【2013年ハイチ訪問レポート No.3】

CODE海外災害援助市民センターです。
5月に代表の芹田と事務局長の吉椿がハイチ地震の被災地を訪れました。
引き続き、そのレポートをお送りします。
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■2013年ハイチ訪問レポート No.3
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2010年1月12日のハイチ大地震の震源地にも近かったレオガン市は、首都ポルトープランスから西へ約29kmに位置する。超渋滞のポルトープランスの喧騒を抜け、車を40分ほど西に走らせるとレオガン市に到着する。3年を経た被災地レオガンでは、瓦礫はかなり撤去され、すでに新しい家も再建されているが、ところどころ倒壊したままの住宅や建設途中で放置されたままの住宅も目に入る。
現在、衛生状況の改善のためJICAによって下水道工事が町の中心部で行われている。だが、この時期、スコールのように激しい雨が降ると少し奥まった道はすぐに川のようになり、未だインフラ整備が不十分であることがうかがえる。
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▲雨の後の道路
レオガン市街の少し手前の国道2号線沿いに広大な敷地に囲まれた施設が見えてくる。そこが「国立シグノ結核療養所」と「Cardinal Leger Hospital」という病院である。地震によって療養所の入院病棟のほとんどは倒壊し、そこで亡くなった方もいる。その後、助かった患者さんの多くも1年以上もテントでの療養生活を強いられたという。現在は、日本政府の協力によって療養所は新しく再建され、まもなく開所される。
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▲再建された療養所
ここで37年間、結核治療を行ってきたのが、クリスト・ロア修道女会のシスターである須藤昭子さん(86歳、医師)である。シスター須藤の活動は、結核治療はもちろん、長い間ハイチで暮らす中で国民の4割が慢性的な栄養不足にある事が医療に影響していることに気づき、食を満たすための農業の必要性を訴えてきた。自らタイに出向いて「炭焼き」を学び、炭を焼く過程で出る木酢液や炭を利用した肥料や防虫剤などが農作物に有効だという事をハイチの人々に教えた。そんな活動の中からGEDDHという地元のグループが生まれた。彼らは、学んだ農業技術をレオガン周辺の農村の人々に教えたり、度重なる洪水によって奪われていく農地を植林によって守ろうとしている。GEDDHが、CODEの建設する農業技術学校(ETAL)の農業実習を担当し、一緒に土にまみれながら若者を育てていく。 
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▲土止めの為に植林された竹
(吉椿雅道)