ジャワ中部地震から6か月 (No 5)

「近くの山の木で家を建てる運動宣言」?


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 日本に標記のような運動があるのをご存じでしょうか?地域の資源を使って、日本の伝統的な在来工法による民家にこだわっている研究者や大工さんたちがおられる。この運動の呼びかけ人のお一人が、私が尊敬する鈴木有先生という秋田工業大学名誉教授である。先生は、大阪のある居酒屋のミニコミ誌で「(阪神・淡路大震災を機に)伝統民家は本来優れた耐震性能を持っているのではないか。これを契機に、私は襟を正して日本の民家に向き合った。そして伝統工法の奥深い仕組みに気がついた。」と書かれている。
 今、CODEが被災地ボトクンチェン集落で再建して来た住まいも、同じ思想の元で建てられてきた。建築家のエコ・プラウォトさんが、師匠である故ロモ・マングンさんから受け継いだ住まいに対する思想も同じだ。地域の資源を使って家を建てるということは、住まいがもはや個人の財産のみならず、地域にとっての財産であるということが云える。しかも、ここジャワの場合は”ゴトンロヨン”(相互扶助のしくみ)で地域のみんなが建てるのだからなおさらだ。そして(日本で云うところの)棟上げ式には、安全を祈願してみんなで祝う。女性たちは、働き手のためにご馳走をつくる。きっと岐阜県にある「合掌づくりの家」を建てる”結”も同じようなしくみだろうか。
 日本の法律では、災害後の住宅再建に対して未だに「個人の資産に公的資金は投入しない。」となっているが、こうして住まいが地域の財産だと認識できれば、公的資金を投入していいのではないだろうか。せめて「近くの山の木で建てた家」には公的資金を投入して欲しいものだ。何故なら、荒廃した森林の保全にもつながるからだ。そう言えば、新潟中越地震で倒壊家屋が予想以上に少なかったのは、もともとこの地が豪雪地帯であるためしっかりした家が多かったということなのだが、実は使用していた木材が、この厳寒の厳しい中で育った材木だからこそ”しなやか”であったということはあまり知られていない。

ジャワ中部地震から6か月 (No 4)

日本の伝統民家とジャワ伝統の民家とはよく似ている!


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 ジャワ島の東部に位置し、2004年に津波被害を受けたインドネシア・ニアス島南部地域には、神秘的で、重厚な感のする高床式の「方形船型住居」という独特の住まいがあり、同北部にはまた南部とは違った容相の住まいがある。元はと云えばジャワの伝統的な家造り文化も、この地域から伝わってきたのではないかと思うほど共通点が多い。私がスタッフと共に、昨年9月に防災教育のために訪れたときに、被災地の壊れた家を見て回ったのだが、ついでに北部の昔ながらの伝統的な「楕円形樽型住居」も見せて貰った。その住まいは、100年前から建っているが、昨年の地震ではビクともしなかったそうだ。床は高床式になっており、床下は1.5mほどの空間があり、その空間には縦横無尽にかなり太い木が交差するように入れられている。決して真っ直ぐな木材ではない。中には「く」の時のように曲がっているものもあるが、それでもすべて「クリ石」の礎石に乗っている。これらが建物全体を支え、免震の役割をしているようだ。外側の壁と屋根はサトウキビを乾燥させたものが使われている。もう、屋根をふく職人さんがいないそうだ。そして中の部屋を間仕切る壁は、厚い木板だ。大屋根を支えるのは、架構式に組み込まれた木組みで、縦の柱は少し太く、横に入っているのは細い。よく見てみると、その細い横の桟はところどころ真新しいものに入れ替えられている。「なるほど!」と納得させられるところがある。それは次回に触れるとして、実にこの架構式の組み方見ると、秋田県鹿角市に保存されている「関善」を思い出させる。なるほど、これなら被害を受けても損傷は小さく、揺れを逃がすことができるのだと納得できる。
(関善:秋田県鹿角市花輪字花輪85にある関善酒店の「日本最大級の吹き抜け木造架構」の保存建築)

ジャワ中部地震から6か月 (No .3)

「揺れるけど、怖くない!」

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 半年前のジャワ中部地震で、5,760名以上の方が亡くなり、14万戸が倒壊し、一部損壊も含めると46万戸が壊れた。阪神・淡路大震災では、6,434名以上の方が亡くなり、その内85%~90%の方は、倒壊した家屋の下敷きもしくは焼死というデータがある。ジャワ中部地震でも同じだ。地震から命を守るには、とにかく家が倒れないように、いや家が倒れても被害のないような「住まい」を工夫することが、世界共通の地震対策と云えるのではないか。ジャワにも、日本の在来工法による木造住宅のように、釘を使わず、基礎の上に置く礎石の工夫や駆対となる柱と横軸との組み合わせなど至る所に目を見張るような技術が施されている。これが、ジャワの伝統的な住まい様式だそうだ。違うのは耐震壁と言われる壁が、日本の土壁がジャワでは表面に彫刻をあしらわれた木製の厚い板であることだ。しかし、インドネシア政府は今回の地震での住宅再建補償に提示した条件は、鉄筋とレンガもしくはコンクリートブロック仕様のみのようである。果たして、耐震構造の住まいというのは、こうした選択肢だけでいいのだろうか。昔ながらの伝統的な造りや竹を使用した家の方が、「揺れるけど、怖くない」という証言も少なくない。自然環境を大事にしながら、持続可能な循環型ライフスタイルを考えると、その「住まい」というもののありようも決まってくる。あらためて「耐震の住まい」とは、どうあるべきかを考えさせられたジャワ滞在だった。

ジャワ中部地震から6か月 (No .2)

待ちに待った「恵みの雨」が・・・・
 本来ならば10月には雨期に入っている筈が、今年は相当遅れているそうだ。11月に入っても雨は降らなかった。田畑の土は干上がって悲鳴を上げていた。ところが、滞在中の最後の日に「恵みの雨」が降った。バケツの水をひっくり返したようなスコールが約40分続いた。「あ~、これでチャベンのサトウキビも喜んでいるだろうな!」と思った。それにしても現地の人は、空の雲の色・湿気を含んだ重たい空気などで「今日くらいに、いよいよ来るよ!」なんて言いあっていたのが印象的だ。日本のように、局地的な集中豪雨に見舞われるのも困るのだが、ほんとに自然の恵みを感じる瞬間と云える。人が生きていく上において、自然環境との共存や共生というものがほんとに大切なんだと痛感さ
せられた。

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 住宅資材も、地域に蘇生している木々や竹・ヤシなどを使用していると、常に気候のことも気がかりになる。しかし、こうして住まいと向き合うことによって、自然との共存・共生ということの実感がわき起こる。さらには、その土地で育った資材を使うと云うことは、その時々の季節も感じながらの「暮らし」がそこにあるということである。
(チャベン:被災地バントゥール西南部の一集落の名前)

ジャワ地震から6ヶ月



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11月27日でジャワ地震から6ヶ月が過ぎました。みなさまのご支援で実施してきたボトクンチェン集落RT-2(バントゥール県バングンタパン市ウィロケルテン村)の25軒の住宅再建プロジェクトは、おかげさまでほぼ完了致しました。ほんとうにありがとうございました。先日11月19日から24日までの間、事務局長の村井が住宅の完成式(日本でいう棟上げ式)に出席してきましたので、その模様を含めて今日から数回に渡ってレポートさせて頂きます。村井は、ボトクンチェン集落の他に、震源地に近いセウォン村やバンバンリプロ市チャベン集落の被災地も見てきました。6ヶ月後の復興格差を随所に感じてきたようです。
                             CODE事務局
 やっと政府からの援助がスタート!
 5月27日の地震発生直後、被災地を抱えるジャワ中部ジョクジャカルタ特別州知事は、「全壊および半壊の被災住宅には、州政府が責任を持って支援する。」と早々と宣言したのだが、実は、実際には8月末までその補償が実施されることはなかった。それでも被災者の多くは、「雨季に入るまでに完成しなければ」と喜びを堪えきれずに、満面の笑みを浮かべながら、本設の住宅建設に一生懸命である。ジャワ独特の「ゴトンロヨン」という相互扶助による建設が特徴的で、大工さんという技術者が関わることなく、まったくの素人で(ノン・エンジニア)で建ててしまうことが多いため、耐震技術や施工が徹底できるかは疑問を感じることもある。ただ、もともと被災地に建っていた多くの住宅の場合は、短期間でも研修を受ければノン・エンジニアでも不可能ではないが、監督者として一人でも技術者が加わっておくことが必要だろう。これまで多くの被災地を見てきたが、今回ほど「すまい」「暮らし」「地域」「コミュニティ」について学んだのは初めての経験だ。

ジャワ中部地震プロジェクト速報 2

 土曜日にエコさんの師匠、ロモ・マングンの地を訪ねました。川の名前がなんとCODE(チョデと読みます)川というそうで、運命を感じます。ロモマングンさんはスラムに住み込み、彼らと共に何が必要かをみつけだし、子どもたちが集まれるIBRARY機能を含んだコミュニティスペースを設置したそうです。今ももちろん、使われています。
 その後、町をきれいにするだけでなく、暮らしを再建する活動を次々に起こし、賞をもらった時にその資金をもとに財団にし、銀行の利子で今でもその地域のメインテナンスが維持されています。エコさんはその地に長年通い続けていたそうで、地域の人たちからも信頼関係を持たれています。エコさんは20年近くロモマングンと過ごしたそうで、だからこんなにも筋金入りなんですね。エコさんからは多くのことを学びます。
 日曜日は第2次調査団レポートの最後に紹介した笠原さんの村を訪ねました。その前に少し遠回りをして、石油会社やその他の企業が建てている本建設の村を訪ねました。この本建築は立派ですが、レンガが天井まで積み上がっているので、繋ぎが弱いとまた同じことを繰り返しそうです。ある団体(ジャカルタ資金の建設家組合みたいなものだそうです)の方針は、材料は提供し、工賃のみ本人負担ということで、集落の中でもどこの集落もゴトンロヨンが成り立っているわけではないので、ボランティアで建設するという発想に繋がっておらず、その工賃が払えない家は指をくわえてみていなければならない事態のようです。
 「成長する家」プロジェクトも順調に進んでいるようです。
*インドネシアでは、24日くらいからラマダン(断食)の季節に入るので、それまでにできるだけ作業を進めたいようです。
(横山は今日ジャワを離れたので、プロジェクト速報は取りあえず2回で終わります。新しいニュースが入りましたら、またお知らせします)

ジャワ中部地震プロジェクト速報

7月末に第2次調査団が帰国して1ヶ月余り、現地ではエコ・プロジェクトが着々と進んでいるようです。所用で現地を訪れた横山から速報が入りましたのでお届けします。
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昨日、ボトクンチェンを訪ねました。驚くほどプロジェクトが進んでいて、たった2週間でこんなに進んでいるとはすごい! 6軒の大枠ができています。その他も基礎が終わったくらいで、いくつかのグループに分かれて同時並行に作業が進められています。
サイトを訪ねての感想ですが、この住宅再建という協働作業を通して、住民の団結力、特に青年たちのチカラを感じます。学校を卒業しても職がないという現状が一般的な中、村のためにチカラを合わせることで青年たちがとてもとても元気になっているように思います。この再建が続く限り、毎日がイベントのようです。火がつくまでは時間がかかるようですが、火がついた後は早いみたいです。とにかく、みんなが楽しんでいて、昼間からお祭り騒ぎ(アルコールはありませんが)です。プロジェクト開始以来、ずっとこんな感じだそうです。
エコさんがプロジェクトの開始段階で、C0DEとの関係性をただ資金をくれる団体というだけでなく、神戸の震災の経験をもとにこの被災地を応援したいというメッセージをこめてワークショップをしてくれたようです。特にお客様扱いもされず、自然に仲間に入れてもらえる距離感がとても心地よく、DINIさんのバイクに乗せてもらい、できるだけ村を訪ねるつもりです。
竣工式に何かイベントをするのがこちらの文化のようですが、集落長のスギマンさんの話によると特に何をするか探しているようです。
途中、中断していた川魚の養殖も、このプロジェクトを機会に、先への希望が出てきたみたいで、修復が始まっており、また元通りの暮らしに向かって、暮らしの再建ができていきそうです。これこそが最初の一歩なのですね。

ジャワ中部地震第二次調査団レポートNo.14

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「はじめの一歩」No.13
 バントゥール県セウォン市プンドウォハルジョ村バンドゥン集落で進められている「生長する家」の構造に付いて説明をします。
以前からあった家の跡地に新しい間取りを考えてもらい、最初に建てるのに都合の良い一部屋を選んでもらいます。その際、最初の一部屋の大きさが規定(3m*6m)よりも大きくないことが最低条件です。基礎はそのまま使い、ドア設置部分を除いてレンガを50cmの高さまで積み上げます。これは雨季対策です。窓枠と窓を所有している住民はそれらを好きな場所につけることが出来ます。床は地面から最低でも10cm高くし、セメントで固めます。壁は竹で編んだ筵のようなものを更に竹で枠を作り補強して取り付けますが、ジョグジャカルタではよく使われるものでもあり簡単に手に入るものです。柱には強度の強い竹を使用、屋根の骨組みも竹で組み、その上に各自所有している瓦をのせて出来上がります。
今ではトイレの修復、汚水の問題、村内の道の改修、公園の設置に至るまで村人の中からアイデアが出るようになったそうです。
上記プロジェクト(「成長する家」プロジェクト)は賛同者を募っています。
ご支援の振り込み先は以下の通りです。
 三井住友銀行 春日部支店(店番号005)
 普通預金 口座番号0640542
 名義/カサハラ リエ
 *振込者名の前に【地震】と明記して下さい。

ジャワ中部地震第二次調査団レポート No.13

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「はじめの一歩」No.12
 今回は、災害後の暮らし再建のはじめの一歩として、注目すべき取り組みをしているバントゥール県セウォン市プンドウォハルジョ村バンドゥン集落をご紹介します。
 この集落は、229世帯(3つのRT:隣組から成り立つ集落)で構成され、全壊の世帯が21件、半壊の世帯110件です。まずはじめの一歩として、その中で自力再建が難しい世帯を集落会議で選出し、その順番によって仮設住宅が建て始められています。住民たちの会議は、時には、真夜中まで続きます。ただ仮設を建てるのでは、なくその仮設がその後の住宅再建につながるような工夫が住民たちの提案によって進められているようです。例えば、「以前の建物は日当たりが悪かったから今度はこの向きに建てたい」とか、「この場所で仮設住宅をスタートさせれば、再建の時にも十分に広げる敷地が残っている・・・」だとか、それらの言葉の中に、将来の希望に向けての発展性があり、先の光が見えてくる様子がたくましく思えます。彼らはこの仮設住宅を「成長する家(rumah tubuh:ルマ トゥブ)」と呼んでいます。
 地域の結束が強いジャワ文化の中では、以前は当然のように、住宅の中に近所の人々が寄り集まれるスペースがあったようです。そのような環境が無くなってしまった今、住民たちの提案により、コミュニティスペースの一環として”公園”が建設されることになりました。震災後小さな家で暮らす中、今までのように子ども達の遊び場所になっていた居間、テラスが無く、同様に主婦達も語り合う場所が無く、複数の親子が語り合える場所があれば、という気持ちがこの”公園”の発想に繋がったようです。他人がトラウマを解消してあげるよりも、自分達で互いにトラウマを解消出来ると言うのはすばらしい事だと代表のKさんは語ります。
仮設住宅の集合による新しい町づくりのスタートです!
上記プロジェクト(「成長する家」プロジェクト)は賛同者を募っています。
ご支援の振り込み先は以下の通りです。
 三井住友銀行 春日部支店(店番号005)
 普通預金 口座番号0640542
 名義/カサハラ リエ
 *振込者名の前に【地震】と明記して下さい。

ジャワ中部地震第二次調査団レポート No.12

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「はじめの一歩」No.11
 7月17日に西ジャワ州パンダガラン地域を中心に襲った「地震津波」の被災地でも、「POSKO」と書かれた看板や、横断幕や、つい立てを目にします。日本語で訳すと「詰め所」というくらいの意味だと説明を受けるのですが、実にこれがすばらしい役割をしているのです。もちろん中部ジャワ地震の被災地ジョグジャカルタ特別州でもよく見かけます。
 
 POSKOは何もない平時にはなくて、災害が発生すると立ち上がるようです。災害直後の救急医療から、水や食料の配布、あるいは暮らしの相談、防犯機能などなど多様な機能を果たしています。行政の対策本部には○○POSKO」、警察には「ポリス・POSKO」、医療関係には、赤十字のマークと「POSKO」と表示しています。被災者の避難所にも「POSKO」と表示しています。さらには、RT単位やKKN単位でもPOSKOと掲げてある場合があります。つまり災害に遭遇しても、被災当事者や近くの住民やそれこそ通りがかったボランティアたちが「ここは救援のための、ボランティア活動のための詰め所ですよ!」と掲げていることになります。
 パンダガラン海岸沿いの道路に、何やら書いた看板が立てられていました。「あなたの、どのような支援でも、歓迎します。」というような意味だそうです。至る所にPOSKOがあって、このような看板に従って支援が来れば、直後については何も心配は要らないように思いますが、やはり援助の格差ができるのでしょうか?
考えてみれば、日本でもすぐさま被災地に多様な「POSKO」ができ、動ける者が率先して救援活動を始ることができれば、これまでとは違った災害ボランティア文化を生み出すのではないでしょうか。
 
 折しも、日本政府は「減災のための総国民運動」を呼びかけていますが、各地域におけるコミュニティの再建については、地域の人たちが最もよく知っている訳だから、さまざまなことを地域に任せて行けば機能的にコトが進むのではないかと思うのです。災害後の復興は、地方分権でやる方が現実的だという議論がありましたが、このしくみはさらに「地域分権」をボランタリー型と言えないでしょうか?