日記」カテゴリーアーカイブ

イタリア中部地震救援ニュース16

被災地では、秋頃を境目に大きなテント村は撤去しつつあり、住民は新しい家に転居しつつあるという状況であるようです。
また、ローマなどの主要都市では、テレビなどの報道がほぼ流れていないということを伺いました。
おそらく一周年になるまでは日本での報道もないでしょう。
さて、ラクイラでのクラウン活動も10月頃を境目に被災地での直接の活動は一段落したようです。私がお世話になったRidere per Vivereも次の段階の移っていて、
“We are still working for the Abruzzo’ s people, preparing the net for some social projects specially for children, persons with handicap and old people.”
障がい者や高齢者、子どもという分野に絞ったプログラムを準備しているようです。
CODE会員様より託された「和風マリア像」を手渡したボランティア司祭が、
「みんな元気にやっているから、いつでも戻って来いよ!」
とうれしいメールを送ってくれました。
マリア様(イタリアではマドンナと言います)が被災地で美しく微笑んでいるのが想像できます。

イタリア中部地震支援ニュース15

あの日から半年が過ぎました。
ここのところ全く情報を更新していなかったのですが、ドクタークラウンについて少しばかりか講習を受け、国内の実情について学んでいました。とはいいつつも、プロからすれば本当に垣間見たような程度でしょうが。
実はこの講習を受ける中で、塚原成幸さんという方にお会いしました。この方はドクタークラウン界では知らない人はいないでしょう。
経歴を見ると15年前の阪神淡路大震災の発生後、主に「まちづくり」活動を神戸で行っていた、ということがわかります。
情報としてはイタリアに行く前から知っていたのですが、実際にお会いして震災に思い入れがあることを聞くとやはり驚きました。
さて、短い時間でしたが、イタリアのクラウン事情についても聞いて参りました。
「組織だった強固なネットワークが存在するわけではなく、多種多様な主体が多種多様なフェーズで活動している」
「もともと文化の素地としてクラウンがあるので、一般の人々も関わりやすい活動である」
「各国によってクラウンのあり方は違って、イタリアのクラウンがそのまま日本に適するわけではないし、その逆もまたしかり」
大事なポイントは以上の3点だと思います。
この点を踏まえつつ、CODEとしての支援を探っていくつもりです。
半年以上時間が経っているので、こころのケア分野のいわゆる幻滅期に入っています。現在のクラウンがどのよな状況であるか、近々お知らせしたいと思います。

イタリア地震支援ニュース14

イタリア中部地震発生から3ヶ月以上が経ちました。
7月8日から10日にかけては、被災中心地のラクイラでG8サミットが開催されました。
地球温暖化対策や経済対策、イラン・北朝鮮問題等について各国首脳がさまざまな意見を交わしたようです。
その一方で、現地住民の暮らしはまだまだ復旧段階であり、現在もなお約5万3000人(イタリア政府調査)がテントやホテル暮らしを余儀なくされています。
サミット期間中、震災復旧の遅れを理由に、地元では多くの抗議やデモが行われました。
震災発生時刻にちなんだ「3時22分委員会」という団体は、サミット会場近くで「YES WE CAMP」の巨大文字を作り、オバマ米大統領の名台詞をもじった抗議が行われました。
水・食糧は十分にあることは前回の調査でよくわかりましたが、生活の見通しが依然としてつかない事は、何よりもつらいことです。
さて、以前お伝えした6月12日のイタリアバロック音楽チャリティコンサートは大盛況のうちに終わりました。
イタリア文化をそのまま音楽に乗せたような歌声・メロディは、その重層な歴史を幾分のくるいなく、表現しているようでした。
一方CODEでは「ひとりアート展覧会」を開催し、個に焦点を当てたイタリア地震チャリティ絵画展を行いました。
会の期間中には、バロック演奏家の方々に再度来て頂き、生演奏までして頂きました。長田にある作業所「こころわ」のスタッフがカフェまで営業して頂いたので、贅沢な空間・時間を味わうことができました。
みなさん、ご支援ご協力、本当にありがとうございます。
以下に、上記のイベントに関わった方々のご紹介をのせておきます。
イタリアバロック演奏家
“Office principi-venetiani” 075-493-5262(TEL&FAX) 笠原
“Cantoima” 078-851-7627(TEL&FAX) 今泉
「ひとりアート展覧会」関係者
三宅君弥:青陽高等養護学校卒業後、”こころわ”での実習を経て、現在一般企業で勤務。得意の貼り絵を出品。
平島和雄:地元神戸で活躍されている即興画家。登山ガイドを務める傍ら創作活動を続ける。
こころわ:長田区小規模作業所。カレーの調理・販売などを通じて、障がい者の方の自立・学習の場を提供している。カレー自体も大好評。

イタリア中部地震支援ニュース13

前回、地震発生からちょうど一か月の日に報告会をした、ということをお伝えし ました。 その時に特別ゲストとして3名のプロのクラウンが参加しました。ここで、報告 会時に共有された『クラウン』の歴史や『ドクタークラウン』についての基礎知 識をおさらいしておきます。
クラウンについては三つの潮流を受け継いできている、といわれています。
一つ目はクラウンの原点呼ばれているブッフォン・宮廷道化師の存在です。これは主に欧州において、古代から中世にかけて活躍した皇帝の道楽役兼インテリ役です。絶対的な存在である王様や貴族階級の人に対して、世の中の出来事をおかしく喜劇的に表現した者。一方で報道者として、一方では享楽を与える者として、ある意味では王を『裸の王様』に仕立てあげることのできる特異な存在だったのです。ブッフォンについて特筆すべきは、彼らが往々にして、極端に背の低い小人であったり大きな身体的特徴を持っていたりした人達だったことです。彼らは当時の社会の異端者であったのですが、ブッフォンの意味からすればその身体的『特長』を生かした(現代社会では障がい者として保護の対象と捉えられる傾向にあるが)活躍の場があったわけです。
二つ目の視点としてはイタリアの古典喜劇コメディア・デラルタの中での役割です。これは16世紀頃にイタリアで生まれた即興演劇で、道化役が極めて重要な立場を担っています。
三つ目はサーカスでの役割。これは想像に易いと思いますが、緊張感のある芸が多い会場を、失敗・滑稽・安らぎなどで笑いを引き起こす役割です。
クラウン(道化師)と聞くと、日本ですぐイメージされるのはピエロです。実はこのピエロというのはクラウンの歴史の流れの中にある一つのキャラクターにすぎません。ピエロは、好きな人にフラれ、人生失敗ばかり。しかし、そんなキャラクターに愛情を向けてしまうのが日本の精神にあるのでしょう。判官贔屓(ほうがんびいき)という感情を持つ傾向にある日本では(報告会の中では、これはまさに演歌の世界だ!という指摘も)このピエロの役がピッタリ社会に馴染んだのでしょう。
クラウン(道化師)=ピエロのステレオタイプが出来上がったのは、このような経緯も関係しているのでしょう。
クラウンの活動がどこまで日本に影響を及ぼすのか、コミュニケーション不足といわれている現代社会に一石を投じるような、第四の潮流を汲んでいくとことを大いに期待します。
現在、被災地のボランティアによる「こころのケア」とクラウン活動の関係性を探っているところです。日本では緊急クラウン、クリニクラウン、ホスピタルクラウン、ケアリングクラウン等の団体が素晴らしい活動を続けています。

イタリア中部地震被災者支援のためのチャリティコンサート

4月6日にイタリア中部ラクイラ周辺を襲った地震の被災者のために、関西を拠点に初期バロック音楽の演奏を手がけてきた古楽演奏家有志が集まり、チャリティコンサートが催されます。コンサートの概要は下記の通りで、収益金はCODEに託されます。プログラムの詳細はチラシ
(http://www.cantoima.com/aquila.PDF)をご覧下さい。
チケットはCODE事務局でも預かっていますので、必要な方はご連絡ください。
———–
イタリア中部地震被災者支援のためのチャリティ・コンサート
「よみがえるイタリアンバロックの響き~400年のときを超えて」
バロック音楽の発祥の地イタリア。
イタリアの歴史と文化と共に今を暮らす町ラクイラ。
そのラクイラの町と人達を襲った災害。
イタリアでの活動経験を持つ音楽家と、
阪神大震災を体験した音楽家が急遽、
チャリティーコンサートを企画しました。
自分たちを音楽家として育んでくれた
イタリアの古今の人々とその文化へ、
感謝と祈りを込めて。。
(コンサートの収益金はCODE海外災害援助市民センターの活動を通して
被災者支援に充てられます。)
日 時:2009年6月12日(金) 開演7:00pm 開場6:30pm
場 所:西宮市・甲東ホール(アプリ甲東4F)
入場料:3000円(前売り、当日共)
プログラム:カンツォン/T.メルラ、カナリオス/G.カプスベルガー、
お前は何と美しく輝かしい/O. di ラッソ、甘く美しい銀色の白鳥/J.アルカデルト、その他、モンテヴェルディ、パレストリーナ、ガブリエリ等を予定
出演者:緋田芳江(ソプラノ)、進元一美(ソプラノ)、伊藤由美(ソプラノ)、白石愛子(アルト)、岡本雄一(テノール)、今泉仁志(バス)、緋田吉也(バス/リュート)、織田貴浩(テノール・サクバット)、松田洋介(バス・サクバット)、瀬田麗(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、高本一郎(リュート)、吉竹百合子(チェンバロ)、安宅留美子(歌、リコーダ)、上野訓子(コルネット、ミュート・コルネット)、笠原雅仁(歌、コルネット、リュート)
主 催:イタリア中部地震チャリティ・コンサート実行委員会
後援・協力:CODE海外災害援助市民センター
予約・問い合わせ:
 ”Office principi-venetiani” 075-493-5262(TEL&FAX) 笠原
 ”Cantoima” 078-851-7627(TEL&FAX) 今泉

イタリア中部地震支援ニュース11

5月6日夜に行われた「イタリア中部地震報告会」について、報告を行った尾澤のレポートでお届けします。
————
イタリア中部地震発生からちょうど1ヵ月の5月6日晩、帰国したばかりのスタッフによる報告会がCODE会議室にて、寺子屋形式で行われました。スタッフ・関係者など含め14人が参加しました。イタリア現地の写真や生の声を知ることができる、よい機会となりました。
さらに実際にプロのクラウンとして活躍されておられる方も参加していただき、報告を通した考察や補足説明をしていただきました。派遣の準備段階からお世話になっている、緊急クラウンジャポン代表の村上さん(主に欧州で活動)、そしてクラウンチムチムサービスのカッシーくんとままれちゃんご夫妻のご指導をいただきながら、クラウンそのものの意義や歴史、それを通じてのコミュニケーションについて、長時間議論が続きました。これからの支援体制や新しいプロジェクト思案について貴重なアドバイスを頂き、大変有意義な時間を過ごすことができました。
具体的な内容・今後の方針については、現地の団体などと連絡を取りつつ、検討してご連絡したいと思います。
————-

イタリア中部地震支援ニュース10

 現地入りしていた尾澤良平は、一日送れで無事帰国しました。JALさまはじめ、みなさまのご支援の賜だと感謝しております。若干24才の人間ですが、こうした貴重な経験をさせて頂いたことで、大きな学びになったことと思います。6日の神戸での報告会では、その充実したイタリア訪問についてたっぷり聞かせて下さると思います。また、6日の報告会には、うまく調整できれば意外なビッグゲストが参加してくれるかも知れません。このことも含めてお楽しみにして下さい。
 さて、彼が現地を飛び立つ前に入った被災地「コピート村」での様子や、そこでインタビューしたドクタークラウンの話を紹介します。長くなりますが、ご了承下さい。
——————-
<4月29日>
 ちょうどお昼過ぎにコピート村に着いたので、食堂(100m×20m)に連れていかれて、支給されている昼食を頂きました。今回の派遣で2回目です。1度目は例のロシア人友達のいるテントだったのですが、内容がまったく違っていました。そこには大きな厨房があり、専門かボランティアかわかりませんが担当のコックがいる。お肉・ほうれん草・ラザニア・パスタ等がたっぷりありました。それを給食のように、お盆を持って、お皿に入れてもらう。そして卓上にはパンと甘いチョコパンと蒸しパン、オレンジ、水(炭酸有&無)。聞いただけなら一流のレストランかと間違えそうなほどの内容です。イタリアに長く住む通訳Kさんからすると、まあ普通の家庭料理程度かな、という印象だったらしいです。しかし、避難所で家庭料理並みの待遇が与えられている、ということはやはり十分な対応なのではないでしょうか。ちなにみロシア人の彼がいたところは、先述しましたが、ランチパックのようなもので、少し味気ない印象がありました。お昼前にそこを訪れてレストランの様子を見ましたが、前回と変わらずのランチパックでした。両者とも政府から支給されている、と言っていたので、何かしらの対応の差があるのかもしれません。
 ドクタークラウン達はすでに食べ終えていましたが、何やら疲れている様子。午前中に戸別訪問をしていったそうですが、それでかなりつかれたとのこと。そういえば、昨日も日没前の19時頃(こちららは日が長いので、20時頃が日没です)にミーティングをしていましたが、舞台裏のクラウンはかなり疲れていましたね。さらにそれからあまり寝ていないという。1週間弱の短期的なボランティアですが、終日フル回転なので、相当しんどそうです、被災者の前以外では。今回は4人組みで来ていて、1週間ごとのローテーションです。持てる力を最大限発揮しようとするのでしょう。各自それぞれテントを持ってきており、お昼休みも一応あるので、ゆっくりできるのですが、「寝れるかなぁ、、、」、とボソっとつぶやいていました。その予感が的中したのか、はたまた休むうつもりは毛頭なかったのか、食後すぐに子どもがいるテントに向かっていました。
思春期の子どもの内の一人が他の子どもとケンカをして落ち込んでいるというのを聞き、励ましにいったのです。風船を使ったり、ジョークを言ったり、、、場は明らかに変わります。
さて、彼らと交流できるのも最終日なのでドクタークラウン2名をインタビューしました。 一人目は20歳の学生で、薬学を学んでいるというナイスガイ。クラウン名GIODY。以下質問に対する答え。
①ドクタークラウンとの出会いは?
→お母さんや妹がドクタークラウンをやっていた。一年半前からやっているが、人を励ますことで自分も元気になる。
②動機は?
→ガレキの撤去や配食などの普通のボランティアではなく、自分の得意分野を活かした活動がしたかった。ドクタークラウンは数としてもまだ多くないが、自分のできる事をしようと思った。
③ドクタークラウンは国の予算など見てもイタリア社会の中でとても盛り上がってきたように感じられるが、どう思うか?
→ドクタークラウンはイタリアではまだ新しい概念であり、システムだ。専門的なドクタークラウンは600時間もの講習を受ける。ボランティアの僕は週末6回の100時間コースを受講し、それから病院で研修を受けた。予算等お金の関係抜きにしても、クラウンが必要だと考えられ始めた。市民のウケもいい。警察や市長も感謝している。ゆっくりゆっくり関係を築いていると思う。さらにこのような事は個人でするの
は難しいので、団体などで行動することでやりやすくなっていると思う。
④病院でクラウン経験があると言っていたが、被災地で行った後で感じる違いや特徴はあったか?
→病院では、高齢者の方や子どもの退屈をつぶすという印象があったが、被災地では笑いを生み出すだけでなく、彼らの悩みやつらさを聞いてあげて発散させるという傾向が比較的強いと感じた。
⑤ボランティアにしてはとても長い研修が必要だと思ったが、一番のポイントは何だったか?
→経験者の話を聞けること。
⑥ドクタークラウンに必要な要素は?
チェンジ。気分を変える。雰囲気を変える。視点を変える。
二人目は一番印象的で、おもしろすぎる長身の美女!?クラウン名、SOTTOSOPRA。
①クラウンとの出会いは?
→もともとロンドンで演劇やサーカスの勉強をしていて、そこで友達に紹介された。
②動機は?
→ロンドンにいたときに事故に遭い、足を痛めた。それで諸事情あり、ローマに戻って1ヵ月したときにドクタークラウンのコースがあることを知り、すぐに動いた。
③ドクタークラウンに必要な要素は?
→人々の様子を見て、問題を発見して、やるべきことをする。
④被災地ならではの特徴は?
→やはりストレスなどを吐き出したい人が多い。それをうまく聞いてあげることが必要。
以上、2名です。
もう何も言うことはありませんね、まさにボランティアの鏡です。
———–

イタリア中部地震支援ニュース9

 尾澤は今日1日の夕方帰国しますので、いよいよこれが現地からのレポートの最後になります。(被災地に入る)最終日は、歴史あるカステッロ(ラクイラから30分くらいのところ)を訪ね、和風ピエロを少しやらせて貰ったようです。
以下、少し長いですが尾澤からのレポートを掲載します。
————-

 この日は午前にIVALSAの件でバタバタとし、午後に通訳さんと共に奥地の歴史あるカステッロ(意味は城・単位的には村レベル)を訪れ、突撃ジャパニーズクラウン(和風ピエロのこと)をしてきました。このカステッロの名前はカラショ。ラクイラから30分くらい車で走ったところにある小さな村。といってもお城付の歴史あるところ。言い伝えではこのようなカスッテロが99集まって、合同で街をつくったのがラクイラらしい。この辺り一帯のカスッテロは、1254年に皇帝フリードリヒ2世の都市建設資格免許状を受けて、力を合わせて堅固な都市建設の夢を実現すべく、同盟を結ぶ形でラクイラを創設した。とにかくラクイラより周りのカスッテロの街を訪れた方が歴史的な建築が圧倒的に多く、興味深いということです。ラクイラは13世紀ころの建築が最古ですが、周りは古代ローマ時代の遺跡から、ラクイラ史以前から残る中世の建築が残っているのです。
 さて、カラショの避難所、15くらいのテントに入っていくと、そこには子供は一人しかいません。急な訪問に少し驚いている様子だったが、クラウンだとわかるとその子供は無邪気に遊びだした。まけないぞうのプレゼントを渡した。周りの大人たちは冷ややかな目でみたり、恥ずかしがったり、こっちのノリに乗ってきたりとさまざま。このあたりの反応は日本人と似ています。とにかく子供と少しでも触れ合えてよかった。個人的にはジャパニーズクラウンのウケはもっとあるのかな、と思ったが、やはり先進国ということもありアジアも含めて移民の多い国、そこまで異文化で珍しいものが来た!という反応はありません。でも子供は別。ドラゴンボールのモノマネやサムライの身振りなどをすると、大変よろこぶ。イタリアクラウンも基本的には子供を相手にすることが多いです。
そして27日から正式にボランティアとして入っているコピート村の避難所へ。ここには50弱のテントに食堂テント、こどもの遊技場テント、交流テントなどがあった。どの避難所もこのような構成をしている。ジャパニーズクラウンはまず、思春期の子どもたちを即興劇に参加するように促してくれ、と命じられた。といってもイタリアクラウンについていくだけ。イタリアクラウンは思春期の子どもたちには少々手を焼いている様子。これは日本でも想像できますね。「劇!?、やってられっかよ。」という反応をするのです。でも基本的に明るい性格ですからイタリアクラウンがマジックをしたり、風船遊びをすると、ちゃんと楽しみます。この辺りは日本とちがうかもですね。 私も一緒に楽しんでしまいました。イタリア語がわからないのが功を奏してなのか、思春期の彼らの気持ちを少しは掴めたかもしれません。
「私が手に負えなかった彼らを、ジェスチャーなどを利用して交流できているのはいいですよ」と褒めてくれた。それを聞いてとてもうれしかったです。思春期の彼らからすると、おどけたクラウンはどうせ演技でしょ、という感じでぶっきらぼうな態度を取るのですが、私はイタリア語が話せないのである意味でこちらが低い立場になることで、こどもの相手ができたということかもしれません。私は終始ニヤニヤしたり、相手のモノマネをしたりしただけですが、通訳と共に、被災者の方、クラウンの仲間と少しながらも良い関係ができたと思っています。
被災地に入るのが最終日なので、これまで訪れた場所に再び足を運びました。まずは毎日ガソリンを入れに行ったスタンドのおじさんのところへ。電話やガスがないから大変なこともあるけど、特に不自由なく暮らしているよと、前向きだった。
そして最初にお世話になったロシア人のいる避難所へ。先述したように、ここは教会が完全に壊されたので、食堂の横に簡易教会がある。ここでSさんから頂いた日本風で着物を着たマリア像を描いた置物をプレゼントすると、びっくりするくらい喜んでいました。十字架の前において写真を撮ったり、周りに自慢したりと。ぜひこれからも交流しよう、ということでキープインタッチをすることを誓いました。それからまもなくロシア人の友達(?)も来て、自分の家の被災状況を見せてくれました。今は週に2日はホテルで5日はテント。ホテル代は支給されているとのことです。そういえば映画「明日、陽はふたたび」でもホテルが避難所になってました。日本ではこのような考えはあるのでしょうか。気になります。 さて20年前の5階建てのこの賃貸マンションは見る限りしっかりたっているのですが、ところどころ小さなひびが入っており、一番下の階は比較的大きなひびがありました。地震発生時には混乱してすぐにベランダに出たそうです。イタリアには避難訓練のようなものは少なく、学校で1回ある程度だ、といってました。この中で寝るということはもちろんなく、余震があってからもひびは増えているらしいです。
————–
次は帰国後続きがあるようですのでお楽しみに!

イタリア中部地震支援ニュース8

 現地からのレポートで、実は阪神・淡路大震災以後の日本における耐震の研究部門に、イタリアの研究部門が大きく協力していたことが分かりました。イタリア北部のトレンティーにある「イタリア国立樹木・木材研究所(CNR IVALSA)」と「独立行政法人 防災科学技術研究所」が共同で、2006年7月10日筑波の同研究所で「壁で支えるヨーロッパの新型木造建物-新壁式木造建物の公開加震実験-」を行っていたのです。
 このことが、今回ラクエラの被災地では話題になっており、「日本でイタリアの研究者と耐震実験がされたんですね!」と聞かれるそうです。 尾澤がヒアリングをしていても、建物の被害について被災者が口にするのは、「政府は耐震を強化しなければならないことは判っていたのに、何も対策をしなかった」ということがでるそうです。
 一方、彼は能登半島地震で学んだように築400年の寺がほとんど壊れなかったり、築150年の伝統家屋が無傷であったりという住まいの文化の奥深さ、このイタリアの地でも感じているようです。300年前や900年前に建設された建造物がビクともしていないという光景を見て、イタリアと能登が重なってくるとのこです。
 先の新壁式木造建物加震実験は、その後兵庫県三木市のE-ディフエンスでも行われました。何故それを覚えているかというと、確か日本で公開で木造建築の事物大加震実験をされたのは、このイタリアと日本の両研究所が共同したのが最初だったと思います。実験後の新聞記事を拝見し、「あっ、木造の中層建物が壊れてない!」と感激したからです。
 でも、正直この時の木造は”木材合板”だったことと、(もちろんそのための実験だから仕方がないのですが)窓以外は全部木材合板というイメージだったので、本来の日本の伝統木造構法で建てたものではないということで、私の関心からは遠のいて行ったのです。遠のいた理由のもう一つは、その後しばらくして本格日本伝統木造建築物の加震実験が同じ三木で行われ見ることができ、この実験の結果ほとんど無傷だったことを覚えているからです。
いづれにしろ、今回の地震でイタリアの被災地でも耐震のことは改めて話題として浮上していることは事実で、イタリアは海外支援を断っているが過去にこうして耐震に関する共同での実験をされただけに、あらためて日本の研究機関とイタリアの研究機関が共同で本格的な耐震普及に動かれたらと切に願うところです。
(事務局 村井)

イタリア中部地震支援ニュース7

ニュース6で、和風ピエロ”尾澤”の活躍ぶりを期待させるようなところで終わりました。ドクタークラウン(道化師治療)の有資格はイタリアでも制度になっているらしく、最低でも100時間の講習を必須とされています。(ちなみに、日本防災士機構が行う「防災士研修」も、3日間の座学とワークショップなどです。)従って、テント村で実際にやっている人は、すべて研修終了生だそうです。
さすが(というか、動じない、あつかましい)尾澤は、「私は日本から頑張ってここまで来た!」とか懇願して、異例のことですが半日だけですが仲間に入れて貰い、テント村で演じたようです。以下本人からの熱い感想メッセージです。
————–
午後はやっとクラウンです。初めてテント村に立場を持って入ることができました。とても充実した時間をすごすことができました。
  クラウンについてですが、今回初めて活動を共にしました。やはりすごいです。完全な芸人です。冗談をいい、変な動きをして、住民の心をケアする。すごいです。口下手な人もしっかりと聞く耳を持つことで、十分な役割をおっていると感じました。僕はしゃべれないクラウンということで活動しました。イタリア語がなくてもなんとかなるもんです。
————–
ということ、大夫興奮したようです。
 これって、日本で災害後の寄り添いボランティアとして最近特に注目を浴びている「足湯ボランティア」の聴くこととよく似ているなぁと感じました。足湯で織りなす会話やその会話を元に、もっと豊かな関係性へと発展させるとか研究すれば、足湯がもっと効果的になるかもしれません。でも、これまで足湯を見てきたところでは、むしろまったく筋書きのないドラマがライブ感覚で演じられるところに、被災者と学生との豊かな関係性が成立するようです。ピエロになって、足湯をやればどんなことになるのだろうか・・・・・?。