月別アーカイブ: 2013年12月

No.15 スマトラ島沖地震・津波(2004年12月26日発生)

先ほど、2003年のイラン・バム地震についてのレポートを流したばかりだが、翌年の同日にも大きな災害が起こっている。2004年12月26日、スマトラ島北東部沖で発生したマグニチュード9.0の地震により、大津波がインドネシア、スリランカ、タイなど13カ国を襲った。情報源によって変動があるが、22万人以上が亡くなったと言われている。この災害を受けてCODEは様々な活動を行ったが、代表的なものはスリランカにおける次のプロジェクトである。
・幼稚園・保育園再建
・防災「共育」(子どもたちによる防災マップづくりや防災ソングづくり)
・漁業組合支援(漁具の提供)
防災「共育」については、当時、スリランカ南部のマータラに2年間滞在したスタッフ浜田久紀がつぶさにレポートを書いているので、関心のある方は年末年始のお休みにでもぜひ読んでみていただきたい(http://code-sumarta.seesaa.net/)。
彼女は子どもと向き合う体験を通して、「教える」・「教わる」、「支える」・「支えられる」といった関係性が決して一方向的なものではなく互いに響きあうものだということを発信する。私たちはときに他者から学ぼうとする意識をシャットアウトしてはいないだろうか。特に、相手を無意識のうちに上から見ているときである。「そんなこと知ってるよ」「これが当然、常識だ」そんなカチコチな大人の頭に、子どもは新鮮な発想を教えてくれる。さらに、文化が違えば「当たり前」も違う。例えば、子どもたちの使うクレヨンが短くなったときに浜田が新しいものを取りに行こうとすると、子どもたちは布でクレヨンを伸ばして塗ってしまった。彼女ははっとする。「私はクレヨンを最後の一かけらまで使ったことはない」(2006年4月21日レポートNo.40 http://code-sumarta.seesaa.net/article/16845697.html)。
何でも既製品のある社会では鈍ってしまっている、ありあわせのもので工夫する力にはっとさせられてみてはいかがだろうか。スリランカの子どもたちのような問題解決力が、災害時にはもっとも大切なのではないだろうか。
もうひとつ印象的なエピソードを記すならば、漁師さんの話である。津波で漁業の道具を失った住民に対して、CODEは漁業組合を設立して一隻のボートを支援した。組合員はこの船を交代で使って漁をし、魚を売った収入の一部を組合にプールする。そのお金は組合のための漁具の購入などに当てられるという。支援機関の中には、各世帯に船を提供した団体もあったらしいが、CODEの支援について組合の代表はこう言ってくれた。「CODEは個人にではなく、この漁業組合というコミュニティに対してボートをくれた。たった1隻のボートだけれど、このようにコミュニティが協力して強くなれる方法は良かった。」小さな支援ではあったが、人々の分かち合いや協力の精神によってこれが活かされ、かつ、さらに人々の結びつきを強めるという、社会的背景と支援の相乗効果を象徴するような言葉であった。
ただ、CODEは最初からそのような効果を狙っていたわけではなく、偶然この漁師さんの言葉によって大切なことを学ばせていただいたわけである。CODEの理念である「学びあうこと」とは、相手を尊重する姿勢にほかならない。
(岡本千明)

No.14 イラン・バム地震(2003年12月26日発生)

10年前の今日、12月26日にイランの南東部のケルマン州バム市でM6.3の地震が発生し、約43200人(UNOCHA調べ)の命が犠牲となった。人口約12万人のバム市の3分の1の人の命が奪われたことになる。また、旧市街地の80%以上の建物が倒壊し、世界遺産の遺跡「アルゲ・バム」もほぼ全壊した。
CODEは、すぐに救援活動を開始し、現地へと向かった。当時のスタッフ、斉藤容子にバム地震を振り返ってもらった。
被災地に入った村井(当時)事務局長と斉藤は、夜になると被災者の人たちが焚火を囲み、お茶を飲んでいる輪の中に入れてもらった。火を見つめながら、時に語り、時に黙って過ごす被災者の姿に阪神・淡路大震災の被災地KOBEを重ねた。
その後、CODEは幼稚園の東屋の建設や日本災害救援ボランティアネットワーク(NVNAD)と子どもの支援を行っていた現地の支援団体AHKKと連携して大きなテントの提供を行った。体を動かす機会を失くした子どもたちは、体操や空手などの教室の場として、大人たちは結婚式や葬式の場として、テントがボロボロになるまでその後も地域の人たちに活用された。サイード先生の音楽教室もこのテントで始まり、KOBEで生まれた歌「幸せ運べるように」が、現地の文化にあったイランバージョンに生まれ変わった。
また、ボンガという土で出来たドーム型の伝統的な家屋で倒壊せずに残っていたものも見られ、倒壊している家屋の多くは、近代化の中で主流になってきた日干しレンガを積んだだけの組積造で、倒壊の際に出たレンガの粉塵によって多くの人が窒息死したと言われる。「建物が人を殺す」という現実からCODEは、「耐震」をイランの住民に伝えるためにシェイクテーブルテスト(振動台実験)のワークショップをN-SET(ネパールのNGO)や国連地域開発センター(UNCRD)、ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)などと連携して行った。耐震を施した模型とそうでないものとを同時に揺らすとその差は歴然としていた。参加した子どもから大人までの約200名に耐震の重要性をわかりやすく伝えた。
CODEは現地住民で作られた委員会と話合いを重ねながら行ってきた。支援者(団体)はやり過ぎず、住民自身が考える場を提供する事が大切だと斉藤は振り返る。あれから10年、東日本大震災を経験した日本。支援の中で住民主体がどこまで実現されているのだろうか。
(吉椿雅道)