【2012年ハイチ訪問レポート No.1】

CODE海外災害援助市民センターです。
代表の芹田とスタッフの岡本がハイチ地震の被災地を訪れました。
2011年3月にメキシコのパートナー、クワゥテモックさんがハイチを出たのを最後に、1年半ぶりの訪問となりました。日本からの訪問は2年ぶりで、これまでのプロジェクトの経過のヒアリングと、今後の新しいプロジェクトの打合せを行ってまいりました。
CODEは震災後に立ち上がった現地の住民団体「ACSIS」をカウンターパートとして、2011年1月から女性の起業支援のための小口融資事業を行ってきました。この融資を利用した人たちの声などを、いくつかのレポートに分けてご紹介していきます。
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■2012年ハイチ訪問レポートNo.1
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*地震から2年半の被災地
ハイチの日射しは、じりじりと肌が焼けるような熱さです。
首都ポルトープランスのダウンタウン中心部では瓦礫が既に片付けられている場所が多く、主要道路を車で走るだけではかなり復興したように見えます。一方、建物の9割が倒壊したと言われているレオガンでは、やはり瓦礫や更地が目につき、被害の大きさを物語っています。また、ハイチではほとんどの建物がブロック作りで、全壊を免れた建物も屋根や壁が部分的に崩れたままになっているのをよく見かけます。地震であれほど壊れたにもかかわらず、いま建てている建物もブロック作りです。一段積んではセメントを糊にし、また一段積み上げる――そうして2階建て、3階建てにします。木材がないことや、「ブロック作りの建物はステイタス」という感覚もあるようですが、もし再び同じ揺れが起きたらと懸念します。
街なかは多くの人が行き交い活気があります。2010年4月、村井事務局長が地震から3ヶ月後のハイチを歩き、「露天商のパワーがすごい!」と言いましたが、まったく同感で、隙間さえあれば店を構え、ありとあらゆるものが売られています。洋服、靴、家具、電化製品、食料、日用消耗品、食器、おもちゃ……。300mも歩けばデパートに行く必要はなさそうです。店番しているのはほぼ女性です。
大きなキャンプも残っており、家をなくした方々がテントやトタン、ブルーシートなどで作った小屋に住んでおられます。IOMによれば、575のキャンプに39万人が生活をしているといいます(8月28日)。ピーク時はテント生活者が150万人と言われましたが、キャンプを離れても、むしろキャンプ以下の貧困の暮らしから抜け出せないでいる人たちが少なくありません。こうした中、8月25日にもハリケーンが直撃しました。嵐の度にテントは水に浸かり、犠牲者が出ています。水害は感染症の原因ともなります。2010年10月頃から流行しているコレラは、最近少し収まりつつもこれまでに58万人以上が感染し、約7500人が亡くなっています(8月10日、OCHA)。
それでも確かに活気を感じるというのは、植民地時代、独裁政権時代、その後の弾圧の時代など、凄まじい権利の侵害と恐怖を生き延びてきた人たちの不屈の精神が受け継がれているように感じました。
(岡本 千明)