わらないということが分かった。
だからまあ、やりなさい」
と言ってくれたので、だから説得というよりはもう決めたからみたいな感じで言ったかな。
ーー話を聞いていると大きなきっかけがあって流れで入ったようにも聞こえるんですが、ここで働こうという決意は堅かったんですか?
頼政:確かに流れなんだけど、東日本大震災という大きな震災があって世の中の色んなことが動いていって、ボランティアの世界も変わっていくだろうと思ったんだよね。
それでその時に1年も2年もいなかったらもう遅いじゃんって。
今やらないとこの流れに乗れないというか、ダイナミックに動けない、しかもそういう状況が目の前にある。それに、こういう活動をしていく中で大学を卒業したかどうかというのは大きな問題にならないだろうと思ったんだよね。
今も現場でやる分には学歴とか関係ないと思っているし、だから1年も2年も行きたくない大学に行って時間を無駄にするくらいなら、すぐ入ってやった方が絶対自分のためになると思って決断したっていう感じかな。
東日本大震災が起きて東京へ
ーーここからは今の団体に入った後の質問になります。
業務の内容や1日の流れを教えてもらってもいいですか?
頼政:それはだんだん変わっているね。4月1日付で職員になったんだけど、3月の終わり位に職員になることが決まって、その時の代表にいきなり東京に行けって言われてさ。
ーー急にですか!?
頼政:そうそう、わけわかんないじゃん。
東北で地震があったのに、東京に行けと。詳しくは行けば分かるって言われて。
それで東京に行くことが決まったんだよ。
ーーなんというか、説明不足過ぎですね…。
頼政:説明も2,3分で終わったね。
よくわかんないけど東京に行くことになったんだと思って、そこは不安だったね(笑)
それで他のスタッフの人に
「僕東京に行くみたいなんですけど、どういうことですかね?」
って聞いたら、そのスタッフの人も何も知らなかったみたいで
「頼政君東京なの!なんで?」
って事務所の中に動揺が走ったね。
ーー東京ではどういう仕事をされていたんですか?
頼政:東京では、東京の人をバスに乗せて、被災地に送り出してボランティアをしてもらうというバスの手配や現地の団体との交渉、ボランティア活動の内容の打ち合わせ、参加者の方へのオリエンテーションをしたりっていうのを2年間していたね。
後は現地の団体のところを回って情報収集をしたりもしていたかな。
ーー今は団体の代表になられていますが、どういった仕事をされているんですか?
頼政:今は業務内容で言えばプロジェクトの進捗管理みたいなことをやっています。
なので、どれくらい進んでいるかというのを数字だけで解ることではないけど、現地の会議に出た時に、これくらいだったら次こういうことをしようとか、現地の人と相談してこういうことをしましょうとか、来年度予算確保するので助成金をこうしてほしいとか、そういった全体のプロジェクト管理をやっているね。
それと、助成金の申請書報告書とか、ホームページの更新とか、機関誌発行とか、講演や研修がちょくちょく入ってくるので講師やそれの資料作りとかもやっているね。
ーー仕事めちゃめちゃ多いですね!
頼政さんは今団体の代表をやりながら、現場でも最前線にいてとても忙しいと思うのですが、今の仕事をやっていることで大変なことは何ですか?
頼政:大変なのは仕事がいっぱいたまったときだね。
締め切りが重なったり、原稿の締め切りが重なったり、明日だった!とかになると大変になるね。
そういう時と、僕がプロジェクトをするときっていうのは現地の人を巻き込みながらやっていることが多いんだけど、そういう時に自分の思っていることをきちんと現地の人に伝えるということが結構大変で、同じ言葉を使っていてもなんだかイメージが違っていたりして、そういうことから少しずつプロジェクトがずれていってしまうことがあるんだよね。
そうするともう一回再設定する場をつくったりしないといけないんだけど、そういうところが面白いところでもあるし、苦労するところでもあり大変かな。
しんどいわけではないんだけど、難しいっていう感じかな。
ーー今は団体の代表という経営者的な部分と、一スタッフ的な部分を兼任しているような感じかなと思うんですが、それはあまり大変ではないんですか?
頼政:んーでも運営ばっかりやってても面白くないじゃん。僕が毎日デスクに座ってカチカチして、経営状況を考えていても面白くないでしょ。
そういうことをやるために入ったわけではないし。
経営視点みたいなものはそれはそれで大事だと思うけれど、僕はまだ経営とかよくわからないし、やりたいようにやればいいと思っているので。
それにいい活動をするためには現場に行かなければいけないと思っているし、団体としての方向性を考える時でも現場に触れるからこそその組織として何をやるべきか見えてくると思っているので、そこら辺は自分の中では矛盾していないから、そこが大変というのはあまりないかな。
ーー団体に入る前から学生ボランティアやバイトという形で災害の世界を経験していたと思うんですが、仕事として取り組む中で入る前に思っていたイメージとのギャップはありますか?
出来ることが増えたというギャップはあるかな。
ーー出来ることが増えたというギャップ?
大学生ボランティアとしてやってた時はフィールドワーク的に1週間とかで行くことはあっても、ずっとそこに滞在して、被災地の課題を考えて、そこでプロジェクトを実施してその地域が良くなるまでやるというのは、学生ではお金や体力の問題からそこまでコミットできないというか、もちろんボランティアとして関わることはすごく大切な事なんだけど、
一ボランティアからプロジェクトを考えて実行するというポジションになったので、自分がいなくなった後の事も考えるし、長い目で物事をみないといけないということが、前まではそこまで考えてなかったかな。
仕事である分責任も生まれるし、きちんと関わっていかなければいけない。
でも、その分やれることも増えたかな。
大学生だから出来るということももちろんあるし、大学生ではできないことというのもたくさんある。
その中で、大学生ができないようなことができるようになって幅が広がって、色々やれることがあるんだなというのが思ったよりもたくさんあってというギャップがあったかな。
ーーマイナス面でのギャップはありましたか?
いっぱいできる選択肢はあっても、いろんな事情で出来ないことがあって、
例えばお金がないとか、人がいないとかあきらめざるをえない状況になることや、もっとこうしたいのにやりきれないということがたくさんあって、そういう部分で思ったよりたくさんの障壁があるということを感じたかな。
後は思ったよりも色んなものが動いていて、お金ももちろんだけど、色んな団体がいたり、そういうものによって左右されたりするということかな。
入る前はみんなやりたい事を、やりたいようにやっているのかと思っていたけど出来ない事もあるんだなと。
やりたい事をやるための苦労みたいな部分もあるので、「やりがいがあるからやりたい事を出来るんだ」みたいな感じで出来るわけではなかったね。
いかがだったでしょうか。
<前編>では、頼政さんが今の仕事に就く前から今の仕事の内容までを取り上げました。
<後編>では今の仕事の“やりがい”やさらにはきついと感じるような“マイナス”な部分にも迫ります。
さらに、みなさんが聞きたい部分であるだろう『ぶっちゃけ食っていけるの?』という部分にも触れるのでぜひ読んでください!
2018/1/29
高橋大希