ハイチ地震レポートNo.50

引き続き、CODEの野崎理事のハイチ調査レポートをご紹介します。
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到着して4日目(9月3日)の報告です。
クワゥテモックさんのアシスタントのソニーさんのことを少し触れておきたいと思います。彼は、21歳でドミニカ生まれのハイチ人です。母親について子供のころにハイチに帰ってきましたが、スペイン語とクレオール語だけでなくきちんとしたフランス語も勉強しています。責任感が強く、クワゥテモックのクレオール語をしっかり補って、訪問先への連絡や時間調整を秘書のようにこなしています。クワゥテモックさんがかわいがって育てている青年です。
ソニーさんと3人で朝食を済ませレオガンまで同行することになったアリシアさんというイタリア人の女性を乗せて出発しました。アリシアさんは、REIKIという日本発のメンタルケアの技術を持って被災者の支援をしたいとハイチにやってきたそうです。気巧のようなものらしいですが、日本でも聞いたことが無いというとショックを受けていました。
食事の後、ラファエルさんからAyuda a Haiti(クワゥテモックさんが2月から一緒に活動しているドミニカのNGO)の活動について説明を受けました。ラファエルさんは震災直後数日後にドミニカからポルトープランスに入り、まだ数少なかった国際NGOとレオガンに入りました。クワゥテモックさんも少し遅れてラファエルさんと合流しました。やがて次々到着するNGOで現在、レオガンで30~40団体が集まるネットワークとなっています。今後の計画で興味を引いたのは現在の拠点のなかに支援センターをつくる計画です。図面もできていてデータを送ってもらうよう頼みました。
我々がベースについたとき、あずまや(キオスク)で40人近くの若者たちが保健教育のワークショップをやっているところでした。主導しているのはMedical HaitiのDr.Chenetで若者たちはレオガン周辺のコミュニティリーダーたちだそうです。毎週金曜日朝8時に開催するこのワークショップには朝4時~5時に家を出て、歩いたりタプタプと呼ぶ乗り合いバスを乗り継いで参加しているとのことです。
ベースでは15歳以上の孤児たちが、いろんな役割を担って働いています。中にはJICAのIDカードを誇らしげに見せる子もいます。世の中の役に立っているという自覚が自立と回復につながっていくとみんな期待しています。
ベースを出て3つの孤児施設を訪問しました。最初はLittleAngelという施設で元の施設が崩壊したので新しい場所をみつけて再開しています。37人の孤児がおり増設した教室が未完成でした。ここは地域のコミュニティのなかにあり地域で親を失った子供たちも含まれていました。
次に訪れたのはHouse of Poor Childrenという施設で、工事中だった施設が壊れたため貸
主から退去を求められています。どこか土地をさがしてテントからスタートしなければならな
いとのことです。
3つ目は、名前を聞き漏らしましたが山の近くの草原にある施設です。到着が遅くなりあたりが暗くなっていましたが、子供たちが元気に迎えてくれました。たくさんの歌を聞かせてくれ、印象的だったのは、孤児のひとりが作ったラップソングでした。ここもテント暮らしで教室や宿舎が工事中という状態です。雨季の迫るなかで早く屋根のあるところに入れてあげたい
と思いました。

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