チリ地震救援レポート6

昨日現地情報を送って下さったIさんが、3月5日(現地時間)にConstitution市の視察をされた状況を伝えて来て下さいました。その中に「つなみでんでこ」という言葉が出てきますが、明治の津波以降三陸海岸に伝わる言い伝えです。今、四川支援に当たっているYさんが足で拾い集めた「いのちをまもる智恵~被災に挑む30の風景」(レスキューストックヤード発行)に収録されています。少し在庫がありますから、読んでみたい方はご連絡ください。
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・ 市街地は海岸山地の海沿いの傾斜地に広がる。平地はマウレ川の河口部に限られる。
・ 15-20m高(痕跡の目視による)の津波に襲われ、海岸地帯は壊滅状態。海岸から数十メートル区間は、木造住宅は基礎を残して跡形もなく、鉄筋コンクリート造り3階建ての建物が1戸のみ残っていた。
・ 街中数百メートル、標高は十数メートルか、まで津波が到達している。海岸沿いから乗用車が津波で運ばれてきた。
・ 地震によりレンガ造りの家も多数が被害を受けている。
・ 地震によるがけ崩れも発生。
・ いまだ行方不明者を全国各地から集まった消防救助隊等が捜索中。救助隊によるとこれまでに112名のご遺体を収容。
・ 南に向かう海岸沿いの道路は寸断され通行不能、いまだ孤立状態の集落もある(救助隊への聞き取りによる)。
・ (住民への聞き取りによれば)
 津波警報は発出されていない。ラジオも聞いていない。
 地震発生とともに高台に逃げ、約10分後に津波の第一波が襲った、翌日未明まで高台にとどまった。
 第一波の後、物を取りに帰り第2波に襲われた住民がいる。
 地震発生とともに逃げられたのは、普段から避難訓練をするなど住民の防災意識が高いから。学校での防災教育も行っている。
  水は軍隊の給水車等により支給されている。それ以外食料等の配給はない。
・ 町に至るまでの街道沿いには住民が食料や水を求める札を持って立っていた。
・ 所感:海岸一体が津波に襲われたにもかかわらず、被災家屋の数に比べて犠牲者が比較的少ないのは避難が徹底していたからである。
  地震発生から避難までの時間が10分程度では、どんな正確な警報システムでも効果は期待できない。揺れを感じたらすぐ高台に逃げる、という住民の防災意識こそが被害軽減につながる。このことを今回の事例はあらわしている。三陸海岸には「つなみでんでこ」という言い伝えが残る。「地震の揺れを感じたら、家族のことも振り返らずてんでばらばらで逃げろ、さもないと共倒れになる」という趣旨である。改めて、この言葉の重さを感じた次第。
  昨日調査したコンセプション市よりも、略奪被害を除けば、自然災害の被害はより甚大。マスコミ等の報道が少ないのは、どうしても大きな都市からの方が情報が入りやすいからか。

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