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災害・紛争…混とんとした時代に私たちはどんな未来を選ぶのか
~阪神・淡路大震災30年を目前に~
【日時】2024年1月13日(土)13:30~15:30
【参加費】無料
【会場】近畿ろうきん 肥後橋ビル12Fメインホール
大阪市西区江戸堀1-12-1 地下鉄四ツ橋線肥後橋駅10番出口(ろうきん肥後橋ビル出口)すぐ
【申込】こちらから。
もしくはページ下部「お問い合わせ」よりお申し込みください。
【主催】CODE海外災害援助市民センター
【共催】近畿労働金庫、関西NGO協議会
昨今の災害・気候危機、紛争・戦争、感染症などが世界各地で頻発し、様々な情報が錯そうするグローバル社会で、私たち市民は何を想い、何を大切に次世代へとバトンをつないでいかないといけないのか。
本セミナーでは、現場で人々の暮らしや命を見つめてきた安田さんにご講演いただき、市民一人ひとりが、未来の社会を考える機会にしたいと思います。
【お問い合わせ】
CODE海外災害援助市民センター
CODE未来基金
〒652-0801 神戸市兵庫区中道通2-1-10
TEL: 078-578-7744
FAX: 078-574-0702
Email: info@code-jp.org
詳しくは、こちらから
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災害・紛争…混とんとした時代に私たちはどんな未来を選ぶのか
~阪神・淡路大震災30年を目前に~
【日時】2024年1月13日(土)13:30~15:30
【参加費】無料
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大阪市西区江戸堀1-12-1 地下鉄四ツ橋線肥後橋駅10番出口(ろうきん肥後橋ビル出口)すぐ
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【主催】CODE海外災害援助市民センター
【共催】近畿労働金庫、関西NGO協議会
昨今の災害・気候危機、紛争・戦争、感染症などが世界各地で頻発し、様々な情報が錯そうするグローバル社会で、私たち市民は何を想い、何を大切に次世代へとバトンをつないでいかないといけないのか。
本セミナーでは、現場で人々の暮らしや命を見つめてきた安田さんにご講演いただき、市民一人ひとりが、未来の社会を考える機会にしたいと思います。
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9 hours ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.52
「自主避難所から、自立避難所へⅦ - 川上本町編」
能登半島地震で甚大な被害を受けた珠洲市の最先端にある三崎地区。
その中の自主避難所である川上本町集会所には、現在、3名の被災者の方々が寝泊まりしている。
この日、足湯隊の学生さんたちとここに水などを物資をお届けした。
この集会所は、高台にあることから、地震直後には、約30名が避難してきたという。
現在は、三崎地区内に2か所の仮設住宅110戸が建設されたことで、抽選に当たった人たちは
避難所から仮設住宅や金沢などの2次避難所へと移っていった。
この避難所を直後から運営してきたTさんは、「俺は区長だからここを離れられない。」と金沢に避難して奥さんとも離れ離れで暮らしている。
Tさん自身も仮設住宅に応募したが、抽選に外れてしまったそうで、しばらくはここで3名で
暮らさないといけないという。
「2次避難した人が片付けや手続きなどで、時々帰って来て、泊めてくれって言うから、
ここを閉めるわけにはいかないんだ」と語るTさんの表情から、その責任感が垣間見えた。
そんなTさんは、後悔している事があるという。
娘さん夫婦がこの地域に家を建てる事になり、Tさんは、海岸線が目の前の自分の土地に家を建てる事をすすめたそうだ。
12月20日ごろに新築の家が完成して、娘さん夫婦はわずか10日ばかり住んだところで、地震に遭い、津波の被害を受けたという。
「俺があんなこと言わなければ・・・」とボソッとつぶやいた。
Tさんは、30分ほど離れた珠洲の中心部の蛸島の仮設が当たっても、「遠いから俺は行かない。。。」という。
それは、物理的遠いという事よりも、区長としてここを離れる訳にはいかないという責任感からそう言ったように見えた。
Tさんは、「4畳半の仮設は狭いわ。でも、夫婦が仲良くなるわ!」と冗談まじりで笑うが、その気丈にふるまっている姿が何とも痛ましかった。3か月休みなしでずっと走り続けてきた自主避難所の現実をTさんの姿から思い知らされた。(吉椿)
*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。
www.civic-force.org/info/activities/earthquake202401/20240130.html
*私たちの活動は日本財団「令和6年能登半島地震(2024年1月発生)に関わる支援活動」の助成を頂き活動しています。
*私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。
引き続き現地からの情報を発信していきます。
ブログはこちら→
ngo-kyodo.org/2024noto/
■活動支援金のご協力をお願い致します。
・クレジットカードでも寄付ができます。
congrant.com/project/ngokobe/605
・ヤフー募金でもご寄付いただけます。
donation.yahoo.co.jp/detail/5240008
・郵便振替
口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター
・銀行振込
ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556
名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター
*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島地震」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
2 days ago
【能登半島地震報告会】
■日 時:2024年5月26日(日)14時00分~17時00分
■場 所:兵庫県立大学 神戸防災キャンパス 大教室
(人と防災未来センター東館4階
兵庫県神戸市中央区脇浜海岸通1丁目5−2)
阪神電鉄 岩屋駅、春日野道駅(東改札口)から徒歩約10分
■報告者:頼政良太(被災地NGO恊動センター 代表)
第4次足湯隊~第8次足湯隊の各学生
■内容:第一部 被災地NGO恊動センターの報告
第二部 第4次~第8次やさしや足湯隊の報告
第三部 交流会
■参加費 無料
■申込は下記URLか、チラシのQRコードから
forms.gle/AkCiGHfJco65n2t48
オンラインの方は、5月24日(金)までに申し込みください。
5月25日(土)にzoomのURLを送らせていただきます。
開 催:対面(オンライン zoomも可)
主 催:兵庫県防災士会
被災地NGO恊動センター
CODE海外災害援助市民センター
2024年1月1日午後16時10分に石川県能登地方で震度7の地震が発生しました。被災地NGO恊働センターは七尾市中島町小牧を中心に能登半島での支援を続けています。また、「被災地NGO恊働センター」「CODE海外災害援助市民センター」「兵庫県防災士会」が連携して結成した足湯ボランティア「やさしや足湯隊」は現在、先遣隊~第8次隊の(のべ59名)までが活動しており、今後も継続していきます。
能登半島はまだまだ復旧の途中で、今後の復興のためにも被災地NGO恊働センターと足湯隊「やさしや足湯隊」のこれまでの活動の報告会を行ないます。ボランティアに参加された方やボランティアに参加してみたい方、能登半島の現状やどんな活動を行なっているのかが気になる方など、どなたでもふるってご参加下さい。
■お問い合わせ先
CODE海外災害援助市民センター
code-jp.org/ ... See MoreSee Less
4 days ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.51
能登半島地震から3ヶ月半が過ぎた。避難所の閉鎖が進み、仮設住宅(みなし仮設を含む)への移動、あるいはやむを得ずの在宅避難生活の始まりなどとステージが変わりつつある。
今、最大の課題は災害関連死を防ぐということだ。発災後、関連死として認定された方が15名となっているが、こうした避難の変化によって、取り残され感やこの先自分はどうなるのだろうかと不安が押し寄せてくるなどが影響し、関連死が増加する可能性が十分考えられる。
災害後の関連死が話題になった初期の頃は、避難所の劣悪な環境が原因だとされていたが、最近の分析では避難所での生活が原因というのは少なく、むしろコミュニティの変化や避難場所の移動が原因というのが多いといわれている。
しかし、災害直後の避難所での精神的、身体的な変化によって慢性病などの悪化を誘発し、その後の社会的変化による不安とストレスの増大などが原因で関連死につながるのではないかと思う。避難所の環境改善は必須だ!
ところで指定避難所の運営には、全国の自治体から応援職員として派遣される。これまで、私が当NGOが立ち上げた「やさしや足湯隊」に同行して避難所訪問をしていて、そのサポートに入っている職員の態度に疑問を感じることがある。
そもそも避難所の運営は、本来そこで生活している避難者あるいは避難所のある地域が自主的に運営を担うのが当然の在り方だと思うが、高齢化が進み避難所の運営を、前述のサポーターに委ねているケースも散見される。その時に気になるのは応援自治隊の職員の在り方だ。大方の自治体職員は、被災者の主体性を尊重し、あくまでも運営に相談があれば聞き、アドバイスをするというスタイルで、被災者を尊重し、寄り添うという姿勢だ。ただ、中には被災者よりも出張って、あたかも「我々は任されいるから」と被災者の判断に意向を聞くわけでもなく、その応援職員が決済をするというケースにも出会った。この態度には正直、大変な違和感を禁じ得ない。避難所で生活しているのは、被災当事者である。被災者の意向を尊重するのが当然だろう。中には、受付に陣取っていて、避難所の中には入れないという場面にも出会った。ただ、私のような外部支援者はやむを得ないかも知れない。しかし、在宅避難をされている同じ避難者に対してもそうした対応をする場合もあるやに聞く。
29年前の阪神・淡路大震災以降、災害時の避難所は地域で担うという訓練やワークショップを促進していた自治体もある。また、避難所の在り方訓練も頻繁にされてきた。
今回の能登半島地震では特に、応援職員の態度が問題だと思うのは気のせいだろうか。
被災自治体からは、どのような内容で応援要請を出しているだろうかと思われる。(被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清)
*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。
www.civic-force.org/info/activities/earthquake202401/20240130.html
*私たちの活動は日本財団「令和6年能登半島地震(2024年1月発生)に関わる支援活動」の助成を頂き活動しています。
*私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。
■活動支援金のご協力をお願い致します。
・クレジットカードでも寄付ができます。 https://congrant.com/project/ngokobe/605
・ヤフー募金でもご寄付いただけます。 https://donation.yahoo.co.jp/detail/5240008
・郵便振替 口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター
・銀行振込 ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556 名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター
*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島地震」と記入して下さい。
引き続き現地からの情報を発信していきます。
ブログはこちら→
ngo-kyodo.org/2024noto/ ... See MoreSee Less
6 days ago
被災地NGO恊働センター
「能登半島地震救援ニュースNo.50」
能登半島地震が発生してから、当センターの学生スタッフとして一緒に活動してくれている三宅奈央さんをご紹介します。大変な中ですが、彼女の持ち前の明るさと優しさで被災された住民さんに笑顔が広がっています。(増島)
**************
大阪大学人間科学部4年の三宅奈央です。
今年の1月末から、被災地NGO恊働センターの学生スタッフとして能登で活動をしています。
なぜボランティアを始めるようになったのか、その説明に欠かせないのは能登でも一緒に活動している「一般社団法人おもやい」の存在です。
大学の研究室の先生に紹介されておもやいと出会い、人生が大きく変わりました。
ボランティア活動を通じて、水害の被災地や貧困、様々な現場を目の当たりにして、自分の生きてきた世界の狭さを痛感しました。それがきっかけでもっと様々な経験をしたいと思い、大学4年生の10月から休学。日本各地を転々としながら生活していました。
そんな中で起こったのが今回の能登半島地震でした。初めて能登を訪れたのは1月末。おもやいでのご縁などがあり、被災地NGO恊働センターの拠点でボランティアとして活動していました。そこで声をかけて頂き、今に至ります。
能登に来て2か月以上が経ちました。胸が痛くなることがたくさんあります。
けれど、誰かの優しさで心が温まることもたくさんあります。
名前を覚えて「なおちゃん!」と声をかけてくださる方が日に日に増えていくのは、なんとも言えない嬉しさがあります。
能登の皆さんや各地から来てくださるボランティアの方々、そしてともに活動するスタッフ。素敵な人たちに囲まれて、これからもこの場所で活動を続けていこうと思います。
***************
*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。
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1 week ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.49
—自主避難所から、自立避難所へⅥー(珠洲市大谷町編)
前号で紹介した日置ハウスがある折戸町から、車でさらに外浦を輪島の方面に20分ほど走ったところに大谷町がある。輪島方面といったが、残念ながら輪島には辿り着きません。海岸線の途中が何か所も山崩れがあり、通行止めの箇所がまだまだ整備されていないからだ。
ただ、発災後3か月が過ぎた今は、完全孤立という訳ではなく輪島市門前町や珠洲市内から山越えでは行くことができるようだ。
大谷町から、さらに外浦の海岸を西へ走ると、珠洲市で500年以上続いている「揚げ浜式製塩法」という方式で天然塩を生産しているところが数件並んでいる。昨年開催された“奥能登国際芸術祭”で車窓ではあるが、数か所の製塩所を観たことを思いだす。NHK連続テレビ小説『まれ』で、世界的ダンサー田中泯さんが演じた伝統的な塩づくりの現場もこのあたりで、田中泯さんは、角花豊さんの指導を受けたとのこと。
さて、大谷町には大谷小・中避難所がある。この大谷町も発災直後は孤立集落の一つとして報じられ、直後には231名が避難した。大谷小・中避難所には、ピーク時は400人の避難者がいたが、私たち「やさしや足湯隊」第6次派遣チームが訪問した時は40人まで減っていて、しかも日中は4~5人になり、夜のなると寝るために帰ってくる。この現象は、どこの避難所も同じで、避難所から仕事に出かけている人や家の方づけに帰る人、放置していた畑の世話に行っている人などが少なくないのだろう。この集会所は電気も通り、水は自衛隊が設置している1回4トンの水が入った給水車を活用している。また、救援物資が不足して困っている風でもなく、少しばかりの物資を手渡すと喜んでくれた。やはり4月からは学校も再開するのだが、着任する教員の住まいの確保も大変なようだ。すぐ近くにあればいいのだが、なかなか難しいようだ。
ところで、考えなければならないのは避難所から昼間に家の片付けに帰っているという現実だ。仮設住宅にも入れず、なんとか片付けして元の家で暮らそうという選択だろうが、その家が応急危険度判定で赤紙の場合もあるだろう。赤紙の内容にもよるが、そのような家に戻るという選択肢を、簡単に「どうぞ!」といっていいものか?行政は、きちんと調査をし「耐震診断をして、大丈夫!」と診断結果を伝えるべきではないか?「赤紙が貼っているのに、勝手に住んだ!」では済まされないのだ。少なくとも赤紙を貼っている以上は、すべての家庭に仮設住宅(みなし仮設も含む)を供与すべきだと思う。行政にとっては「そんなことをしたら、仮設住宅が足りない」というのだろうが、本レポートでも伝えたように、本来災害後の仮設住宅の設置に関しては、もとのコミュニティ―を壊さずに、全戸が同じ仮設に入るように備えておくべきなのだ。日本は災害先進国であるだけに、防災先進国といわれるような備えを平時からしておくべきだということが、今回の能登半島地震からの教訓ではないか‥‥。(被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清)
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#Civicforce
#赤い羽根共同募金
#SEMA緊急災害支援
#一般社団法人おもやい
#一般社団法人みんなの居場所はちはち ... See MoreSee Less
復興支援プログラム「NPOパートナー協働事業」開始|Civic Force(シビックフォース)
2024年元日の能登半島地震発生からもうすぐ1カ月が経ちます。Civic Forceは空飛ぶ捜索医療団"ARROWS”の一員として、能登半島最北端の珠洲市などで企業と連携した物資輸送や医療チームのサポートなど緊急支援活動を展開して....2 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.48
一昨日、静岡県弁護士会の永野海弁護士をお呼びして、生活再建支援法の説明会と無料相談会を行いました。
公費解体や罹災判定への質問が多く、分かりにくい制度を分かりやすく説明頂き、被災住民のみなさんにも好評でした。
増改築をしている家屋の公費解体については、現行制度では、棟続きになっている構造的に安全な母屋の一部を残して増改築した部分だけを解体するのはできないそうです。そうなると、「これまで住み繋いできた伝統家屋を住める部分があるにもかかわらず、解体が進んで、風情ある町並みがなくなっていくことを助長するのではないか」と懸念している建築家もいます。制度との狭間でどれだけ被災者に寄り添い、負担を軽減しながら住み繋いできた家屋を残していくのか、課題は尽きません。
相談会後には実際に被災された住宅やカキ小屋を見て頂き、アドバイスをもらった住民さんからは「凄く、良かったです。色々と教えてくれて、参考になりました!」とお礼のメッセージを頂きました!
物資の拠点のじんのび広場では神戸から来てくださった山田さんがグリーンアイズのコーヒーと社会福祉法人えんぴつの家のラスクをふるまってくれました。
みなさんありがとうございます!!
(増島)
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2 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.47
—自主避難所から、自立避難所へⅥー(珠洲市折戸地区編:日置ハウス)
能登半島最北東端、奥能登の狼煙(のろし)地域から少し走ると折戸町に入る。ここに、発災後避難所になっている旧日置小・中学校を改築し、36名が宿泊できる滞在交流施設「日置ハウス」がある。学校を改築した施設なので、玄関を入ったところは当時の履物をいれる棚が並んでいて、また救援物資を雑然と積み上げているので、滞在交流施設という雰囲気ではなかった。震災以来3か月避難所として活用しているからだろう。
玄関を入って大きな声で「こんにちは!」と2回ほど叫んだところ、避難所の責任者らしき?男性が対応してくれた。「地震後、いろいろな避難所で足湯をして廻っています。ここでも足湯をできないかと、訪ねてきました。」と話しかけると、「ここは早くから水も、電気も通っているし、早くから風呂にも入れるの‥‥」と。そもそもこの施設は、幸い被害がなかったようだ。
でも、まだ30人も寝泊まりしているということは、少なくとも夜は家に帰れない事情があるのだろう。発災から3ヶ月が過ぎ、同じように昼間は少ないけれど、夜には寝泊まりしている人がいるというのは、どこの避難所も同じ現象だ。足湯は、本来寝る前に施すのが一番いいのだけれど、まだまだ道路上がよくない現状では、我々の場合夜の活動は難しい。
でも、つい先日オープンした“道の駅 狼煙”から車で10分ほど走ったところなので、利便性が悪い事情は変わりないが、現在は孤立している訳ではないようだ。
ところで、この日置ハウスには約30人(当初31人)が避難されている。お一人だけ避難所から退所されたというのは気になるが、同ハウスから少し山の方に上ったところに、旧小・中学校のグランド跡地がある。そこには仮設住宅が建設されるとのことで、測量の後があった。先ほどの避難所で応対してくれた方に、「今30人が避難されていますが、全員この仮設住宅に入居できるですか?」と聞くと、「そうそう、全員入れるよ!」と言われた。こうして土地さえあれば、元のコミュニティーを壊さず、被災者が全員同じところに入居できるというのは、災害後の集落再建を視野に入れると、いい結果をもたらしたと思う。災害後、元のコミュニティーをバラバラにして、避難所あるいはその後の仮設住宅に移行するのは29年前の阪神・淡路大震災からの最大の反省点だった。
ここの場合は、上手く仮設建設の用地があったので対応が早かったのだろうが、災害前の事前対策として、自治体は仮設用地をしっかり確保しておくことが必須課題ではないかと痛感させられた。ただ、今回のように過疎地域を襲った災害では、まず道路が寸断され、孤立集落となる可能性は大なので、一時は緊急避難をするのは当然でもある。しかし、3か月が過ぎて、一度は元の土地を離れて孤立した集落もだいぶ元に帰り始めている。やはり、孤立は解消されても、利便性が悪いと言われようが、長年暮らした元の集落が「ホッ!」とされるのだろう。
行政は画一的な避難対策に固執するのではなく、もっと柔軟に、かつ丁寧に住民に接するべきだと思う。その方が、自主避難から自立集落への近道ではないかと思うのだが・・
(被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清)
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2 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.46
自主避難所から、自立避難所へⅤ(南志見地区編:輪島市町野町)
本レポートで紹介した輪島市町野町金蔵に行く道路は288号線だが、その隣に途中で枝分かれして277号線(宇出津・里町線)が外浦の海岸まで走っている。その海寄りの集落が輪島市町野町南志見地区だ。元日の能登半島地震以来、何度か被災地各地区の自主避難所や孤立集落を回っているが、大型ダンプ車が10台以上も連ねて走っている光景は初めてだ。277号線を南志見地区まで走っていても、それを想像させるほどの大規模工事を目にすることはない。おそらく外浦の海岸線で大規模な山崩れがあり道路が寸断されているので、ここの土砂を運んでいるのだろう。
さて、地震前は約700人いた南志見地区だが、発災後一時約300人が2次避難された。残りは南志見公民館や東洋中学校や東大野の県の施設で避難生活を送っていたようだ。電気が通り始めた2月半ばに2次避難していた方々は少しずつ戻ってきた。私は、南志見地区尊利地地区に戻られた3世帯を訪ねた。お一人は、丁度2日前に戻ってきたところだが、輪島市内で働くので、ここから毎日通うのはきついということで、輪島で家を借りたそうだ。同地区区長さんは、「まだまだ不便なので、一度には戻って来ないだろう。みんなバラバラだ。ただ、4月12日から一部入居が始まる仮設住宅が完成すれば、戻ってくるよ!」と嬉しそうに語ってくれた。不便さは変わりないが、「少し離れたところのスーパーマーケットには生鮮食料もあるし、買い物は輪島市内に出るより、能登町まで行けば何でも買える。30分で行けるんだ!」と。
この南志見地区には、かなりの規模で仮設住宅がそのまま災害復興公営住宅に移行する“石川モデル”という住宅が建設されている。5月には完成するのでは・・・?と言っていた。
ただ、この大規模な“石川モデル”が完成しても新たに集会所や談話室はない。もともとあった南志見公民館を使うことになるそうだ。他方、廃校になった南志見小学校グランドにも建設型仮設住宅の建設が進んでいるとのことで、おそらく全被災住民が入居できるのは難しいかも知れないが、大半は元の南志見地区に住めるということで、これまで築いてきたコミュニティが崩壊することはないだろうと思う。
過疎地域を大災害が襲った能登半島地震だけに、消滅集落だとか、共同体消失だとか、耳障りな言葉が聞こえてくるが、まず南志見地区は伝統を引きつきながら、これまで築いてきた共同体の再出発が、もう目の前に来ているような気がする。
是非、能登モデルと言えるような共同体を創り上げてほしいと願う!! (被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清) ... See MoreSee Less
2 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.45
自主避難所から、自立避難所へⅣー(北河内地区編:能登町)
能登半島地震から3ヶ月が経ち、いつものことだが一部を除いて避難所の統廃合がピークを迎えている。その負の影響を受けるのが「自主避難所」と言われているところだ。自主避難所が次つぎと閉鎖されているのだ。閉鎖されるとどうなるか‥‥。
仮設住宅に入居できることが決まった被災者はひとまず「ホッ!」とされているが、閉鎖されると行くところがない被災者は、仕事の都合で車中泊に戻るか、無理無理在宅避難となるケースがでてくる。「先のめどが何もたっていないのに、終了時期が決まっているのはおかしい」と憤っている人もいる。(北陸中日新聞、2024・1・31の記事より)ごもっともだ!!ほんとうに何かおかしい!!「誰一人取り残さない」と日本政府や企業、NGO,NPOなど国際社会でも当たり前のメッセージとなってるにもかかわらず・‥‥?
ところで、私たちの活動は2024年の地半島地震後に結成された「やさしや足湯隊」の活動とともに、同チームが活動しているのが自主避難所への物資配達およびヒアリングだ。すべてがアポなしで行かざるを得ないし、走ってみて「通行止め」もあり諦めざるを得ないこともしばしば‥‥。でも、大きな指定避難所に避難している人に聞けばだいたいわかる。
第6次足湯隊(3/28~3/31)は、表記の「北河内地区」に向かった。同地区は、本レポートのNO38、39でお伝えした輪島市町野町の金蔵地区の隣に位置する能登町にある。珠洲道路から入っていくが、途中で金蔵方面と北河内ダム方面とが別れ、北河内方面を走ると「北河内集会所」に行くことができる。
「北河内集会所」に辿り着いたのだが、入り口に張り紙をしていて「北河内集会所閉鎖(2月10日~)と書いてあった。その張り紙には、有難いことだが区長さんの携帯電話とお寺の番号が書いてあった。早速区長さんに電話をして、いろいろお話を聞かせて頂いた。こちらとしては、足湯が出来ないかという交渉をするのが第一義的な目的だが、集会所が閉鎖されているので難しいかなぁと思ったが、「足湯をしませんか?」と聞いた。
「水は山の湧き水があり、電気も通ったのでお風呂には入れるようになったので、足湯までは‥・・・」ということになった。ただ、自主避難所の閉鎖に伴って、救援物資も届かなくなるケースがあるのでは心配し、「二次避難所から戻って来られて食料や生活雑貨に困るのではないですか?食料など救援物資は届いていますか?」と尋ねたところ、区長さんは「2月8日に、住民みなさんと議論し、救援物資は要らないと決めた」という。その理由が「我々は、けが人もいないし、在宅避難だが何とか生活をしている。でも、輪島の方面の人たちはもっと大変だから、そちらに届けてあげて下さい」というのです。ここ能登では、「私たちはいいから、もっと困っている人へ」という話はよく聞くことだが‥‥。29年前の阪神・淡路大震災後に、「市民とNGOの『防災』国際フォーラム」は、被災地KOBEから「自立は支え合いから」というメッセージを発信したのだが、ここ北河内でそのことを思い出した。
(被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清)
*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。
www.civic-force.org/info/activities/earthquake202401/20240130.html
*私たちの活動は日本財団「令和6年能登半島地震(2024年1月発生)に関わる支援活動」の助成を頂き活動しています。
*私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。
引き続き現地からの情報を発信していきます。
ブログはこちら→http://ngo-kyodo.org/2024noto/
■活動支援金のご協力をお願い致します。
・クレジットカードでも寄付ができます。
https://congrant.com/project/ngokobe/605
・ヤフー募金でもご寄付いただけます。
https://donation.yahoo.co.jp/detail/5240008
・郵便振替
口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター
・銀行振込
ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556
名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター
*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島地震」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
2 weeks ago
「台湾花蓮地震情報No.4」
4/3に台湾東部で発生した地震による被害ですが、台湾当局によると、4日夜の時点で、死者10名、負傷者1099名、行方不明者15名、その他閉じ込められている人が705名いるとの事です。
台湾のWさんからの情報では、4日から7日までは清明節という先祖を供養する日で連休という事もあり、その日に当たっていたらもっと大変な被害が出ていただろうと言われているそうです。
また、近年台湾でもアウトドアブームで東部の山岳地帯で登山やキャンプを楽しむ人たちも多く、そのような人たちや鉱山の労働者たちが孤立しているようです。
そのような状況の中で台湾最大とも言われるの仏教系NGO「慈済基金会」は、迅速な救援を行っています。
台湾人研究者Lさんからの情報では、慈済は、震災直後に花蓮県に災害対応センターを設置し、ボランティア200人を動員し、簡易ベッド480床、タオル550枚、パーテーション340枚、温かい食事250食を提供しました。中でも注文されているのが、避難所でのプライバシーに配慮した「隔屏」(Jingsi Fufui Environmental Protection Screen)と言われるパーテーションは、2018年2月の花蓮で起きた地震を機に慈済が提供したと言われ、再生プラスティックで作られており、難燃性もあります。2020年からは台湾全土の慈済の災害物資管理センターに準備されているそうです。3ヶ月前に発生した能登半島地震の避難所との差は歴然たるものがあります。
CODEは、これまで台湾集集地震(1999)、中国四川地震(2008)、ネパール地震(2015)などの現場で「慈済」とすれ違って来ましたが、台湾のNGOから積極的に学ぶ必要を感じています。(吉椿) ... See MoreSee Less
2 weeks ago
「台湾花蓮地震情報No.3」
昨日朝、台湾東部花蓮県を震源としたM7.4の地震から一夜が明けて、懸命の救助作業が続く中、被害の拡大が懸念されています。
台湾民政部消防当局によると、死者9名(多くは花蓮県での落石による)、負傷者1011名の被害が報告されています。また、花蓮県の北西に位置する太魯閣(タロコ)国家公園などでは今もなお143名(うち64名は平和鉱山内で救助待ち)が閉じ込められているようです。
また、報道されている傾いた花蓮天王星ビルでは死者1名が確認され、22名が救出されたようです。
また、花蓮県に続く蘇花公路(9号線)も各所で寸断されており救援に困難をきたしています。(吉椿) ... See MoreSee Less
2 weeks ago
「台湾花蓮地震情報No.2」
今朝、台湾東部で発生した地震の被害が少しずつ明らかになってきています。
台湾の内政部消防当局が、死者7名、負傷者736名、倒壊家屋は28棟(花蓮県17棟、新北市8棟、
宜蘭県1棟、基隆市2棟)で、未だ77名が倒壊家屋に閉じ込められていると発表しています。
また、崖崩れで土砂がバスを直撃し、トンネル内で11名が救助を待っているとの報道もあります。
その他、台湾全土で約8万7000戸が停電しているようです。
台湾東部の花蓮県周辺は地震が多く、2018年にはM6.4の地震で花蓮県などで17名が犠牲になり、
2019年、2022年にもM6以上の地震が発生し、花蓮県でも被害が出ています。
今回の地震は、1999年の集集地震(死者約2400名)以降、この25年間で最も大きな地震だと
台湾メディアが報道しています。(吉椿) ... See MoreSee Less
2 weeks ago
能登半島地震救援ニュースNo.44
被災地NGO恊働センター
「自主避難所から、自立避難所へⅢ -塩津上野編」
先日、第5次足湯隊の学生たちと能登半島の先端、珠洲市の自主避難所に物資をお届けに行った。
塩津上野集会所には、何度か物資提供や足湯ボランティアをさせていただいているが、ここをお世話しているKさんは、僕たちが着くやいなや、「あ〜、精神的に疲れたあ〜」と机にひれ伏すように語り始めた。
この地区には32世帯74人が暮らしており、70代の高齢者が大半だという。高台にある事から津波の被害はないが、3軒が全壊だという。
地震直後には地区外の人も含めて約100人がこの集会所に避難してきたそうだ。焚き火で暖をとり、畑の野菜をもらってきて鍋やおにぎりを作ってしのいだそうだ。
電気が通った事でほとんどの人は自宅に戻り、今、ここで寝ているのはKさんを含め2人だけだという。
1/1からずっと避難所のお世話をしてきたKさんは、地区の人達の名簿を自作し、年齢や家族構成、避難先を書き込んで一人ひとりを把握し、お世話をしてきた。避難者もいなくなってきた事からこの避難所も3月いっぱいで閉鎖されるという。Kさんは3ヶ月間突っ走ってきたこの重責からようやく開放される事から「精神的に疲れた。もう限界。。」という弱音をやっと吐けるようになったのだろう。
この集会所は、物資を取りに来る人もいる事から、しばらくは昼間だけ開けるそうだ。
「月に1、2回は集まってババ会(女性たちのお茶会)はやりたいわ」というKさんの顔は安堵の裏口にどこか寂しいのようなものがあった。最後に、「この前の足湯が気持ち良かったから、また来てほしいわ」と言った。
被災地では避難所が閉鎖、統廃合され未だ体育館などの避難所で暮らさなくてはいけない人、仮設住宅に当たった人、はずれた人、自宅に戻った人など様々な状況の人たちがいる。(吉椿)
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2 weeks ago
「台湾花蓮地震情報No.1」
CODEです。
本日、7時58分(日本時間8時58分)に台湾東部(花蓮県南南東25㎞)を震源とするM7.4の地震が発生しました。
震源の深さが15.5kmと浅かったことから、震源に近い東部花蓮県などでビルの倒壊、土砂崩れなどの被害が出ています。
また、台湾沿岸だけでなく、沖縄八重山諸島でも津波警報(現在は津波注意報)が発令されました。
CODEは、すぐに台湾のNGOや研究者、友人知人などを通じて情報収集を開始しました。
以下、各方面からの情報を紹介します。
「今までにない揺れだったと皆言っている」
「1999年の集集地震と同じ恐怖を感じた」
「朝の8時だったのでエレベーターに閉じ込められた」
「台北の弟の家の壁にもヒビが入った」
「今、台北にいますが、ずっと余震があります。」
「花蓮の知り合いとまだ連絡が取れていません。」
「被災地はまだ混乱しています。」
などの声が寄せられています。
また、大規模な土砂崩れやモノレール(MRT)の高架が被害を受け、歩いて避難している人たちや傾いたビルなどの
写真や動画も送られてきています。
CODEは、現地の関係者を通じて引き続き情報収集を行っていきます。(吉椿) ... See MoreSee Less
2 weeks ago
CODEです。
本日、7時58分(日本時間8時58分)に台湾東部(花蓮県南南東25㎞)を震源とするM7.4の地震が発生しました。
震源の深さが15.5kmと浅かったことから、震源に近い東部花蓮県などでビルの倒壊、土砂崩れなどの被害が出ています。
また、台湾沿岸だけでなく、沖縄八重山諸島でも津波警報(現在は津波注意報)が発令されました。
CODEは、すぐに台湾のNGOや研究者、友人知人などを通じて情報収集を開始しました。
以下、各方面からの情報を紹介します。
「今までにない揺れだったと皆言っている」
「1999年の集集地震と同じ恐怖を感じた」
「朝の8時だったのでエレベーターに閉じ込められた」
「台北の弟の家の壁にもヒビが入った」
「今、台北にいますが、ずっと余震があります。」
「花蓮の知り合いとまだ連絡が取れていません。」
「被災地はまだ混乱しています。」
などの声が寄せられています。
また、大規模な土砂崩れやモノレール(MRT)の高架が被害を受け、歩いて避難している人たちや傾いたビルなどの
写真や動画も送られてきています。
CODEは、現地の関係者を通じて引き続き情報収集を行っていきます。(吉椿) ... See MoreSee Less
2 weeks ago
www.facebook.com/share/p/bRwYaQRbum7zrmJM/ ... See MoreSee Less
2 weeks ago
先ほどの沖縄与那国島沖の地震、津波ですが、現在、沖縄や台湾の仲間に連絡を取って情報収集を行っています。 ... See MoreSee Less
3 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.40
「やさしや足湯隊ニュース」No.2
私たちは能登半島地震の支援活動に携わりたい若者を中心として、足湯ボランティアを行う「やさしや足湯隊」結成しました。全国から集まる学生、若者と共に足湯ボランティアの活動を通して、被災地でほっと安らげる一時を提供し、被災した方々から発せられる一つ一つの「つぶやき」に向き合っています。
先遣隊メンバー 糴川さん(神戸学院大学 現代社会学部4年)からの感想①
私自身、初めての発災直後の町へのボランティアだったため、かなり緊張していました。阪神・淡路大震災が発生した地で生まれ育ち、当時の画像や映像や体験談を多く見聞きする機会はあったものの実際のものを目にするとかなり衝撃的でした。地震が起こる直前まで生活していた痕跡が崩壊した家屋の隙間から見えたり、地震によって失ったものを何の当てもなく探していたり、経験したことのない困難ばかりでした。その精神状態の中、お寺の掃除等の肉体労働も行いましたが、やはり身体的な疲労より精神的な疲労の方が大きかったと感じました。しかし、その精神的な疲労を回復させてくれたのは一緒にボランティアに赴いたメンバーや現地の被災者の方々でした。協力して作業を行うこと、意見を交わすこと、何気ない会話をすること、地震という大きな障害から乗り越えようとする勇気や努力。日々の生活に溶け込んだ何気ないことから特別なことまで、たくさんのことに集中することが自分の気を紛らわして楽しさを感じることができるので、少し大袈裟に言うと新しい生き方を見つけたと感じた時間となりました。
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1 month ago
2月に一緒に能登の被災地で活動したミャンマーの若者たちの事が記事になりました。
この若者たちは、3年前のクーデターで厳しい状況にある人たちを支えるために日本でも活動しています。
別れ際、片付けをお手伝いした家のお母さんは、ミャンマーの女性に「早く平和になるといいね。」と語りかけている姿がとても印象的でした。
災害とクーデターとは違うけど、厳しい状況に置かれた人たち同士で痛みを分かち合っている姿に目頭が熱くなりました。(吉椿)
www.tokyo-np.co.jp/article/311811?fbclid=IwAR0m3SvY-GpfyJQv8lojot3kbjiKld4HGkARZMTS6oHfXAZdmdbgwD... ... See MoreSee Less
「故郷を失うつらさは同じ」在日ミャンマー人らが能登で被災家屋の片付け 「痛み、分かち合いたい」:東京新聞 TOKYO Web
<連載 ミャンマーの声> 首都圏で暮らす在日ミャンマー人とクルド人らが、能登半島地震で被災した石川県七尾市や能登町を訪れ、家屋の片付け...1 month ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.39
自主避難所から、自立避難所へーⅡ
この金蔵集落には、足湯ボランティアで被災地入りしている大学生たちと訪問した。自主避難所「金蔵集会所」にお邪魔して、短時間だったが自然の尊さを学ばせて頂いた。地震の前は100余名だったが、区長の井池さんが小学生の頃、人口は500名を超えていた。この地域には4カ寺(一時は5カ寺あった)あり、山岳仏教としてこの地を守った。奥能登で最大規模の木造寺、「正願寺」もこの地にある。
今回の地震では、金蔵で全壊した家はほとんどない。この地方の家の木には“能登ひば”の木が使われている。雪深い山で育った“ひば”を使うので、しなやかで、強い。雪の重さにも耐えられると。しかも、木を切るときには、切る前に木が立っている向きを見て、この木は家のここの柱に使うと決めてから切るそうだ。「新月に切った木は腐らない」と木こりさんから聞いたことがあるが、これも先人の知恵か。自然に逆らわない技だ。
ここでは地震後、毎朝お茶を飲みながら会議をし、お互い元気であることを確認し合っている。会議の後は、これからここに戻ってくる人たちのために、この集落を守っている人たちで在宅避難の様子を確認し、損傷の状況などもチェツクするそうだ。
前号のレポートで「金蔵米(きんぞうまい)」のことに触れた。金蔵には大きい川がないため、米作りに不可欠な水は雨水だ。今回の地震で亀裂が入っていないかなど点検しなければならないが、雨水を溜めた池が11か所ある。
加えて、金蔵米が美味しい秘密は米が育つ気温と日中の明るさだという。ここでは3月20日が最も寒く、9月1日が最も暑い。こればかりは自然の摂理に逆らえない。
米が育つには満月の灯りが最適らしい。日差しが強く、日が当たりすぎてもダメだと。米もしっかり寝る必要があるそうだ。満月の優しい灯りが美味しい米を育んでいる。夜は明るいと米も寝られない。人間も同じだ。これが“美味しい”所以だと区長は笑う。しかし、今年は地震で米作りができるかどうかはわからないので心配だ。
井池区長は、「60過ぎて村のありように口を出すところは、やがて潰れる。若い人が、中心になる村は潰れない!」と断言されていた。これはどの世界でも同じことが言えるだろう。金蔵に来ると人生訓も学べそうだ。金蔵には34歳のベルギー帰りの若者がいる。大丈夫だ!加えて、女性は3時半には自宅に帰す。日没になるまでに‥‥ということだそうだ。女性を大事にしているので、この村は潰れないだろう。
金蔵(かなくら)には、金蔵寺(こんぞうじ)があり、金蔵米(きんぞうまい)があり、昔は逆から読んで“埋蔵金(まいぞうきん)”という地酒もあったそうだ。(了)
―水津樹紀、楊颸羽(ヨウ シウ)、西受穂乃花、山村太一、村井雅清― ... See MoreSee Less
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9 hours ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.52
「自主避難所から、自立避難所へⅦ - 川上本町編」
能登半島地震で甚大な被害を受けた珠洲市の最先端にある三崎地区。
その中の自主避難所である川上本町集会所には、現在、3名の被災者の方々が寝泊まりしている。
この日、足湯隊の学生さんたちとここに水などを物資をお届けした。
この集会所は、高台にあることから、地震直後には、約30名が避難してきたという。
現在は、三崎地区内に2か所の仮設住宅110戸が建設されたことで、抽選に当たった人たちは
避難所から仮設住宅や金沢などの2次避難所へと移っていった。
この避難所を直後から運営してきたTさんは、「俺は区長だからここを離れられない。」と金沢に避難して奥さんとも離れ離れで暮らしている。
Tさん自身も仮設住宅に応募したが、抽選に外れてしまったそうで、しばらくはここで3名で
暮らさないといけないという。
「2次避難した人が片付けや手続きなどで、時々帰って来て、泊めてくれって言うから、
ここを閉めるわけにはいかないんだ」と語るTさんの表情から、その責任感が垣間見えた。
そんなTさんは、後悔している事があるという。
娘さん夫婦がこの地域に家を建てる事になり、Tさんは、海岸線が目の前の自分の土地に家を建てる事をすすめたそうだ。
12月20日ごろに新築の家が完成して、娘さん夫婦はわずか10日ばかり住んだところで、地震に遭い、津波の被害を受けたという。
「俺があんなこと言わなければ・・・」とボソッとつぶやいた。
Tさんは、30分ほど離れた珠洲の中心部の蛸島の仮設が当たっても、「遠いから俺は行かない。。。」という。
それは、物理的遠いという事よりも、区長としてここを離れる訳にはいかないという責任感からそう言ったように見えた。
Tさんは、「4畳半の仮設は狭いわ。でも、夫婦が仲良くなるわ!」と冗談まじりで笑うが、その気丈にふるまっている姿が何とも痛ましかった。3か月休みなしでずっと走り続けてきた自主避難所の現実をTさんの姿から思い知らされた。(吉椿)
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2 days ago
【能登半島地震報告会】
■日 時:2024年5月26日(日)14時00分~17時00分
■場 所:兵庫県立大学 神戸防災キャンパス 大教室
(人と防災未来センター東館4階
兵庫県神戸市中央区脇浜海岸通1丁目5−2)
阪神電鉄 岩屋駅、春日野道駅(東改札口)から徒歩約10分
■報告者:頼政良太(被災地NGO恊動センター 代表)
第4次足湯隊~第8次足湯隊の各学生
■内容:第一部 被災地NGO恊動センターの報告
第二部 第4次~第8次やさしや足湯隊の報告
第三部 交流会
■参加費 無料
■申込は下記URLか、チラシのQRコードから
forms.gle/AkCiGHfJco65n2t48
オンラインの方は、5月24日(金)までに申し込みください。
5月25日(土)にzoomのURLを送らせていただきます。
開 催:対面(オンライン zoomも可)
主 催:兵庫県防災士会
被災地NGO恊動センター
CODE海外災害援助市民センター
2024年1月1日午後16時10分に石川県能登地方で震度7の地震が発生しました。被災地NGO恊働センターは七尾市中島町小牧を中心に能登半島での支援を続けています。また、「被災地NGO恊働センター」「CODE海外災害援助市民センター」「兵庫県防災士会」が連携して結成した足湯ボランティア「やさしや足湯隊」は現在、先遣隊~第8次隊の(のべ59名)までが活動しており、今後も継続していきます。
能登半島はまだまだ復旧の途中で、今後の復興のためにも被災地NGO恊働センターと足湯隊「やさしや足湯隊」のこれまでの活動の報告会を行ないます。ボランティアに参加された方やボランティアに参加してみたい方、能登半島の現状やどんな活動を行なっているのかが気になる方など、どなたでもふるってご参加下さい。
■お問い合わせ先
CODE海外災害援助市民センター
code-jp.org/ ... See MoreSee Less
4 days ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.51
能登半島地震から3ヶ月半が過ぎた。避難所の閉鎖が進み、仮設住宅(みなし仮設を含む)への移動、あるいはやむを得ずの在宅避難生活の始まりなどとステージが変わりつつある。
今、最大の課題は災害関連死を防ぐということだ。発災後、関連死として認定された方が15名となっているが、こうした避難の変化によって、取り残され感やこの先自分はどうなるのだろうかと不安が押し寄せてくるなどが影響し、関連死が増加する可能性が十分考えられる。
災害後の関連死が話題になった初期の頃は、避難所の劣悪な環境が原因だとされていたが、最近の分析では避難所での生活が原因というのは少なく、むしろコミュニティの変化や避難場所の移動が原因というのが多いといわれている。
しかし、災害直後の避難所での精神的、身体的な変化によって慢性病などの悪化を誘発し、その後の社会的変化による不安とストレスの増大などが原因で関連死につながるのではないかと思う。避難所の環境改善は必須だ!
ところで指定避難所の運営には、全国の自治体から応援職員として派遣される。これまで、私が当NGOが立ち上げた「やさしや足湯隊」に同行して避難所訪問をしていて、そのサポートに入っている職員の態度に疑問を感じることがある。
そもそも避難所の運営は、本来そこで生活している避難者あるいは避難所のある地域が自主的に運営を担うのが当然の在り方だと思うが、高齢化が進み避難所の運営を、前述のサポーターに委ねているケースも散見される。その時に気になるのは応援自治隊の職員の在り方だ。大方の自治体職員は、被災者の主体性を尊重し、あくまでも運営に相談があれば聞き、アドバイスをするというスタイルで、被災者を尊重し、寄り添うという姿勢だ。ただ、中には被災者よりも出張って、あたかも「我々は任されいるから」と被災者の判断に意向を聞くわけでもなく、その応援職員が決済をするというケースにも出会った。この態度には正直、大変な違和感を禁じ得ない。避難所で生活しているのは、被災当事者である。被災者の意向を尊重するのが当然だろう。中には、受付に陣取っていて、避難所の中には入れないという場面にも出会った。ただ、私のような外部支援者はやむを得ないかも知れない。しかし、在宅避難をされている同じ避難者に対してもそうした対応をする場合もあるやに聞く。
29年前の阪神・淡路大震災以降、災害時の避難所は地域で担うという訓練やワークショップを促進していた自治体もある。また、避難所の在り方訓練も頻繁にされてきた。
今回の能登半島地震では特に、応援職員の態度が問題だと思うのは気のせいだろうか。
被災自治体からは、どのような内容で応援要請を出しているだろうかと思われる。(被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清)
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6 days ago
被災地NGO恊働センター
「能登半島地震救援ニュースNo.50」
能登半島地震が発生してから、当センターの学生スタッフとして一緒に活動してくれている三宅奈央さんをご紹介します。大変な中ですが、彼女の持ち前の明るさと優しさで被災された住民さんに笑顔が広がっています。(増島)
**************
大阪大学人間科学部4年の三宅奈央です。
今年の1月末から、被災地NGO恊働センターの学生スタッフとして能登で活動をしています。
なぜボランティアを始めるようになったのか、その説明に欠かせないのは能登でも一緒に活動している「一般社団法人おもやい」の存在です。
大学の研究室の先生に紹介されておもやいと出会い、人生が大きく変わりました。
ボランティア活動を通じて、水害の被災地や貧困、様々な現場を目の当たりにして、自分の生きてきた世界の狭さを痛感しました。それがきっかけでもっと様々な経験をしたいと思い、大学4年生の10月から休学。日本各地を転々としながら生活していました。
そんな中で起こったのが今回の能登半島地震でした。初めて能登を訪れたのは1月末。おもやいでのご縁などがあり、被災地NGO恊働センターの拠点でボランティアとして活動していました。そこで声をかけて頂き、今に至ります。
能登に来て2か月以上が経ちました。胸が痛くなることがたくさんあります。
けれど、誰かの優しさで心が温まることもたくさんあります。
名前を覚えて「なおちゃん!」と声をかけてくださる方が日に日に増えていくのは、なんとも言えない嬉しさがあります。
能登の皆さんや各地から来てくださるボランティアの方々、そしてともに活動するスタッフ。素敵な人たちに囲まれて、これからもこの場所で活動を続けていこうと思います。
***************
*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。
www.civic-force.org/info/activities/earthquake202401/20240130.html
*私たちの活動は日本財団「令和6年能登半島地震(2024年1月発生)に関わる支援活動」の助成を頂き活動しています。
*私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。
引き続き現地からの情報を発信していきます。
ブログはこちら→http://ngo-kyodo.org/2024noto/
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・銀行振込 ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556
名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター
*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島地震」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
1 week ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.49
—自主避難所から、自立避難所へⅥー(珠洲市大谷町編)
前号で紹介した日置ハウスがある折戸町から、車でさらに外浦を輪島の方面に20分ほど走ったところに大谷町がある。輪島方面といったが、残念ながら輪島には辿り着きません。海岸線の途中が何か所も山崩れがあり、通行止めの箇所がまだまだ整備されていないからだ。
ただ、発災後3か月が過ぎた今は、完全孤立という訳ではなく輪島市門前町や珠洲市内から山越えでは行くことができるようだ。
大谷町から、さらに外浦の海岸を西へ走ると、珠洲市で500年以上続いている「揚げ浜式製塩法」という方式で天然塩を生産しているところが数件並んでいる。昨年開催された“奥能登国際芸術祭”で車窓ではあるが、数か所の製塩所を観たことを思いだす。NHK連続テレビ小説『まれ』で、世界的ダンサー田中泯さんが演じた伝統的な塩づくりの現場もこのあたりで、田中泯さんは、角花豊さんの指導を受けたとのこと。
さて、大谷町には大谷小・中避難所がある。この大谷町も発災直後は孤立集落の一つとして報じられ、直後には231名が避難した。大谷小・中避難所には、ピーク時は400人の避難者がいたが、私たち「やさしや足湯隊」第6次派遣チームが訪問した時は40人まで減っていて、しかも日中は4~5人になり、夜のなると寝るために帰ってくる。この現象は、どこの避難所も同じで、避難所から仕事に出かけている人や家の方づけに帰る人、放置していた畑の世話に行っている人などが少なくないのだろう。この集会所は電気も通り、水は自衛隊が設置している1回4トンの水が入った給水車を活用している。また、救援物資が不足して困っている風でもなく、少しばかりの物資を手渡すと喜んでくれた。やはり4月からは学校も再開するのだが、着任する教員の住まいの確保も大変なようだ。すぐ近くにあればいいのだが、なかなか難しいようだ。
ところで、考えなければならないのは避難所から昼間に家の片付けに帰っているという現実だ。仮設住宅にも入れず、なんとか片付けして元の家で暮らそうという選択だろうが、その家が応急危険度判定で赤紙の場合もあるだろう。赤紙の内容にもよるが、そのような家に戻るという選択肢を、簡単に「どうぞ!」といっていいものか?行政は、きちんと調査をし「耐震診断をして、大丈夫!」と診断結果を伝えるべきではないか?「赤紙が貼っているのに、勝手に住んだ!」では済まされないのだ。少なくとも赤紙を貼っている以上は、すべての家庭に仮設住宅(みなし仮設も含む)を供与すべきだと思う。行政にとっては「そんなことをしたら、仮設住宅が足りない」というのだろうが、本レポートでも伝えたように、本来災害後の仮設住宅の設置に関しては、もとのコミュニティ―を壊さずに、全戸が同じ仮設に入るように備えておくべきなのだ。日本は災害先進国であるだけに、防災先進国といわれるような備えを平時からしておくべきだということが、今回の能登半島地震からの教訓ではないか‥‥。(被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清)
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復興支援プログラム「NPOパートナー協働事業」開始|Civic Force(シビックフォース)
2024年元日の能登半島地震発生からもうすぐ1カ月が経ちます。Civic Forceは空飛ぶ捜索医療団"ARROWS”の一員として、能登半島最北端の珠洲市などで企業と連携した物資輸送や医療チームのサポートなど緊急支援活動を展開して....2 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.48
一昨日、静岡県弁護士会の永野海弁護士をお呼びして、生活再建支援法の説明会と無料相談会を行いました。
公費解体や罹災判定への質問が多く、分かりにくい制度を分かりやすく説明頂き、被災住民のみなさんにも好評でした。
増改築をしている家屋の公費解体については、現行制度では、棟続きになっている構造的に安全な母屋の一部を残して増改築した部分だけを解体するのはできないそうです。そうなると、「これまで住み繋いできた伝統家屋を住める部分があるにもかかわらず、解体が進んで、風情ある町並みがなくなっていくことを助長するのではないか」と懸念している建築家もいます。制度との狭間でどれだけ被災者に寄り添い、負担を軽減しながら住み繋いできた家屋を残していくのか、課題は尽きません。
相談会後には実際に被災された住宅やカキ小屋を見て頂き、アドバイスをもらった住民さんからは「凄く、良かったです。色々と教えてくれて、参考になりました!」とお礼のメッセージを頂きました!
物資の拠点のじんのび広場では神戸から来てくださった山田さんがグリーンアイズのコーヒーと社会福祉法人えんぴつの家のラスクをふるまってくれました。
みなさんありがとうございます!!
(増島)
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2 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.47
—自主避難所から、自立避難所へⅥー(珠洲市折戸地区編:日置ハウス)
能登半島最北東端、奥能登の狼煙(のろし)地域から少し走ると折戸町に入る。ここに、発災後避難所になっている旧日置小・中学校を改築し、36名が宿泊できる滞在交流施設「日置ハウス」がある。学校を改築した施設なので、玄関を入ったところは当時の履物をいれる棚が並んでいて、また救援物資を雑然と積み上げているので、滞在交流施設という雰囲気ではなかった。震災以来3か月避難所として活用しているからだろう。
玄関を入って大きな声で「こんにちは!」と2回ほど叫んだところ、避難所の責任者らしき?男性が対応してくれた。「地震後、いろいろな避難所で足湯をして廻っています。ここでも足湯をできないかと、訪ねてきました。」と話しかけると、「ここは早くから水も、電気も通っているし、早くから風呂にも入れるの‥‥」と。そもそもこの施設は、幸い被害がなかったようだ。
でも、まだ30人も寝泊まりしているということは、少なくとも夜は家に帰れない事情があるのだろう。発災から3ヶ月が過ぎ、同じように昼間は少ないけれど、夜には寝泊まりしている人がいるというのは、どこの避難所も同じ現象だ。足湯は、本来寝る前に施すのが一番いいのだけれど、まだまだ道路上がよくない現状では、我々の場合夜の活動は難しい。
でも、つい先日オープンした“道の駅 狼煙”から車で10分ほど走ったところなので、利便性が悪い事情は変わりないが、現在は孤立している訳ではないようだ。
ところで、この日置ハウスには約30人(当初31人)が避難されている。お一人だけ避難所から退所されたというのは気になるが、同ハウスから少し山の方に上ったところに、旧小・中学校のグランド跡地がある。そこには仮設住宅が建設されるとのことで、測量の後があった。先ほどの避難所で応対してくれた方に、「今30人が避難されていますが、全員この仮設住宅に入居できるですか?」と聞くと、「そうそう、全員入れるよ!」と言われた。こうして土地さえあれば、元のコミュニティーを壊さず、被災者が全員同じところに入居できるというのは、災害後の集落再建を視野に入れると、いい結果をもたらしたと思う。災害後、元のコミュニティーをバラバラにして、避難所あるいはその後の仮設住宅に移行するのは29年前の阪神・淡路大震災からの最大の反省点だった。
ここの場合は、上手く仮設建設の用地があったので対応が早かったのだろうが、災害前の事前対策として、自治体は仮設用地をしっかり確保しておくことが必須課題ではないかと痛感させられた。ただ、今回のように過疎地域を襲った災害では、まず道路が寸断され、孤立集落となる可能性は大なので、一時は緊急避難をするのは当然でもある。しかし、3か月が過ぎて、一度は元の土地を離れて孤立した集落もだいぶ元に帰り始めている。やはり、孤立は解消されても、利便性が悪いと言われようが、長年暮らした元の集落が「ホッ!」とされるのだろう。
行政は画一的な避難対策に固執するのではなく、もっと柔軟に、かつ丁寧に住民に接するべきだと思う。その方が、自主避難から自立集落への近道ではないかと思うのだが・・
(被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清)
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2 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.46
自主避難所から、自立避難所へⅤ(南志見地区編:輪島市町野町)
本レポートで紹介した輪島市町野町金蔵に行く道路は288号線だが、その隣に途中で枝分かれして277号線(宇出津・里町線)が外浦の海岸まで走っている。その海寄りの集落が輪島市町野町南志見地区だ。元日の能登半島地震以来、何度か被災地各地区の自主避難所や孤立集落を回っているが、大型ダンプ車が10台以上も連ねて走っている光景は初めてだ。277号線を南志見地区まで走っていても、それを想像させるほどの大規模工事を目にすることはない。おそらく外浦の海岸線で大規模な山崩れがあり道路が寸断されているので、ここの土砂を運んでいるのだろう。
さて、地震前は約700人いた南志見地区だが、発災後一時約300人が2次避難された。残りは南志見公民館や東洋中学校や東大野の県の施設で避難生活を送っていたようだ。電気が通り始めた2月半ばに2次避難していた方々は少しずつ戻ってきた。私は、南志見地区尊利地地区に戻られた3世帯を訪ねた。お一人は、丁度2日前に戻ってきたところだが、輪島市内で働くので、ここから毎日通うのはきついということで、輪島で家を借りたそうだ。同地区区長さんは、「まだまだ不便なので、一度には戻って来ないだろう。みんなバラバラだ。ただ、4月12日から一部入居が始まる仮設住宅が完成すれば、戻ってくるよ!」と嬉しそうに語ってくれた。不便さは変わりないが、「少し離れたところのスーパーマーケットには生鮮食料もあるし、買い物は輪島市内に出るより、能登町まで行けば何でも買える。30分で行けるんだ!」と。
この南志見地区には、かなりの規模で仮設住宅がそのまま災害復興公営住宅に移行する“石川モデル”という住宅が建設されている。5月には完成するのでは・・・?と言っていた。
ただ、この大規模な“石川モデル”が完成しても新たに集会所や談話室はない。もともとあった南志見公民館を使うことになるそうだ。他方、廃校になった南志見小学校グランドにも建設型仮設住宅の建設が進んでいるとのことで、おそらく全被災住民が入居できるのは難しいかも知れないが、大半は元の南志見地区に住めるということで、これまで築いてきたコミュニティが崩壊することはないだろうと思う。
過疎地域を大災害が襲った能登半島地震だけに、消滅集落だとか、共同体消失だとか、耳障りな言葉が聞こえてくるが、まず南志見地区は伝統を引きつきながら、これまで築いてきた共同体の再出発が、もう目の前に来ているような気がする。
是非、能登モデルと言えるような共同体を創り上げてほしいと願う!! (被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清) ... See MoreSee Less
2 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.45
自主避難所から、自立避難所へⅣー(北河内地区編:能登町)
能登半島地震から3ヶ月が経ち、いつものことだが一部を除いて避難所の統廃合がピークを迎えている。その負の影響を受けるのが「自主避難所」と言われているところだ。自主避難所が次つぎと閉鎖されているのだ。閉鎖されるとどうなるか‥‥。
仮設住宅に入居できることが決まった被災者はひとまず「ホッ!」とされているが、閉鎖されると行くところがない被災者は、仕事の都合で車中泊に戻るか、無理無理在宅避難となるケースがでてくる。「先のめどが何もたっていないのに、終了時期が決まっているのはおかしい」と憤っている人もいる。(北陸中日新聞、2024・1・31の記事より)ごもっともだ!!ほんとうに何かおかしい!!「誰一人取り残さない」と日本政府や企業、NGO,NPOなど国際社会でも当たり前のメッセージとなってるにもかかわらず・‥‥?
ところで、私たちの活動は2024年の地半島地震後に結成された「やさしや足湯隊」の活動とともに、同チームが活動しているのが自主避難所への物資配達およびヒアリングだ。すべてがアポなしで行かざるを得ないし、走ってみて「通行止め」もあり諦めざるを得ないこともしばしば‥‥。でも、大きな指定避難所に避難している人に聞けばだいたいわかる。
第6次足湯隊(3/28~3/31)は、表記の「北河内地区」に向かった。同地区は、本レポートのNO38、39でお伝えした輪島市町野町の金蔵地区の隣に位置する能登町にある。珠洲道路から入っていくが、途中で金蔵方面と北河内ダム方面とが別れ、北河内方面を走ると「北河内集会所」に行くことができる。
「北河内集会所」に辿り着いたのだが、入り口に張り紙をしていて「北河内集会所閉鎖(2月10日~)と書いてあった。その張り紙には、有難いことだが区長さんの携帯電話とお寺の番号が書いてあった。早速区長さんに電話をして、いろいろお話を聞かせて頂いた。こちらとしては、足湯が出来ないかという交渉をするのが第一義的な目的だが、集会所が閉鎖されているので難しいかなぁと思ったが、「足湯をしませんか?」と聞いた。
「水は山の湧き水があり、電気も通ったのでお風呂には入れるようになったので、足湯までは‥・・・」ということになった。ただ、自主避難所の閉鎖に伴って、救援物資も届かなくなるケースがあるのでは心配し、「二次避難所から戻って来られて食料や生活雑貨に困るのではないですか?食料など救援物資は届いていますか?」と尋ねたところ、区長さんは「2月8日に、住民みなさんと議論し、救援物資は要らないと決めた」という。その理由が「我々は、けが人もいないし、在宅避難だが何とか生活をしている。でも、輪島の方面の人たちはもっと大変だから、そちらに届けてあげて下さい」というのです。ここ能登では、「私たちはいいから、もっと困っている人へ」という話はよく聞くことだが‥‥。29年前の阪神・淡路大震災後に、「市民とNGOの『防災』国際フォーラム」は、被災地KOBEから「自立は支え合いから」というメッセージを発信したのだが、ここ北河内でそのことを思い出した。
(被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清)
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2 weeks ago
「台湾花蓮地震情報No.4」
4/3に台湾東部で発生した地震による被害ですが、台湾当局によると、4日夜の時点で、死者10名、負傷者1099名、行方不明者15名、その他閉じ込められている人が705名いるとの事です。
台湾のWさんからの情報では、4日から7日までは清明節という先祖を供養する日で連休という事もあり、その日に当たっていたらもっと大変な被害が出ていただろうと言われているそうです。
また、近年台湾でもアウトドアブームで東部の山岳地帯で登山やキャンプを楽しむ人たちも多く、そのような人たちや鉱山の労働者たちが孤立しているようです。
そのような状況の中で台湾最大とも言われるの仏教系NGO「慈済基金会」は、迅速な救援を行っています。
台湾人研究者Lさんからの情報では、慈済は、震災直後に花蓮県に災害対応センターを設置し、ボランティア200人を動員し、簡易ベッド480床、タオル550枚、パーテーション340枚、温かい食事250食を提供しました。中でも注文されているのが、避難所でのプライバシーに配慮した「隔屏」(Jingsi Fufui Environmental Protection Screen)と言われるパーテーションは、2018年2月の花蓮で起きた地震を機に慈済が提供したと言われ、再生プラスティックで作られており、難燃性もあります。2020年からは台湾全土の慈済の災害物資管理センターに準備されているそうです。3ヶ月前に発生した能登半島地震の避難所との差は歴然たるものがあります。
CODEは、これまで台湾集集地震(1999)、中国四川地震(2008)、ネパール地震(2015)などの現場で「慈済」とすれ違って来ましたが、台湾のNGOから積極的に学ぶ必要を感じています。(吉椿) ... See MoreSee Less
2 weeks ago
「台湾花蓮地震情報No.3」
昨日朝、台湾東部花蓮県を震源としたM7.4の地震から一夜が明けて、懸命の救助作業が続く中、被害の拡大が懸念されています。
台湾民政部消防当局によると、死者9名(多くは花蓮県での落石による)、負傷者1011名の被害が報告されています。また、花蓮県の北西に位置する太魯閣(タロコ)国家公園などでは今もなお143名(うち64名は平和鉱山内で救助待ち)が閉じ込められているようです。
また、報道されている傾いた花蓮天王星ビルでは死者1名が確認され、22名が救出されたようです。
また、花蓮県に続く蘇花公路(9号線)も各所で寸断されており救援に困難をきたしています。(吉椿) ... See MoreSee Less
2 weeks ago
「台湾花蓮地震情報No.2」
今朝、台湾東部で発生した地震の被害が少しずつ明らかになってきています。
台湾の内政部消防当局が、死者7名、負傷者736名、倒壊家屋は28棟(花蓮県17棟、新北市8棟、
宜蘭県1棟、基隆市2棟)で、未だ77名が倒壊家屋に閉じ込められていると発表しています。
また、崖崩れで土砂がバスを直撃し、トンネル内で11名が救助を待っているとの報道もあります。
その他、台湾全土で約8万7000戸が停電しているようです。
台湾東部の花蓮県周辺は地震が多く、2018年にはM6.4の地震で花蓮県などで17名が犠牲になり、
2019年、2022年にもM6以上の地震が発生し、花蓮県でも被害が出ています。
今回の地震は、1999年の集集地震(死者約2400名)以降、この25年間で最も大きな地震だと
台湾メディアが報道しています。(吉椿) ... See MoreSee Less
2 weeks ago
能登半島地震救援ニュースNo.44
被災地NGO恊働センター
「自主避難所から、自立避難所へⅢ -塩津上野編」
先日、第5次足湯隊の学生たちと能登半島の先端、珠洲市の自主避難所に物資をお届けに行った。
塩津上野集会所には、何度か物資提供や足湯ボランティアをさせていただいているが、ここをお世話しているKさんは、僕たちが着くやいなや、「あ〜、精神的に疲れたあ〜」と机にひれ伏すように語り始めた。
この地区には32世帯74人が暮らしており、70代の高齢者が大半だという。高台にある事から津波の被害はないが、3軒が全壊だという。
地震直後には地区外の人も含めて約100人がこの集会所に避難してきたそうだ。焚き火で暖をとり、畑の野菜をもらってきて鍋やおにぎりを作ってしのいだそうだ。
電気が通った事でほとんどの人は自宅に戻り、今、ここで寝ているのはKさんを含め2人だけだという。
1/1からずっと避難所のお世話をしてきたKさんは、地区の人達の名簿を自作し、年齢や家族構成、避難先を書き込んで一人ひとりを把握し、お世話をしてきた。避難者もいなくなってきた事からこの避難所も3月いっぱいで閉鎖されるという。Kさんは3ヶ月間突っ走ってきたこの重責からようやく開放される事から「精神的に疲れた。もう限界。。」という弱音をやっと吐けるようになったのだろう。
この集会所は、物資を取りに来る人もいる事から、しばらくは昼間だけ開けるそうだ。
「月に1、2回は集まってババ会(女性たちのお茶会)はやりたいわ」というKさんの顔は安堵の裏口にどこか寂しいのようなものがあった。最後に、「この前の足湯が気持ち良かったから、また来てほしいわ」と言った。
被災地では避難所が閉鎖、統廃合され未だ体育館などの避難所で暮らさなくてはいけない人、仮設住宅に当たった人、はずれた人、自宅に戻った人など様々な状況の人たちがいる。(吉椿)
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2 weeks ago
「台湾花蓮地震情報No.1」
CODEです。
本日、7時58分(日本時間8時58分)に台湾東部(花蓮県南南東25㎞)を震源とするM7.4の地震が発生しました。
震源の深さが15.5kmと浅かったことから、震源に近い東部花蓮県などでビルの倒壊、土砂崩れなどの被害が出ています。
また、台湾沿岸だけでなく、沖縄八重山諸島でも津波警報(現在は津波注意報)が発令されました。
CODEは、すぐに台湾のNGOや研究者、友人知人などを通じて情報収集を開始しました。
以下、各方面からの情報を紹介します。
「今までにない揺れだったと皆言っている」
「1999年の集集地震と同じ恐怖を感じた」
「朝の8時だったのでエレベーターに閉じ込められた」
「台北の弟の家の壁にもヒビが入った」
「今、台北にいますが、ずっと余震があります。」
「花蓮の知り合いとまだ連絡が取れていません。」
「被災地はまだ混乱しています。」
などの声が寄せられています。
また、大規模な土砂崩れやモノレール(MRT)の高架が被害を受け、歩いて避難している人たちや傾いたビルなどの
写真や動画も送られてきています。
CODEは、現地の関係者を通じて引き続き情報収集を行っていきます。(吉椿) ... See MoreSee Less
2 weeks ago
CODEです。
本日、7時58分(日本時間8時58分)に台湾東部(花蓮県南南東25㎞)を震源とするM7.4の地震が発生しました。
震源の深さが15.5kmと浅かったことから、震源に近い東部花蓮県などでビルの倒壊、土砂崩れなどの被害が出ています。
また、台湾沿岸だけでなく、沖縄八重山諸島でも津波警報(現在は津波注意報)が発令されました。
CODEは、すぐに台湾のNGOや研究者、友人知人などを通じて情報収集を開始しました。
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「1999年の集集地震と同じ恐怖を感じた」
「朝の8時だったのでエレベーターに閉じ込められた」
「台北の弟の家の壁にもヒビが入った」
「今、台北にいますが、ずっと余震があります。」
「花蓮の知り合いとまだ連絡が取れていません。」
「被災地はまだ混乱しています。」
などの声が寄せられています。
また、大規模な土砂崩れやモノレール(MRT)の高架が被害を受け、歩いて避難している人たちや傾いたビルなどの
写真や動画も送られてきています。
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2 weeks ago
www.facebook.com/share/p/bRwYaQRbum7zrmJM/ ... See MoreSee Less
2 weeks ago
先ほどの沖縄与那国島沖の地震、津波ですが、現在、沖縄や台湾の仲間に連絡を取って情報収集を行っています。 ... See MoreSee Less
3 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.40
「やさしや足湯隊ニュース」No.2
私たちは能登半島地震の支援活動に携わりたい若者を中心として、足湯ボランティアを行う「やさしや足湯隊」結成しました。全国から集まる学生、若者と共に足湯ボランティアの活動を通して、被災地でほっと安らげる一時を提供し、被災した方々から発せられる一つ一つの「つぶやき」に向き合っています。
先遣隊メンバー 糴川さん(神戸学院大学 現代社会学部4年)からの感想①
私自身、初めての発災直後の町へのボランティアだったため、かなり緊張していました。阪神・淡路大震災が発生した地で生まれ育ち、当時の画像や映像や体験談を多く見聞きする機会はあったものの実際のものを目にするとかなり衝撃的でした。地震が起こる直前まで生活していた痕跡が崩壊した家屋の隙間から見えたり、地震によって失ったものを何の当てもなく探していたり、経験したことのない困難ばかりでした。その精神状態の中、お寺の掃除等の肉体労働も行いましたが、やはり身体的な疲労より精神的な疲労の方が大きかったと感じました。しかし、その精神的な疲労を回復させてくれたのは一緒にボランティアに赴いたメンバーや現地の被災者の方々でした。協力して作業を行うこと、意見を交わすこと、何気ない会話をすること、地震という大きな障害から乗り越えようとする勇気や努力。日々の生活に溶け込んだ何気ないことから特別なことまで、たくさんのことに集中することが自分の気を紛らわして楽しさを感じることができるので、少し大袈裟に言うと新しい生き方を見つけたと感じた時間となりました。
*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。
www.civic-force.org/info/activities/earthquake202401/20240130.html
*私たちの活動は日本財団「令和6年能登半島地震(2024年1月発生)に関わる支援活動」の助成を頂き活動しています。
*私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。 ... See MoreSee Less
1 month ago
2月に一緒に能登の被災地で活動したミャンマーの若者たちの事が記事になりました。
この若者たちは、3年前のクーデターで厳しい状況にある人たちを支えるために日本でも活動しています。
別れ際、片付けをお手伝いした家のお母さんは、ミャンマーの女性に「早く平和になるといいね。」と語りかけている姿がとても印象的でした。
災害とクーデターとは違うけど、厳しい状況に置かれた人たち同士で痛みを分かち合っている姿に目頭が熱くなりました。(吉椿)
www.tokyo-np.co.jp/article/311811?fbclid=IwAR0m3SvY-GpfyJQv8lojot3kbjiKld4HGkARZMTS6oHfXAZdmdbgwD... ... See MoreSee Less
「故郷を失うつらさは同じ」在日ミャンマー人らが能登で被災家屋の片付け 「痛み、分かち合いたい」:東京新聞 TOKYO Web
<連載 ミャンマーの声> 首都圏で暮らす在日ミャンマー人とクルド人らが、能登半島地震で被災した石川県七尾市や能登町を訪れ、家屋の片付け...1 month ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.39
自主避難所から、自立避難所へーⅡ
この金蔵集落には、足湯ボランティアで被災地入りしている大学生たちと訪問した。自主避難所「金蔵集会所」にお邪魔して、短時間だったが自然の尊さを学ばせて頂いた。地震の前は100余名だったが、区長の井池さんが小学生の頃、人口は500名を超えていた。この地域には4カ寺(一時は5カ寺あった)あり、山岳仏教としてこの地を守った。奥能登で最大規模の木造寺、「正願寺」もこの地にある。
今回の地震では、金蔵で全壊した家はほとんどない。この地方の家の木には“能登ひば”の木が使われている。雪深い山で育った“ひば”を使うので、しなやかで、強い。雪の重さにも耐えられると。しかも、木を切るときには、切る前に木が立っている向きを見て、この木は家のここの柱に使うと決めてから切るそうだ。「新月に切った木は腐らない」と木こりさんから聞いたことがあるが、これも先人の知恵か。自然に逆らわない技だ。
ここでは地震後、毎朝お茶を飲みながら会議をし、お互い元気であることを確認し合っている。会議の後は、これからここに戻ってくる人たちのために、この集落を守っている人たちで在宅避難の様子を確認し、損傷の状況などもチェツクするそうだ。
前号のレポートで「金蔵米(きんぞうまい)」のことに触れた。金蔵には大きい川がないため、米作りに不可欠な水は雨水だ。今回の地震で亀裂が入っていないかなど点検しなければならないが、雨水を溜めた池が11か所ある。
加えて、金蔵米が美味しい秘密は米が育つ気温と日中の明るさだという。ここでは3月20日が最も寒く、9月1日が最も暑い。こればかりは自然の摂理に逆らえない。
米が育つには満月の灯りが最適らしい。日差しが強く、日が当たりすぎてもダメだと。米もしっかり寝る必要があるそうだ。満月の優しい灯りが美味しい米を育んでいる。夜は明るいと米も寝られない。人間も同じだ。これが“美味しい”所以だと区長は笑う。しかし、今年は地震で米作りができるかどうかはわからないので心配だ。
井池区長は、「60過ぎて村のありように口を出すところは、やがて潰れる。若い人が、中心になる村は潰れない!」と断言されていた。これはどの世界でも同じことが言えるだろう。金蔵に来ると人生訓も学べそうだ。金蔵には34歳のベルギー帰りの若者がいる。大丈夫だ!加えて、女性は3時半には自宅に帰す。日没になるまでに‥‥ということだそうだ。女性を大事にしているので、この村は潰れないだろう。
金蔵(かなくら)には、金蔵寺(こんぞうじ)があり、金蔵米(きんぞうまい)があり、昔は逆から読んで“埋蔵金(まいぞうきん)”という地酒もあったそうだ。(了)
―水津樹紀、楊颸羽(ヨウ シウ)、西受穂乃花、山村太一、村井雅清― ... See MoreSee Less