引き続き、CODEの野崎理事のハイチ調査レポートをご紹介します。
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9月4日(土)の午後は、ハイチ最大の非難キャンプDELMAS3を訪問しました。元はスポーツ公園だった場所に5万9000人がテントやバラックを建てています。ハイチ最大のスラムと言われたシテソレイユに隣接しており、MINUSTAH(国連ハイチ安定化ミッション)が近くに事務所を構えていましたが全壊し、スタッフも亡くなっています。
Harbyさんはそこに勤務していたのですが、そのままDELMAS3の支援をすることになりました。赤十字がともに支援に入っていますが、すでに殺人が5件、レイプがわかっているだけで数十件発生しているそうです。その理由は、近くにあった刑務所が倒壊して5,300人の囚人が逃亡し、800人しか捕まっておらず、その多くがここに潜んでいるからだそうです。また、シャワー施設が整っておらず、女性が囲いのないところでシャワーを使っていたり、夜になると暗くなってしまうなどが理由です。現在は、パトロールをしたり照明を数箇所設けるなど改善を図っています。
驚くべきことに、政府が公表している仮説住宅建設戸数は土地建物のオーナーだけを対象にしたもので首都住民の大半を占める借家人への対策は全く示されていないといいます。
月別アーカイブ: 2010年9月
ハイチ地震レポートNo.50
引き続き、CODEの野崎理事のハイチ調査レポートをご紹介します。
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到着して4日目(9月3日)の報告です。
クワゥテモックさんのアシスタントのソニーさんのことを少し触れておきたいと思います。彼は、21歳でドミニカ生まれのハイチ人です。母親について子供のころにハイチに帰ってきましたが、スペイン語とクレオール語だけでなくきちんとしたフランス語も勉強しています。責任感が強く、クワゥテモックのクレオール語をしっかり補って、訪問先への連絡や時間調整を秘書のようにこなしています。クワゥテモックさんがかわいがって育てている青年です。
ソニーさんと3人で朝食を済ませレオガンまで同行することになったアリシアさんというイタリア人の女性を乗せて出発しました。アリシアさんは、REIKIという日本発のメンタルケアの技術を持って被災者の支援をしたいとハイチにやってきたそうです。気巧のようなものらしいですが、日本でも聞いたことが無いというとショックを受けていました。
食事の後、ラファエルさんからAyuda a Haiti(クワゥテモックさんが2月から一緒に活動しているドミニカのNGO)の活動について説明を受けました。ラファエルさんは震災直後数日後にドミニカからポルトープランスに入り、まだ数少なかった国際NGOとレオガンに入りました。クワゥテモックさんも少し遅れてラファエルさんと合流しました。やがて次々到着するNGOで現在、レオガンで30~40団体が集まるネットワークとなっています。今後の計画で興味を引いたのは現在の拠点のなかに支援センターをつくる計画です。図面もできていてデータを送ってもらうよう頼みました。
我々がベースについたとき、あずまや(キオスク)で40人近くの若者たちが保健教育のワークショップをやっているところでした。主導しているのはMedical HaitiのDr.Chenetで若者たちはレオガン周辺のコミュニティリーダーたちだそうです。毎週金曜日朝8時に開催するこのワークショップには朝4時~5時に家を出て、歩いたりタプタプと呼ぶ乗り合いバスを乗り継いで参加しているとのことです。
ベースでは15歳以上の孤児たちが、いろんな役割を担って働いています。中にはJICAのIDカードを誇らしげに見せる子もいます。世の中の役に立っているという自覚が自立と回復につながっていくとみんな期待しています。
ベースを出て3つの孤児施設を訪問しました。最初はLittleAngelという施設で元の施設が崩壊したので新しい場所をみつけて再開しています。37人の孤児がおり増設した教室が未完成でした。ここは地域のコミュニティのなかにあり地域で親を失った子供たちも含まれていました。
次に訪れたのはHouse of Poor Childrenという施設で、工事中だった施設が壊れたため貸
主から退去を求められています。どこか土地をさがしてテントからスタートしなければならな
いとのことです。
3つ目は、名前を聞き漏らしましたが山の近くの草原にある施設です。到着が遅くなりあたりが暗くなっていましたが、子供たちが元気に迎えてくれました。たくさんの歌を聞かせてくれ、印象的だったのは、孤児のひとりが作ったラップソングでした。ここもテント暮らしで教室や宿舎が工事中という状態です。雨季の迫るなかで早く屋根のあるところに入れてあげたい
と思いました。
ハイチ地震レポートNo.49
引き続き、ハイチ地震復興支援に向けて現地で調査を行っている
CODEの野崎理事からの報告をご紹介します。
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●ラプレンにて
その後、ラプレンに向かいました。途中、空港近くでハイチ最大規模の避難キャンプの前を通りました。3万5000人がいるそうです。日本の仮設住宅の4,5倍くらいの密集度合いで、とても人が生活できるようには見えません。こんなところに8ヶ月近く暮らしているとは信じられない感じがします。
ラプレンは名前のとおり平坦な地域で碁盤の目状に道路が整備されていて、坂の多いポルトープランスとはかなり雰囲気が違います。そんなこともあって、他の地域から多くの被災者がやってきたようです。
面談してくれたメンバーは、「ACSIS」(※注)代表のルシアンさん(28)、副代表のエマニュエルさん(26)と会計担当のジョニーさんの3人でした。彼らがやってきたことは、直後のブルーシートの配布を除くと子供たちに学校へ行くための勉強かばんを配ったり、食事を配給したり、子供たちの支援が中心となっていました。今後は長期的な活動が必要と考えていて次のようなことを考えています。
1)子供や障害者・高齢者を支援するセンターを作りたい。
2)10月4日に学校が始まるが、子供たちにノートや筆記道具を配りたい。
3)孤児に食事を届ける事業を3月に始めたが継続に苦労している。続けたい。
その他の情報交換でわかったことは次のとおりです。
1)コンビットという互助組織はあるが、田舎でしか機能していない。
2)被災者キャンプは、どこも大きすぎて手がだせない。近隣のコミュニティを対象にニーズをみながらできることをやっていきたい。
●国連スタッフの話
夜にクワゥテモックさんの知人で、国連ハイチ安定化ミッションの人道セクションでレオガンを担当しているハービーさんと食事をしました。彼は今、健康と防災をテーマにした野外映画
の上映を各地のキャンプで実施しているとのことでした。またキャンプで頻発するレイプの防
止にも苦労しているようです。CODEへの期待は大きくて、是非連携してやれることを見つけたいと言っていました。
(※ACSIS:ハイチの被災者自身が立ち上げた支援団体。富田林在住のハイチ人、ピエールマリさんもそのメンバーの一人で、8月1日にCODEでACSISの活動紹介をして下さいました)
ハイチ地震レポートNo.48
ハイチ地震復興支援に向けた調査のため、8月31日より現地入りしている
CODEの野崎理事からの報告が届いておりますのでご紹介します。
CODEの海外研究員、クワゥテモックさんと共に調査を行っています。
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●ポルトープランスおよびレオガンにて
我々の宿泊したホテルの周辺は、もともと高級住宅街だったそうですが、公園に被災者のテントが密集しており、被災者と思われる人々が夜遅くまで周りを歩いていました。
道路状態の悪さと渋滞のため、ポルトープランスからレオガンまでは30キロしか離れていないのに3時間かかって到着しました。クワゥテモックの説明では90%以上の建物が倒壊したとのことでしたが、多くの人があてどもなく通りを歩いているのに町の姿が見えないという状態でした。その中でも古い木造の住宅が残っているのが目をひきました。トルコや中国と同じですね。
昼食後、Ayuda a Haiti(クワゥテモックさんが2月から一緒に活動しているドミニカのNGO)の拠点となっている被服工場跡にいき、孤児の支援をしているスペインのNGOと話をした後、農業学校設立を予定している地元NGO、JUDDHのJoseph Estalienさんと話をしました。
その後、2時間かけてポルトープランスにもどり、クワゥテモックさんの知り合いのNGOグループ(イタリア、ドイツ、ハンガリーなど)と意見交換を行いました。みんなこの国の子供たちのことを心配し、地元NGOが力をつけることの重要性では意見が一致しました。