アフガニスタンからの贈り物に感謝!!—11

アメリカがタリバンに約束したアフガニスタンからの完全撤退の期限があと一日になりました。日本人およびこの間日本の事業に協力して下さった人たちが、まだ500人も残されているというのに・・・・です。もう天を仰ぐしかありません。“一縷の望みを!”と願うのですが・・・・、この間の日本政府の危機管理のなさを思うと、情けなくて涙がでます。ほんとうに残りの人たちの無事を祈ります。
さて、先般から紹介しているぶどう農家再生支援ですが、それまでの長い戦禍が一応終息を観た2002年、初めて私がアフガニスタンに入り、焼き尽くされたぶどう畑を見て、「きっと再生する」と決めた経緯は、すでにこれまでのレポートでも紹介してきました。
だが、実は支援するための資金がゼロだったのです。それまでにアフガニスタン北部ナハリン地震を支援(私たちのスタッフが国連機関と共に現地に入る。)、2002年8月以降にカブールでの「女性センター支援」、ぶどう農家支援の前に「カレーズの清掃支援」などとみなさまから頂いた寄付は、ほとんど投入してしまっていたのです。そこで、“ぶどう基金”を設置し、全国の支援者にあらためて募金をお願いしました。一口3,000円コースと一口9,000円コースを呼びかけさせて頂きました。これが昨日のレポートで紹介した「ぶどう基金」のことです。何故9,000円コースを置いたのかというと、ぶどうは苗を植えてから換金作物になるまでに、3年がかかります。それで3,000円×3年=9,000円をお願いした次第です。このプロジェクトを行うのに、地域のシューラ(日本でいう自治会役員のような立場の人)に集まって頂き、村のジルガ(村会議員のような立場。ジルガで決められたことが上位組織にあがり、最高決議機関が国のロヤ・ジルガという)に承認して貰って、「コーポラティブ・シューラ(ぶどう生産者協同組合)」を発足し、ぶどう農家再生事業を管理運営するという形を確立しました。原資300万円を寄付で集め、マイクロファイナンス式で農家288世帯に貸付、2%の手数料をつけて返すというしくみです。現在550世帯(2021年3月時点)にまで広がりました。このぶどう基金に協力して下さった方は、延べ2929名にもなりました。おかげさまで、当初の原資300万円はすぐに集まりました。しかも、なんとこの20年間、このマイクロファイナンスがストップしていないのです。つまり原資が枯渇し、運営できなくなったという事態には陥っていないということです。
災害時のみならず、平時の「開発支援NGO」のプログラムでも同様のマイクロファイナンスを展開しているケースは少なくないですが、約20年間も続いてきたというケースは稀有な事例だと思います。現地にプロジェクト管理をするためのCODEのスタッフを置くわけではなく、メールでのやりとりで信頼関係を維持し、続いてきた要因の一つは、こちらから「紛争で世帯主がいなくなった家庭、もしくは障害者のいる家庭を、可能な限り優先して欲しい」ということをお願いした以外は、CODEから何の条件も付けなかったからでしょうか。つまり、私たちは26年前の阪神・淡路大震災で、「自立支援とは孤立させないこと」「あくまでも被災者主体での復興をお手伝いすること」「共に学び合い、支え合うこと」という理念を学び、実践してきたからだと思っています。
本レポートのタイトルを「アフガニスタンからの贈り物」としているのは、この20年間の大失敗の一端は、いうまでもなく私たちNGOにもあるからです。これを今回のことで、思い知らされ、教えられたということからの気持ちです。奇跡的にレーズンが届くと、あらためてこの原点がよみがえってくるでしょう。
(CODE事務局:アフガニスタン担当 村井雅清)

 

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