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“よみがえれ アフガニスタン ’06 春”~村井アフガン日誌~ NO6

このレポートは、事務局長村井が、第10次アフガニスタン訪問で見聞した、3月30日から4月6日までのアフガニスタンの様子をレポートしたものです。

<アフガンレポート-06編>

「ドン、ドドーン」。最近では珍しいほどの乱暴な着陸に、浅い眠りから目が覚めた。06年3月30日、約1年ぶりのカブール入りだ。機外へ出た途端、「肌寒いなぁ」と体感するような気温。3月末なので、昼間はもうかなり暑いだろうと予測して、半袖に着替えていたところだっただけに、「失敗!」した。
インド・デリーからの空路でアフガン入りする場合は、くっきりと機内から、雪に覆われているヒンズークシュ山脈の姿を見ることができる。ヒンズークシュ山脈を斜めに横断するように飛ぶので、どちらの窓からも見える。
アフガンは3月21日が新年なので、この時期に来るとこの山々に冠する雪を見ながら、新しい1年を祝うことができる。
空港内は、4年前のような戦闘機や戦車の残骸などは全くなくなっており、そのためか非常に殺風景な感じがする。失礼な言い方かも知れないが、小綺麗になった。そんな中で小さな戦闘機が整然と並んでいるのが極めて目につく。空港ターミナルでは、入国カードを記入しなくてもいいようになっており、荷物を受け取るターンテーブルまではスムーズだ。いつも来るたびに空港が綺麗になっているのだが、今回は特に目につくものはなかった。決して汚いと言う意味ではない。その分、ターミナルの外に出たところが人気のないほど綺麗になっており、これでは空からの表玄関としてはちょっと寂しすぎる。
綺麗になっているというのは、あまりにも空港前ロータリーの警備が厳しく、「離れろ!」と追い立てられ、ほとんど立ち止まることもできなく、人がいないということである。
だからこそかも知れないが、新手の商売が出現しており、まんまと餌食になった。どういうことかというと、これだけ厳しいと、空港に迎えに来る人と到着した外国人とが上手くドッキングできないために困っている人たちも少なくない。そこへ「誰を捜していますか、携帯電話で呼んであげましょうか?」と一人の青年が近寄ってくる。電話のレンタル料と待っているお目当ての車まで荷物を運ぶ料金とを会わせて5ドル~10ドルと荒稼ぎだ。「2ドルしかない。」と勘弁して貰ったが、私たちのように携帯を持たず、しかもお目当ての人に会えなければどうしょうもない者にとっては大助かりではあるが。
*アフガニスタンでは、「お金がなくても生きていけるが、あのヒンズークシュに雪が積もらなければ生きていけない」ということわざがある。
空港ビルの正面左右の壁には、いつものように現大統領カルザイ氏と故マスード将軍の肖像画が掲げられている。さらに空港から4車線道路が直線で走っているが、その突き当たりのロータリには完成したばかりの故マスード将軍を象徴するシンボルタワーが建っている。相変わらず微妙なパワーバランスで現カルザイ政権が維持されているということだろうか。30日は木曜日、アフガンでは休日の前日なので半日休みのところも多いのだが、何故か道路は渋滞していた。空港からの4車線道路は、側溝と中央分離帯が綺麗に整備されており、両側の歩道にあたる部分も小綺麗に見えた。そしてカブールの中心街に入ると、昨年あるいは一昨年建設ラッシュであったビルが新装開店しており、変わりつつあることをアピールしていた。新年の行事も終わり、暖かくなったためか、町を歩く人たちにもどこか落ち着きを感じるように思える。ただ、どんどん帰還難民も増えてきており、日本の新聞報道でも書いてあったが、地域によっては100万人を超そうかという勢いのところもあるそうだ。気のせいか、空港から市内への幹線道路のど真ん中で、物乞いをしている女性や子ども、老人の姿が目につく。やっと難民キャンプから帰ってきても、仕事がなく、すむところもないという人たちも多いのだろう。紛争で壊された建物を壊し、新しいビルが建ち並ぶということは、これまで廃墟のようになった建物でひっそりと暮らしていた行き場のない帰還難民の人たちの寝る場所が奪われているということでもあろうか。
アフガンでは、31日は金曜日なので世間はお休み。「一日宿舎か?」と覚悟しようと思ったが、現地のローカルスタッフは休みを返上して、対応してくれた。
ところでとにかく一日でも早くぶどう畑をみようと気持がはやるのだが、あいにく朝から強い雨が降っている。とにかくショマリに向かった。途中、車の中でモスキンさんが「村の中に入る前に、セキュリティ・コマンダーに会わなければならない」というのである。しかし、これまで1回もこういうことはなかったのだが。出発前の新聞記事を思い出した。一応武装解除が終わったものの、元兵士たちは働く場所がないのだろう。ここセキュリティ・コマンダーには10数人が働いているように見えた。「NGO登録のことか?」と思ったが、チェックの理由は違っていた。CODEが支援している女子学校の壁の工事が片方しか完成していないことから、セキュリティに不安があると云うことだった。「内戦が終わり、今まで学校に行けなかった女子がこうして学校に行けるようになったことは大変大きな意義がある。それだけになんとか壁を完成させて下さい」というお願いだった。もっともなことだ。でも疑問も残る。結局2年くらい壁がなくても運動場でテントを張って勉強してきた。「このままでいいじゃない。」と言いたくなる。しかし、村に1つしかない女子学校。(実は、女子学校が一つ増えたことが判った。)これまでどんどん希望者が増えてきているため校舎だけではとても賄いきれないのだろう。またぶどう農家の組合(コーポラティブ・シューラ)にも同じことを指摘された。でもこれまでシューラとの協議をしてきたが、シューラから女子学校のことを持ち出してきたのは、今回が初めてだ。そもそもこの女子学校を支援しようとなったのは、この学校でぶどうの苗を植え、組合に買って貰うと組合も助かり、学校もその資金で机やイスの修理代が確保でき、しかも子どもたちには園芸の勉強ができるという一石三鳥を狙っていたものだ。どこの世界でも同じだが、校長先生が変わり、セキュリティ・コマンダーが配置されというように状況が変わるとまた振り出しに戻るということになる可能性もある。でもそんな中で希望が見えるのは、シューラがこの女子学校を意識してくれたことだ。「コツコツやろう!あきらめずに」の精神で行こう。
いよいよ今日から4月だ。昨日とはうってかわったように、日差しのきつい快晴となった。
昨日は雨であったため、カブールからショマリへ向かう幹線道路から見える山々がほとんど見えない状態だった。今日は、いつものように透きとおった青空の向こうにヒンズークシュの雄大な姿が見える。一年ぶりの訪問を歓迎してくれているようだ。カブールから北部へ走る幹線道路の両側の様子がどんどん変化している。この辺りにも難民が帰還しているのだろう。新しいバザールがたくさんオープンしつつある。CODEが支援するぶどう畑のあるミールバチャコットの入り口のバザールも、新しいお店が増え広がっていた。
01年「9・11」以後の空爆以来200万人から300万人の人たちが難民化したことを思い出すと、想像以上の人たちが今、帰ろうとしていることに気づく。例えば一地域に10万人が増えたら、その地域が変わるのは当たり前だ。
さて一年ぶりに、ぶどう畑やカレーズを見ることができた。村の道は昨日の雨でどこもぬかるんでおり、足下に注意を払っておかなければ滑りそうになる。戦争で寡婦になり、男の子の孫と二人でぶどう畑を管理している家族がいた。結構大きな畑で、よく管理できるものだと感心させられる。ぶどうの木は、余分な枝を切り落とされ、柱になる太い幹に丸ーるく巻き付けるように固定する。なんともう今年の新芽を出しているのには感激した。もうすっかり雪は残っていなかったので、これからはみるみるうちに緑に覆われるだろう。
また今年の秋の収穫時期が楽しみだ。
村の中を歩いていると、2箇所ほど大がかりな井戸掘り工事に出会う。手堀りではなく、動力機械を使っての掘削だ。相当地下深く掘らないと水が出てこないのだろう。動力で掘る場合は100㍍も掘る場合だ。誰もが水を求めて掘るために、地下水位は除々に減る。おそらくカレーズ(暗渠型地下水路)の水脈も変わっていくだろうと素人ながら心配になる。カレーズを見学するために、その作業場所を訪ねる。途中、以前に干上がっていたカレーズを見ると、今回は水が流れていた。地下の水脈は複雑なのだろうか。カレーズの清掃は4人一組で仕事をするようになっている。作業現場につくと、作業員は二人だけだった。地下水路の泥出しに二人が入っている筈だ。ここの縦井戸は15㍍だそうだ。地上にいる二人の作業員はこれまで見たことのない人たちだった。しばらくすると、地下で仕事をしている人からの合図があり、ロープでの引き上げが始まった。「どんな人が地下に入っているのだろう?」と、少しドキドキした。やがてロープにつかまり上がってきたのは、以前にもお会いした長老の一人だった。今回は義理の息子さんと一諸にチームを組んでいるそうだ。なんとこの長老は70歳だと判った。いわゆる熟練した職人だというのは、身のこなし方や顔の表情からも伺えるが、後継者が育たないのか、複雑な気持でもある。それにしてもこの70歳の職人の笑顔はいつも最高だ!以前お会いしたときは、私も20㍍ほどの縦坑に入らせて貰った経緯がある。言葉は通じないが、身振り手振りで以前にも会ったことが確認できたようだ。首にかけている”お守りがちぎれそうになっている。きっともう何十年もこの守りを離さないのだろう。いつまでもお元気で仕事を続けられることを祈る。
村の中に、何か建物を建てるための、基礎を深く掘って工事途中のところがあった。「ここは何を建てるの?」と聞いたら、「学校だ」という答えが返ってきた。村の役場から委託を受け、シューラの責任で取り組んでいるらしい。当たり前かも知れないが、シューラの本来の一面を見た。つまり村にとって必要な事業はこうして積極的に取り組んでいる。女子学校支援も同じような理解で取り組んでくれればいいのにと思う。帰還難民が増えていく一方で、多くの課題も出てくるだろうが、こうして「自分たちの村は、自分たちで造る」というように、村の再建にあたっての自治を確立して欲しいものだ。そもそも「コーポラティブ・シューラ」というのは、この地方の特産であるぶどう産業を再建しようということから、設置された協同組合のことをいう。1979年にソ連が撤退するまでは、協働組合というしくみはあったそうだ。またイスラム教を国教とするこの国では、支えあい、助けあいをするのは理屈ではなく、生活にしみついているものだと聞く。ただ、このしくみも長く維持しようとすると学習や研究の積み重ねが必要で、そのためにも他の国の実践との交流も急がれる。ぶどうという生き物を永続的に育てようとするならば、土を造るところから見直さなければならない。今はまだ、それなりの収穫があるからと言って安心はできないだろう。それにしても20数年間の戦禍の中にいたこの地域は、あまりにも貧しい。何故ならば、家畜が豊かでなく、牧草すら少ない中で、土を造るための堆肥さえ造れないという現実でもあるのだ。こんな厳しい環境下でも、日本から農業専門家がアフガニスタンへ派遣され、技術移転をしているそうだ。この村にも来てくれればいいのにと願うのだが。
先述したような村の学校建設など、シューラが行う村の公共事業などについて、どのような仕組みになっているのか紹介しましょう。例えば先の学校の建設費用は約600万円。この金額が政府からミールバチャコットの学校建設費用として、アフガン・バンクに振り込まれる。建設に必要な資金をシューラから一人、村役場から一人がでて、二人でアフガンバンクに行って資金を引き出す。その資金を持って、必要な資材を購入する。この購入にも二人が行く。とこんな仕組みだ。「なるほど、こういう仕組みで村の公共事業が行われているんだ」と判った。日本でのしくみとは違うようだ。日本なら、間違いなく担当者一人ですむ話だろう。
そういえば、ちょっと例が違うが、日本の道具(のこぎり、スコップなど)のことを思い出した。日本の道具は、一人で使いこなせるように作られている。しかし、こちらの道具は(といってもアジアの国はみんな同じかも)二人で使うようになっている。例えばのこぎりは、二人が使うように取っ手が二つある。さて、スコップは?「こんなもの一人でしか使えないじゃないか!」とおしかりを受けそうだが、一人が地面に差し込み、もう一人がロープでそのスコップを興すというしかけになっている。昔から日本のことわざに「旨いもんは一人で食え、しんどいことはみんなでしよう!」というのがあるやら、ないやら・・・・・。
先にも触れたこの村に唯一一つしかない女子学校に壁を造らなければならないというあらためての指摘に対し、カブール市教育省に仕えている建築家が見積もりをたてた。この建築家は、まさに”職人”だ。測量は、モスキンさんたちがやったのだが、それに基づき丁寧な見積もりを書いてきた。以前のデータからしても、彼の積算は、工賃を含めて総工費も妥当だと思える。ただ、一度に全額を支援することには抵抗しようと思い、もう一度部分的な積算をお願いした。こちらとしてはアバウトな工費が判ればよかったのだが、実に丁寧に積算をしてくれた。こちらではこれが習慣だろうか。わざわざ再積算のために、私たちがディスカッションをしていたレストランまでオートバイを飛ばしてきてくれた。彼は30分ほど黙々と書類と計算機を使いこちらの要望する見積もりを出してくれた。聞くところによると、教育省に入って20年になり、それまではイランやシリアで仕事をしてきたとのこと。真っ黒に日焼けした白髪の顔にはいぶし銀のような風格が漂っている。彼の提案なら、教育省は何も言わないのだろう。結局、一度で全部ができないことを、翌日女子学校の校長先生に承諾を貰い、さらにカブール市内の教育省に許可を貰いにいくことになった。
カブール市内にあるアフガン・フィルムのラティーフ・アフマディ監督に会いに行った。実は彼とは日本を出発する前の3月27日、天理大学創立80周年を記念したシンポジウムで会っていた。アフガニスタンの文化を創るために映画がどのような役割を果たすかという講演をするために来日していた。彼は、日本の土本典昭というドキュメント映画づくりの巨匠と旧知の仲で、1989年頃のアフガニスタンの暮らしを撮った「よみがえれ カレーズ」を土本監督と日・ア合作で完成させたのである。土本監督はこの映画の撮影のためにアフガン入りしていたときに、カブール博物館の貴重な展示物の映像も収めていた。その後内戦で博物館が破壊され、ほとんどの作品が盗難にあったり、破壊されたためにこの博物館に貯蔵されているものが僅かなものに限られていた。世界中でも、破壊される前の博物館の内部を丁寧に撮影していたのは、土本典昭一人である。その映像を「在りし日のカーブル博物館」というビデオに収めたのだ。土本監督は、この映画をアフガニスタンの言語であるダリ語とパシュツーン語に訳すことをラティーフ・アフマディ監督に依頼し、このビデオの著作権をも譲渡されたそうだ。早く環境整備がされ、まずアフガン中の学校で上映して欲しいものだ。アフガニスタンが本当の意味で再建されるには、この歴史的に重要な史実を認識しておくことが不可欠だと思われるからである。ちなみに私はこのビデオを何度も見たが、実に傑作である。僭越ながら、ラティーフ・アフマディ監督に「アフガン中で上映されるように尽力して下さい」とお願いした。カブール博物館でビデオの貸し出しはできるようになったようだが、さて毎日上映されるのはいつのことだろうか?
ここカブール博物館に足を運ぶのは何度目になるだろうか?建物がまだ、再建される前の壊れたままのときに来た。先述したように土本典昭監督は、偶然にも壊される前の博物館を姿を丁寧にフィルムに収めている。おそらく世界中で彼しかいないだろう。それほどこのフィルムは貴重だ。館長曰く「彼のビデオフィルムは、寄贈されている。今、視聴覚室や展示室を計画中だ。オランダや日本政府から陳列棚も寄付される。07年度には新生カブール博物館をお見せできるでしょう。」とのこと。いよいよあの「在りし日のカーブル博物館」が、ここで上映されるだ。破壊されたときに70%の展示品が盗まれた。まだほんの僅かしか戻ってきたいないようだが、ユネスコなどを通じて国際社会に返却を呼びかけているそうだ。ほんとに貴重な展示品がたくさんあった。返却されることを心から願う。
カブール博物館の中で、唯一まとまって展示されているのが、ヌーリスタン地方から出土した木製の彫刻である。当時の兵士や将軍などの人の姿を彫っている。また男女が向かい合って対になっている彫刻もこの時代の特徴のようだ。日本のお寺などにでもあるようなものばかりだ。人類が歩んできた足跡を想像させてくれる。展示品の中でもひときわ目につくのは、女性の聖職者の半裸像だ。おもわず「えっ、モスリムの国でありうるのか?」と思ったが、よく考えるとこのヌーリスタン彫刻はもっと歴史をさかのぼる。「ほんとにいいの?」と迷ったが、OK!と言ったので写真を撮らせてもらった。これは大変な宝物になるのでは。ちょうど北アメリカ先住民イロコイ族ついての本を読んでいるところで、おもわずこの本にでてくる一族の長老である女性とダブってくる。その女性は「生まれ出ずる邦の母」を意味する「ジゴンサセ」という称号を持っている。
*「ジゴンサセ」については、星川淳著『魂の民主主義』(築地書館2005年6月発行)に記されています。
暖かい日差しの下で、ディスカッションをしていたら一人のブルカを被った女性が近寄ってきた。喜捨を求めているようだ。最初、モスキンさんは「あっちへ行け!」という対応をしていた。しばらくそのブルカの女性とやりとりをしていたが、とうとう根負け?したのか、ベストの内ポケットに手を入れた。「あ~、寄付をあげるんだな」と察したのだが、その女性はブルカの中で、何やらゴソゴソしだしたのである。「えっ、まさか?」ということが次におきたのである。モスキンさんは1枚の紙幣をその女性に出し、女性も1枚の紙幣をモスキンさんに渡したのである。1枚の紙幣とは10アフガニーと5アフガニーです。そうです。モスキンさんはその女性からおつりを貰ったのです。ここアフガニスタンだけではなく、これまでこうした喜捨のシーンは何度も目にしたが、おつりを貰うというのははじめて見るシーンである。通訳の人に「何故?」と聞いたら、「モスキンさんは5アフガニーをあげようと思ったが、10アフガニー紙幣しかなかったので、5アフガニーの紙幣を貰っただけ。別によくあることだよ」と、「なんでそんな質問するの?」というような顔をして答えてくれた。文化の違いって凄いんだなぁとあらためて思う。
文化の違いで、よくモスリムの人から聞く話がある。イスラム教では、お金を貸しても利息をとってはいけないことになっている。だから、人にお金を貸して、貸した人がお金が必要になり、「返してくれ!」というのは御法度だというわけ。じゃあ、貸した人がお金を必要とするとどうするか?「その人も誰かにお金を借りればいい!」ということになる。なるほど、実に合理的で「金は天下の廻りもの」とはこのことをいうのだろうか・・・・。
いつもアフガニスタンに来ると、よくその前を通り、一度は入ってみたいというところがある。動物園だ。やっと念願?が叶った。でも行く前に同行のスタッフである彼女が、「以前カンボジアの動物園に行ったことがあって、悲しくなった」という話しをされた。「とにかく小さな檻の中で行ったり来たりしているのを見るのは忍びない」とのこと。それでも行くことにした。それほど広いスペースではないが、鳥・熊・ライオン・猿・ウサギなどがいた。鳥が多いのが特徴かも。とはいえ、特に珍しい鳥がいるわけでもないらしい。日本からもプレゼントされるそうだが、鳥はクジャク・鷹・鷲・鴨・アヒル・鳩などだ。
最も人気があったのは猿。日本でも同じだろう。アフガンの人は、鳥が好きだと聞く。鳥かごを下げて講演などに行き、読書にふけっている姿はよく見る。鳩のケージの前で、ジッと鳩を見ている男性がいた。私たちがすぐ後ろを通っても、まさに微動だにせずジッと見入っていた。この男性はきっと鳩と会話ができるのだろう。
動物園だけど、小さな水族館もあった。また日本では当たり前の遊具も一台だけあった。
しかし、なんと言っても私たちの目を白黒させた動物がいた。なんと「豚」である。これは実に不思議な光景だった。少し広いめのオープンケージのど真ん中に餌がおかれており、一匹の豚が食事をしているのだ。何故か、足がよたついており、変な感じだ。しばらくして見たらもう横たわっていた。腹がいっぱいになって寝ているのか、具合が悪くなって寝ているのか判らない。「最後の晩餐」かなぁ?と冗談をいいながら見ていたのだが、それにしてもモスリムの世界では、豚を食べないとされている。その原因は「不浄の動物」と理解していた。その豚を鑑賞しているというのは・・・・。私の間違った理解だろうか?
市内を車で走っていると、いつも人だかりでいっぱいの建物がある。建物の塀に沿って数珠つなぎである。イラン大使館だそうだ。イランへの出国の手続きに来ているらしい。イランへの紛争難民も一時は、100万人から200万人と言っていた。しかし、2~3年前からイラン政府は、アフガン難民をどんどん帰していると聞いた。おそらく一度は帰国したものの働くところがなく、イランの方がまだ働けるということだろう。ほとんどイランの首都テヘランで肉体労働者として働くのだろうが、それでもアフガニスタンより稼ぎがいいと聞いたことがある。今、アフガンにはどんどん帰還難民が帰ってきている。早く治安と政治・経済が安定し、働く場を創出して欲しいものだ。カブールのバザールに行くといつも人、人、人でごったがえしている。この活力というか、エネルギーというかこの国の再建に生かせないはずがない。トップリーダーの手腕にかかっていると思う。国際社会からの支援はもう予定通りで終わるのでは。カルザイ大統領は、復興にまだ10年はかかると訴えているが、「支援しよう!」と思えるような社会にしなければ国際社会の関心は遠のくのではないかと懸念する。カブール市内の再建ラッシュに象徴される建物の工事には、労働者として自国のアフガニスタン人を雇用していないケースが多いと聞く。政府がこうした建設業界に規制をかけることが必要ではないだろうか?なんでもアフガニスタン人よりパキスタン人の方がいい仕事をし、よく働くらしい。しかしNGOへの圧力を強めるならば、企業への対応を見直すことも必要ではないか。えらそうにはいえないが、目先のことにとらわれていると、大きな失敗をするような気がする。
カブール博物館のある地域に、以前アメリカが建てた公社がある。確か、4棟ほど建っているが全部廃墟となっている。ところがほとんどすべての窓からは洗濯物が見える。帰還難民の人たちが暮らしているようだ。この地域には、カブールでも有名な「Habibia High School」があり、10000人以上の生徒が通っている。いつもここを通ると見るのだが、やっと新築になっていた。この学校は一家族で、複数の希望者がいても、一人しか入学できないらしい。それが名門と云われる伝統を築いているのかもしれない。ところで気のせいか、歩道部分も入れると道幅が20㍍ほどあるようなこの通りが大夫スッキリしてきたように思う。これまで破壊された建物がそのままになっていたのだが、どんどん片づけられていることに気づく。これまでよく写真集などでも目にする建物が、その内になくなっていくのだろう。必ず、といっていいほど外国の誰もがこの地域に来たら撮っている建物がある。これもやがてなくなるのだろう。そうなると難民の人たちが暮らしている仮の住まいがどんどん奪われることになることが心配だ。
私の場合、アフガニスタンで目覚まし時計をセットしていても余り効果的ではない。もともと夜は弱く、寝るのは早い。その分朝起きるのは早い。だから目覚まし時計が不必要なのではない。ここアフガニスタンでは、毎朝午前4時半頃に周辺のモスクから、アザーンが聞こえてくるからだ。この季節はまだ、夜中の外気は寒く、窓を閉め切っているから、それほど大きな音では聞こえてこないが、これが夏であれば窓を開けているので、もっと大きな音で聞こえてくる。ちなみに、夏はさらに一時間早く3時半頃に聞こえてくる。
こっちの人たちはいつもこんな時間に起きて動き出すのだろうか?以前、ローカルスタッフに聞いたら、「起きないよ!でも年配の人たちは、ちゃんと起きてモスクにお祈りに行っているよ!」との返事が返ってきた。さて、今回宿泊しているゲスト・ハウスは朝は6時半から朝食タイムで、毎朝7時頃に食堂にいくのだが、隅っこのテーブルの下で何かゴソゴソしていることがある。なんとここの従業員が寝ていたのだ。この若者たちみは、アザーンは聞こえないのだろうか?「あっ、そうだ。従業員はネパールや中国から働きに来ている人たちも多いので、関係ないか?」
ちなみに「アザーン」は、モスクから聞こえてくる「さぁ、お祈りしましょう!モスクに来て下さい!」というような呼びかけのメッセージだそうです。各々のモスクに設置されているマイクをとおして、伝えられるので大きな音になる。
アフガニスタンに来れば必ず行くところがある。市内にある外国人用のバザールの中にある”小さなミルク屋”さんだ。いつも早朝にいくのだが、今日昼間にバザールに行ったついでに覗いてみた。何故早朝かといえば、お目当てのお爺さんが早朝から午前中しかいないからだ。お爺さんとは、この店のオーナーだが今日は昼間でも店にいた。前に来たときの説明では、午後は息子と孫が店をやっているとのことだった。幸い店には私たち以外は誰もいなかったので、いろいろと尋ねてもらった。このお爺さんは実はミールバチャコットの隣の村の出身であることは前回聞いていたが、なんと85歳であることが判った。
お爺さんから話してくれたのだが、奥さんは二人いて、最初の奥さんとの間には子どもがなく、二人目の奥さんとの間に7人の子どもがいることが判った。白髪ではあるが、そのためか?とても85歳には見えない。ここで商いをはじめて48年になるらしい。「カブールのことは俺に聞いてくれ!」と言わんばかりの風格だ。何でも知っているのだろう。
このお爺さんに、ビデオ「在りし日のカーブル博物館」を見て貰ったらどんな感想を述べてくれるだろうか?雨が降ろうが、風が吹こうがここで淡々と商いを続けて来られた。
これからもきっと変わらないだろう。もうかれこれ20年も使っているという、ミルクを温めるガスコンロとでこぼこのアルミ鍋がそのことを物語っている。お爺さんが作ってくれる”ミルクセーキ”は最高だ。
アフガニスタンを発つ前日の5日に、もう一度ぶどう畑を見に行った。前回までは目にしなかった光景に出会った。ここのぶどう畑は、日本のように藤棚式で栽培するのではなく、茶畑よりもう少し高く成長し、摘み取りの時は大人が少し中腰になるような高さに育てる方式だ。日本では、もっと高く伸ばし、藤棚式にして棚からぶら下がるぶどうを摘み取るという形式だ。ところが、今回目にしたのはこの日本式のように支柱を高く建て、そこに蔓を這わせて実をならせるという試みである。協同組合に加盟している一農家はこの棚式にするのに300ドルをかけたらしい。その内100ドルは、コーポラティブからの借金だ。この方式にする方が収穫量が増えるそうだ。「もっと資金があれば」と私たちに訴えるが、こういう問題をコーポラティブで解決して欲しいと願う。最後の日に今後のことについてシューラと協議した。シューラの一人がいう。「返金されてくる資金で、他の果物を栽培する果樹園をつくったり、家畜を育てる畜舎を建てたりと発展させたい」と。「それはすばらしいことです。そういうことのためにシューラが存在するのでしょう。でも気になることもあります。どんどんこの村にも帰還して、人口が増えている。私がはじめてこの村に来たときから、倍以上の人が戻ってきている。すでに支援の要望があるそういう人たちへの支援はどうするのか?」と聞いたところ、「少しずつでもコーポラティブの組合員が増えている。みんなで力を合わせて、助けあいを広げたい。」という答えが返ってきた。288世帯でスタートして、4年目でやっと1・5倍になった程度だが、彼らは希望を持っている。まわりからも注目されるようなコーポラティブになれば、成長にも加速がつくだろう。「塵も積もれば山となる」と言うことわざは日本のものだが、わずかな利息でもコツコツ貯まれば、村全世帯の半分を支援することは不可能ではないだろう。村の半分がコーポラティブに入ると変わる。「継続は力なり」である。
◎以上でアフガニスタンレポートを終えます。レポートでも書かせて貰いましたが、一日でも早く、ぶどう基金のオーナーさんやアフガンニスタンの支援者のみなさんとの”ぶどう狩り”が実現できることを願っています。もうしばらく、みなさまからのご支援をよろしくお願い致します。(了)
アフガニスタン「ぶどうの木オーナー」会員募集中!
詳細は http://www.code-jp.org/disaster/afgr/index.html をご覧ください。
「GambaMPO.net」よりオンライン寄付も可能となりました。

http://www.gambanpo.net/esgn/ESGN0310.cfm?ID=380

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CODE海外災害援助市民センター

“よみがえれ アフガニスタン '06 春” 現地報告 No.5

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【写真】組合のメンバーとそのぶどう畑

~アフガニスタン訪問を振り返って~
 2001年10月7日、米英軍によるアフガニスタンへの空爆がはじまり、11月タリバーン政権が崩壊、同年12月開催された「ボン合意」によって、国際社会によるアフガニスタン再建の意思表示と再建計画が協議された。「ボン合意」から5年、憲法が成立し、大統領が任命され、国民会議が開催され、国会議員も選ばれた。いよいよ本格的な新生アフガニスタンとしての国造りが始まる。
 今回で10回目を数えるアフガニスタンへの現地入りは、こうした4年あまりの激動から新たな一歩を踏み出した新生アフガニスタンへの訪問となった。ちょうど日本を出発する直前に、イスラム教からキリスト教へと改宗した兵士がいて、大規模なデモが起きるという報道があった。一方アフガニスタン政府の、現地NGOやINGOに対する対応が非常に悪くなっており、益々活動に制約がかかるという事態にもなっている。未だに新生アフガニスタンの新体制が発表に至らないと言う現実がまだまだ不安定なアフガニスタンの政治状況を表しているといえる。
 さて、全国のみなさんのご支援を受けて、CODEが2002年の暮れからスタートしたぶどう畑再生プロジェクトは4度目の春を迎え、もう早々と新芽を出している。今年の冬は、一気にドカ雪が降り、カブール市内も30センチほど積もり、3日間ほどは外出できないという一幕もあったようだ。
 ぶどうの畑も新年を迎え、もうすっかり雪は溶け、剪定を終えたり、藤棚式栽培に変えたり、新たな装いをし、日々急上昇する気候を待ちわびている。ぶどう農家の組合(コーポラティブ・シューラ)は、新たな支援を求めて増大する帰還難民との格差も気になり始めた。CODEは、「あくまでも最初の資金の中で循環させコツコツ行きましょう!」と言っているが、一方で彼らはコーポラティブを拡大させたいという希望も持っている。4人のシューラと協議していると、コーポラティブとしての自覚も見えてきた。ますます今後が楽しみでもある。村の中を歩いていて、シューラの一人が組合員の一人に何やら声をかけた。この方は、最初に基金から借金をした一人だが、まだ返済できてないそうだ。「基金を返さないとだめだよ!」と言ったようだ。彼は「お金も何もないんだ、どうすればいい!」と私に聞いていたが、彼と私を取り囲んだ関係者は笑っていた。彼も返せるようになって欲しいと望むが、こうして道々にできるこんな会話が、平和への足音のように聞こえた。一歩一歩新しい歩みが感じられる。会話の中でよく出てくるのは、「このミール・バチャ・コットは、治安がいい」という話。いよいよ今年の収穫期には、日本からの”ぶどう狩り”ツアーができるのでは、と夢が膨らむ。
 今回の滞在で、偶然アフガニスタンに住んで10年余りになる日本人カメラマンとお会いすることが出来た。「私が来たときは、このショマリって、ぶどう畑がいっぱいで、紛争があって建物も畑も完全に破壊されただけに、もう一度ぶどう畑が復活しないかなぁ、と思い続けてた」とその彼女は話された。「私の友人も、ここショマリに住んでいてぶどう畑を持っているけどキャンプから帰ってきて畑を再建しようと思っても資金がないので困っている」と話しを続けられた。CODEが支援している対象者は極々わずかであるが、やはりコツコツと続けることがこの地域の励みになるだろうと力が湧いてくる。2003年1月に作った288名の組合員名簿には、借りた資金を返却した時につく、僅かな”利息”が記入されている。亀のようなノロノロとした歩みかも知れないが、こうした取り組みが継続されれば、このプロジェクトも大きく開花するだろう。
ぶどう畑から見えるヒンズークシュの山々には、この村の人々を祝福するかのように真っ白い雪が被っている。秋の収穫期が楽しみだ。

(CODE理事・事務局長 村井雅清)

アフガニスタン「ぶどうの木オーナー」会員募集中!
 詳細は http://www.code-jp.org/disaster/afgr/index.html をご覧ください。
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CODE海外災害援助市民センター

“よみがえれ アフガニスタン '06 春” 現地報告 No.4

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【写真】シューラとの話し合いの様子

~よみがえれアフガニスタンを夢みて~
 アフガニスタンでの最後の滞在の日に、再びミール・パチャ・コットの村のシューラとお会いしました。シューラから歓迎の言葉と日本の支援者への感謝の意が述べられました。そして、村井が日本の支援者の方々を代表して、これまで3年間のプロジェクトを振り返り、壊滅状態だったぶどう畑が少しずつよみがえってきたこと、乾いていたカレーズに水が戻ってきたこと、村人たちが借りたお金を少しずつ返済しながら、村の他の人々にも支援を広げてきたことについて、改めて感謝の意を述べました。
 ミール・パチャ・コットで去年の秋に採れたぶどうを乾燥させた干しぶどうをいただきながら、今後のことについて話し合いました。シューラのほうから1つ提案がありました。「これまで協同組合に返済されたお金は、すべて新しい農家の人にぶどうのためのお金として貸してきましたが、今年の秋の収穫後のお金は、村の復興のために使いたい」と。「例えば、他の果物の木を植えたり、カレーズを修復したり、家畜の訓練所を作ったりするためです。そうすることによって、協同組合の機能を発展することができるし、村人たちも自分たちが返済したお金で村が復興していく様子を見て喜ぶことでしょう。」
新しく村に帰還しぶどう畑を再生するためにお金を借りたい人々へ配慮することはもちろん必要です。しかし、協同組合を中心としてミール・パチャ・コットの村が、そしてアフガニスタンが、現地の人々の自助努力と創造力によってよみがえることを期待しましょう。

(CODE 飯塚明子)

アフガニスタン「ぶどうの木オーナー」会員募集中!
 詳細は http://www.code-jp.org/disaster/afgr/index.html をご覧ください。
「GambaMPO.net」よりオンライン寄付も可能となりました。
 http://www.gambanpo.net/esgn/ESGN0310.cfm?ID=380
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CODE海外災害援助市民センター

“よみがえれ アフガニスタン '06 春” 現地報告 No.3

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【写真】ぶどう家族の人々と

~ぶどう家族の人々~ 
●ファゼルモハメッドさん
 去年のぶどうの収穫で、借りたお金の半分である1500アフガニーを協同組合へ返済したファゼルモハメッドさん(写真右から3人目)と、その1500アフガニーを借りたシャーモハメッドさん(写真一番左)にぶどう畑でお会いしました。ファゼルモハメッドさんはぶどうの収穫から得た収入で、去年返済したお金を返済することができました。お金を返済してどうですかとファゼルモハメッドさんにお聞きしたところ、うれしい言葉をいただきました。
「自分の畑のぶどうの収穫で得たお金で、同じ村の他の人がぶどう畑を再生できることに大変うれしく思います。」
●サマーガルさん
 夫を8年前に病気で亡くし、1人で5人の子どもを育てています。協同組合から3年前に4000アフガニ(約1万円)のお金を借り、借りたお金はぶどう畑を耕す労働力を雇用するために使いました*。ぶどうの収穫は年々よくなってきたそうですが、お金はまだ返済できていません。お金を返済できなかった理由は?と聞くと、「バザールで売ったぶどうの収入は、他の果物を買ったり、肉を買ったりするのに使って返済するお金がなくなりました。」とのこと。他の質問をしようとすると、彼女の村の代表であるシューラが私の言葉を遮るように言いました。
「彼女は今年の収穫の後に必ずお金を返すことができます。」と。そこで私は日本から来た強引な取り立て屋のように見られてしまったかもしれませんが、寡婦の女性をかばう優しい村のリーダーの姿がそこにありました。

(CODE 飯塚明子)

*3年前に288世帯に協同組合からお金を融資しました。CODEの要望で、障がい者や寡婦の家族、貧困家族を優先的に融資するように提案したところ、288家族のうち、14家族が障がい者のいる家族で、25家族が寡婦の家族になりました。
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 詳細は http://www.code-jp.org/disaster/afgr/index.html をご覧ください。
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“よみがえれ アフガニスタン '06 春” 現地報告 No.2

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【写真】水の枯れたカレーズ
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【写真】女子学校の様子

~協同組合の課題~
 ぶどう畑を見学しているときに、カレーズ(地下水脈)を修復してほしい、肥料がほしいといった要望がぶどう農家の方々からありました。
ぶどうの生育には水が欠かせないので、カレーズを修復してほしいという農家の方の気持ちはよく分かりますが、そういった要望は協同組合に集められて、村の代表であるシューラを中心に協議されるべきだと考えています。その協議の中で、村人にとって最も必要なものがカレーズの修復であるなら、協同組合にぶどう農家から返済されたお金やその利子を使ってカレーズを修復するべきであるということを述べました。
全てのお金が返済されたわけではないうえ、返済されたお金を新たな家族に貸し付けているので、協同組合を村人たちだけで運営していくには時間がかかると思います。だから私たちはこれまでぶどうオーナーの方々のご寄付を「ぶどう基金」としてまとめて、これまでにカレーズの修復*などに使わせていただきました。しかし、ゆくゆくはシューラを中心とした住民たちが、ぶどう基金を運営しながら、カレーズや学校などの村の復興に携わってほしいと願っています。復興の担い手は村人であり、外部の支援者ではありません。しかし今は協同組合が自立できるまで、引き続き後方支援をしていきたいと考えています。

(CODE 飯塚明子)

*カレーズはミールパチャコット地域に17本あり、そのうちの13本が紛争で破壊され、これまでに9本を支援しました。
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アフガニスタン現地報告2006春 No.1

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【写真】新芽を覗かせるぶどう
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【写真】平原からの贈り物

1年ぶりのアフガニスタン訪問となりました。2003年より始まった*ぶどう畑再生プロジェクトは、今年で4年目を迎えます。支援者の方々にはいつも暖かいご支援をいただきありがとうございます。アフガニスタンは3月ごろから雪が溶け始め、春を迎えつつあります。気温が日に日に高くなり、ヒンドゥークシュ山脈の雪が少しずつ溶け始め、カレーズ(地下水脈)を通り、ショマリ平原のぶどう畑に命の水をもたしています。そのようなアフガニスタンの現地からCODE事務局長・村井雅清の報告を5回に分けてお届けします。
~春を迎えたぶどう畑~
 ぶどう畑に積もっていた雪はすでに溶け、ぶどうの木が丁寧に剪定されていました。新しいぶどうの枝や葉が生育するために、古いぶどうの枝を切り取る作業を剪定といいます。ここミール・パチャ・コットのぶどう畑では、例年2月から4月頃にこの作業を行い、秋の収穫に備えます。さすがアフガニスタン有数のぶどうの産地だけあって、手入れがとてもよく行き届いていました。早い場所ではすでに新芽が覗いており、秋の収穫への期待がふくらみます。
 剪定されたぶどうの木々の間に赤いチューリップや、黄色いタンポポ、紫色の花などが咲き、厳しいアフガニスタンの冬を乗り越えた喜びが伝わってきます。
子どもや大人がその花々をもぎとって私に言いました。
「私たちはこれくらいしかプレゼントできるものがありません。」
23年間のアフガニスタンの戦禍で、最も悲惨な被害を受けたと言われるショマリ平原から最高の贈り物をいただきました。

(CODE 飯塚明子)

*ぶどう畑再生プロジェクトについて
 このプロジェクトはアフガニスタンのシャモリ平原ミール・パチャ・コット地域の4つの村で、紛争と干ばつで破壊されたぶどう畑をよみがえらせようというプロジェクトです。日本のぶどうオーナー(支援者)の方々から支援されたお金で、ぶどう基金を設立し、その基金はシューラ(村人から選ばれた村の評議会)を中心とした協同組合という仕組みで運営されます。1年目は288世帯のぶどう農家が協同組合から2%の利子でお金を借りてぶどう畑を再生、2年目は288世帯のうち、112世帯がお金を返したので、新たに112世帯のぶどう農家にお金を貸しました。3年目は12世帯がお金を返還したので、288世帯から始まったぶどう農家は全部で412世帯になりました。
アフガニスタン「ぶどうの木オーナー」会員募集中!
 詳細は http://www.code-jp.org/disaster/afgr/index.html をご覧ください。
「GambaMPO.net」よりオンライン寄付も可能となりました。
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