災害とジェンダーの講義を聞いて。

災害とジェンダーの講義を聞いて。

11月28日

今日は学院大学の授業でCODE元スタッフの斉藤容子さんの講義に同行させていただきました。今までに自分が持っていなかった視点でのお話だったので、とても勉強になりました。その学びを書きたいと思います。

今日は本当にいい天気だったので、日向ぼっこをしていて1日が終わったという人も多いのではないでしょうか。

今日は結構文章が長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただければと思います。

 

講義のテーマは『災害とジェンダー』でした。

授業冒頭に以下のような問題が出されました。皆さんも少し考えてみてください。

 

とある病院に事故に遭った父親と子どもが運ばれてきました。
父親は事故により亡くなってしまいましたが、子どもは重傷で今すぐ手術が必要な状態です。

幸いこの病院には大手術を何回もこなした著名な外科医がいましたが、外科医が子どもを見たとたん執刀を拒否しました。
同僚の医師に手術を代わってくれるように頼む。
「この患者は自分の息子だから、冷静な状態で手術をする事が出来ない」という理由だった。

この2人はどんな関係でしょう?

 

 

 

 

医者は女性だったのです。

 

わかったでしょうか?僕は分かりませんでした。

これは、外科医=男性という固定観念が僕にあったからです。

このように社会的・文化的につくりあげられた性を『ジェンダー』というのです。

 

災害時に、こんなことがあったそうです。

 

被害を受けていない家の女性がとにかくおにぎりを握り続ける、手が真っ赤になるまで。最初は頑張れます。みんな大変だから、人の役に立てると。でも、それがずっと続くと当然しんどくなります。いつまで続くのと。災害時でも、頑張れる限界は当然あるんです。

 

避難所の物資受付窓口で物資をもらいに来た10代の女の子が、窓口の様子を見て引き返してしまいました。担当の男性は地域組織の役員で、人望も厚く寝る間も惜しんで、懸命に避難所運営をされている方です。

 

これは女性が生理用品がもらいたいというのを担当の方が男性で恥ずかしくて言えなかったためです。災害時なんだから恥ずかしがるなよ、という声もあるかもしれませんが、

災害時でも嫌なものは嫌で、恥ずかしいものは恥ずかしいんです。

 

このお話を聞いたときに吉椿さんの講義の中で出てきた

『住まいに仮はあっても、暮らしに仮はない』という言葉を思い出しました。

 

災害時であっても、『緊急時なんだから仕方がない』で済ませてはいけない問題がたくさんあるんだと思います。だって、そこでの『暮らし』は仮ではないから。

 

また、このほかにも様々な問題を知ることができたのですが、災害後に女性がどういったことに困るのか、知識として色々勉強しても完璧には対応できないと思います。

 

それは、僕が男だからです。

 

当然どういったことを気にするべきかなど知識として知る必要はあります。それでも、当事者である女性にはきっとかないません。

僕は21年間『男』として生きてきました。なので、災害時に『若い男性』が困ることは想像ができるかもしれません。

しかし、『若い女性』のことは『若い女性』が一番詳しいだろうし、『おばあちゃん』のことに詳しいのは当然『おばあちゃん』です。

 

だからこそ、物事を決める際には色々な視点が必要で、そのためには男性も女性も年齢も立場も様々な人たちの参加や意見をきくことが大切なんだということを、今日の講義で今までにないくらい思いました。

 

僕は21歳男性の僕なのでどうしてもその目線から世の中を見てしまいますが、他にも沢山の僕と違う人たちがいて、違うことで困る人がいるということを意識して生きていけるようになろうと思います。

それでは今日はこの辺で。

 

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写真はネパールできびの実をとっている女性の方です。ちなみにですが、この後僕はこの作業を手伝って、手が血だらけになりました。

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