ハイチ地震レポート No.47

地震後のハイチで、被災者どうしが助け合う姿を紹介する英文の記事を、CODE翻訳ボランティアのKさんが訳して下さいましたのでご紹介します。
地元の人達による支え合いについては以前にレポートNo.37やNo.39でもお伝えしましたが、
(http://haich-jishin.seesaa.net/archives/201003-1.html)
この記事もハイチの人々の温かい心について触れています。
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<ハイチ人どうしの助け合い>
日付:2010/7/12
情報源:Trocaire
(アイルランドカトリック教会の公式海外開発援助組織
 http://www.trocaire.org/)
1月の地震がハイチの国土を引き裂いた時、150万人の人々が家を失った。約90万人の多くの人々は首都のポルトープランスに留まって、利用可能な土地にあるキャンプでいまだに暮らしている。
しかし60万の人々は首都を離れた。地震直後に離れた人もいれば、路上やキャンプでの生活が耐えられなくなって数週間たってから動いた人もいる。6ヶ月たった今では、これらの人々の多くは国中に散らばったままになっている。
この緊急事態での顕著な特色は、ハイチの人々がお互いに労をいとわずに助け合うことである。60万人のほとんどはホストファミリーのところにいる。ホストファミリーの多くは被災者の親戚だが、驚くことに、そうではない場合も多い。困っている人を受け入れるというささやかな方法に対するホストファミリーの犠牲や善意は計り知れない。
Alexandre Victoirは地震から3週間たって生活がとても苦しくなったのでポルトープランスを去った。彼女の姉と姪は崩れた家の下になって亡くなり、お金も食べ物もなく、5人の子供達と一緒に瓦礫の間で眠り、隣人が分けてくれる食べ物なら何でも食べて暮らしていた。
「寝るところをどこか提供してくれる人が誰かいるからと、お隣さんのひとりが言ったのでFonds Parisienに来た。」と彼女は私達に言った。彼女の夫には町から二時間の郊外にあるその場所に遠い親戚がいた。そのいとこは自分自身が貧しさから抜け出せないでいるのに心から温かく彼らを歓迎してくれた。
Trocaireが訪ねた時、Alexandreは娘と一緒に庭の木陰に座っていた。「ここには私達が必要とするのに十分なだけの場所も食べ物もない。夜にはとてもくっついて寝なければならない。」と彼女は言った。Trocaireはこの地区で活動していて、住むところがなくなった人々や彼らを泊めている家族に食べ物を渡したり、子供達を学校にやったりしている。
Sr Nuria Merono Otoiは陽気な73歳のスペイン人である。彼女は水も電気もないコミュニティーに住んでいて、そこでTrocaireのパートナーの組織と一緒に働いている。地震の直後には、彼女は小さなチームを作り、ポルトープランスに車を出して基本的な初期援助を行った。「私達が持っていたすべては、多くの絆と助け合いの善意です。」と彼女は言った。
彼女はRicardo の話をした。彼は一人でポルトープランスの路上をさまよっているところを見つけられ、彼女達のところへ連れてこられた8歳の男の子だった。「地震が起きた時、Ricardoは外で遊んでいて家に帰ったら家族全員が亡くなっていたというのが、彼が話せたすべてだった。」と彼女は言った。
「私達は彼が住所や電話番号や親戚がどこに住んでいるか思い出すように繰り返し繰り返し手助けしようとした。でも彼はできなかった。」彼は私達と一緒に三ヶ月暮らした。そしてある日、彼は電話番号の一部を思い出した。その後数週間かけて少しずつ彼がもっと思い出すように私達は毎日彼をうながした。ほとんどの番号を思い出した時から私達は他の人たちにきいて回り始めた。
「ある朝、連携して仕事をしていた時、一人の女性がある電話番号に出たので私達は自分達のことを説明した。電話に出た女性はRicardoの兄の奥さんだった。私達が彼らを電話で互いに話させると、Ricardoはひどく興奮した。彼の兄は生きていたのだ。彼らはすぐFonds Parisienにやってきて、その日のうちに彼を連れて帰った。
Fonds Parisienはかなり貧しい地区でポルトープランスからあふれ出した人々を助けきれなかった。Trocaireはその地区のグループと一緒に活動して、ハイチと自分自身の生活の復興に貢献する職業を若者達が学ぶような訓練プログラムを立ち上げている。
この地震は大工やれんが職人、電気技師のようなたくさんの技術者の命を奪い、専門知識の断絶は多大なものとなる。若者を訓練することは、彼らが自力で身を立てることであり、町の外に避難している人々を助けることでもある。そこの超過密状態は大問題であり、生活の質は悪い。
Alexandre Victoirのような多くの人々にとって、町はけっして戻る気にさせるところではないだろう。「私は戻れない。姉と彼女の赤ちゃんはまだ瓦礫の下のままだ。今、私はずっとポルトープランスを憎らしく思っている。」と彼女は言った。
原文サイト:reliefweb.int

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